みなさん,こんばんは!!
生きる自分への自信を持たせる「鍛地頭-tanjito-」副塾長の住本小夜子です。
昨日(筆者注:2018.2.22,「関連ブログ」を参照のこと)の記事に「心を持った人」と綴りました。
【関連ブログ】
「真心を込めた教材づくり」(住本小夜子,当塾公式ホームページ,2018.2.22)
これをご覧になって,みなさんはどのように思われましたか? ここでひとつ,若かりし頃の私が体験したことをお話したいと思います。
若いうちに,様々な職種を経験してきた私ですが,それは,いつも心の中で「自分に最適な仕事は何だろう?」という意識が働いていたからなのです。
18歳の初夏,とある会社の面接試験を受けた際,最後に次のような質問を受けました。
「「優しさ」と「思いやり」との違いは何か,分かりますか?」
考える間もなく,私が答えたのは,「「優しさ」は,その人が生まれ持った感情」「「思いやり」は,誰かに何かする時に生まれる感情」でした。面接官は驚いた様子で,「よく,すらすらと答えられましたね。それで合っていると私も思います。」と言われたのです。今でもハッキリ覚えています。何度も面接試験を経験してきましたが,このような質問をされたのは,この一社のみでした。
「「優しさ」と「思いやり」とは,似て非なるもの」と,私は考えています。それは,対象となる相手がいるかいないかの違いです。
「優しさ」は,相手がいなくても成立しますが,「思いやり」は,相手がいないと成立しません。相手のことをしっかりと考える,また考えようとするのが「思いやり」で,「優しさ」はそれを持つその人の内だけにあるものなのです。
上述の「相手」には,自己内の他者(=自己の内に存在している他者としての〈自己〉)や自然,神仏などをも含めて考えています。「優しさの内在」については,〈内〉にあるだけで,〈外〉に向けられる属性を有しないことを意味しています。つまり,極論すれば,〈優しさ〉が対象(〈外〉)に向かって具体的に行為されるとき,〈優しさ〉は〈思いやり〉となると考えているのです。
ですから,「自己内の他者(=自己の内に存在している他者としての〈自己〉)」に向かって,〈優しさ〉が具体的に行為される場合も同様に,〈思いやり〉は生起するわけです。ただ,その〈優しさ〉は自我中心主義の虜となった〈自己〉を甘やかす「優しさ」でないことは言うに及びません。
したがって,私としては〈優しさ〉を持った〈思いやり〉のある人になりたいのです。つまり,昨日の記事に書いた「心を持った人」とは,「〈優しさ〉を兼ね備えた〈思いやり〉のある人」のことなのです。
では,どのようにすれば,「〈優しさ〉を兼ね備えた〈思いやり〉のある人」になれるのか?
ここでは,そうした〈思いやり〉の形成だけに絞ってお話を続けます。
まず,結論から述べると,「相手の立場に立って物事を考える」ということになるのでしょう。そして,その結果を「具体的な行為として表現する」。
その「具体的な行為」とは?
中国の偉大な思想家,孔子が述べたように,「己の欲せざる所,人に施す(こと)勿れ。」がその第一歩といったところでしょうか? 換言すれば,相手の立場に立って,(相手の望むことを)具体的に行ってみる。こうした行為の積み重ねが〈思いやり〉の心を形成するのではないのかと考えるのです。
しかし,改めて述べるまでもないことですが,「相手の望む行為」が「社会的・道徳的にいけないこと」であるならば,無論のこと,(上述の)具体的な行為を行ってはならず,「それはいけない!!」と言えることが,相手へ〈思い〉を〈届ける(やる)〉,〈思いやり〉なのです。そういう意味で,上述したように,「相手」が「自己内の他者(=自己の内に存在している他者としての〈自己〉)」の場合,「自我中心主義の虜となった〈自己〉を甘やかす「優しさ」でない」と述べたのです。
敷衍すれば,「自閉スペクトラム症(発達障害)」を持つこどもであっても,「いけないこと」は「いけない!!」と教えなければならない。それが〈思いやり〉なのです。何も腫れ物に触るようなことをしてはならないのです。「いけないこと」を〈いけないこと〉と認識できず(誰からも教えられず),そのまま成長してしまったとしたら,それは,その当該のこども(の人生)にとって大きなマイナスとなります。どのこどもも社会的に自立していかなければならないのですから。
こうした考え方は,文部科学省が作成した『生徒指導提要』(平成22年3月)に,次のように記述されています。引用しておきます。
「発達障害のある児童生徒の特性に応じた指導の基本的な姿勢は,間違いやできないことに気付かせるだけでなく,正しいこと,できるための方法を具体的に,そして丁寧に教えていくということです。」
「第6章 生徒指導の進め方 Ⅱ 個別の課題を抱える児童生徒への指導 第2節 発達に関する課題と対応 2 個々の児童生徒の特性に応じた指導の基本的な姿勢」 p.160
注意や叱責により改善していくことは難しいという前提に立って,対応することが大切です。適切でない行動を減らしていくためには,適切な行動を増やしていくという視点で,適切な行動の取り方を具体的に教えていきます。適切でない行動には理由があります。まずは,怒りや不安,困惑などの気持ちを受け止めることが第一です。起きている行動だけに注目しないで,きっかけになることや行動後の結果など,前後関係を通して適切でない行動を生起させている要因を分析し,対応を考えることが肝心です。してはいけないことよりも望ましい認められる行動に意識を向けさせるようにします。そして,怒りや不安がすぐに適切でない行動につながらないように,支援することで問題を起こさずに済んだということも大切です。人に危害が及ぶような危険なこと,絶対にしてはいけないことにはきちんと対応するようにします。迷いのあるあいまいな対応や,人や時によって異なる対応は,ただ混乱させるだけですから,一貫した対応に心がけます。
「第6章 生徒指導の進め方 Ⅱ 個別の課題を抱える児童生徒への指導 第2節 発達に関する課題と対応 2 個々の児童生徒の特性に応じた指導の基本的な姿勢 (2) 行動面への対応」 pp.160-161,マーカーは住本が施しました。
さて,面接試験の質問に答えるだけは答えたのですが,実際に〈思いやり〉」が自分の身についているのか? というと…。「まだまだ,できていないなぁ~」と痛感します。
それを永遠のテーマとして追究しているのが,我が私塾「鍛地頭-tanjito-」なのです。ですから,「鍛地頭-tanjito-」の基本理念は〈恕(思いやり)〉なのです。
【関連】
〇 「基本理念」(当塾公式ホームページ)
〇 「塾のシンボル」(当塾公式ホームページ)
この基本理念についての詳細は,後日,BLOG「鍛地頭-tanjito-」で明確にしたいと思います。
注:本BLOGは,平成30年2月23日(金)にアメーバブログに投稿した「優しさと思いやりとの違い」のリメイク版です。
(文責 副塾長)
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