イ 「ああ~ん,そんな教師,おるわけないじゃん!!」
つい,先日のことだった。
幼馴染の呑兵衛の悪友たちと私の行き付けのお好み焼屋に集結したときのことである。
悪友の彼らは教師ではなかった。
店の名前は「寺田屋」ではない。
その席上,私は彼らに現在の胸中を語った。
「(前略)しかし,「教師」という仕事は,児童・生徒を眼前に据えて,自分自身のことを優先できないことがよくある。だから,多くの先生方は,まずは自らのことを置いて,児童・生徒にかかわっている。身近なところで言えば,先生方の休憩時間だってそうだ。食事中の先生のところに女子生徒たちがやって来て,我先とばかりにその先生を困らせている。当時,高等学校の管理職だった私は見るに見兼ねて,「お~い,話があるんなら,わしんところへ来いや。見てみい,先生はご飯を食べとってじゃろうが。」(生徒には丁寧な言葉遣いで話をしましょう! 広島県の先生方が全てこうではありません。)と言うと,その生徒たちがどーっと押し寄せて来て,「教頭先生,聞いて,聴いて~や~,あのねえ,あのねえ…」と。その先生は私に対して申し訳のない顔をされたまま,食事をされたんだ。そして,急いでそれを終え,「教頭先生,申し訳ありません。」とその女子生徒たちの前で謝ったんだ。いや,申し訳のないのはこっちの方だし,そもそも緊急性の全くない,井戸端会議のレベルの話題で押し掛けてきた女子生徒たちにも問題はあるし,それを指導できていない,もっと言えば,指導監督できていない,やっぱりわしが悪い。そりゃ,「今,私は食事中です。緊急性のあることですか?」とその先生が返せばよいのだろうが,なかなかそうできない雰囲気が学校にはある。※ だから,「申し訳のないのは,君たちの方だ。」と言いながら,「(食事の)状況をよく見て話し掛けないと。緊急性がある場合は,勿論,別だが。」とその生徒たちに返した。女子生徒たちは「は~い。」だって。
なあ,これが,何気ない光景に思えるか?」
※ 少なくとも私が経験した学校ではそうでした。
「ところがだ。先日もある高校教師を目指すと言う学生と話をしたのだが,なぜ教師を目指すのかとの私の質問に対して返ってくる言葉はだなあ,「自分のライフスタイルを整えたい。」の一点張りなんだ。「生徒」の「せ」の字も出て来ない。「あなたにとって,生徒はどのような存在なんだ?」と訊ねると,これがまた,首を傾げるんだなあ。今度は「教師の仕事に対するあなたの思いは?」と訊いてみた。すると,何て言ったと思う?」
「単に仕事です。」
「しばらく考えて真面目に答えたんだ。その学生は。」
「いや,それがなあ,この学生だけの話ではない。教育学系の大学関係者から耳にしたことだが,少なからず似たような学生が増えている現状があるようだ。」
「何も学生に限った話ではない。勤務条件など全てクリアした状況でだ。若い頃の話だが,生徒や保護者がかなりの精神的なショックを受けているような場面で,姿を消した担任を見たことがある。以降,何度か同様な場面に出くわしてしまった。事実はその本人に訊かなければわからないことだから,勝手な判断でその人を見てはいけない。ところがだ。会議では「生徒のために~。」と進んで発言をするんだ。」
「勿論だ。何か言うに言われぬ事情があったのかもしれない。事実はその当人にしかわからないことだ。きちんと〈事実〉を確かめ,自らの地頭で判断する。それは,自分の信念でもある。龍馬の歌にもあるだろう。あの有名なやつ。」
「世の人は われをなにとも ゆはゞいへ
わがなすことは われのみぞしる」
「それにしてもだ。本当にこのヒトは児童・生徒のために教師をしているのか,自分のためだけではないのかと疑ってしまうような「教師」と名乗るバケモノを腐るだけ見たような気がする。」
「ああ,今の教育がどうだ,教育委員会が悪い,国が悪い,誰が悪い,……挙げ句の果てには,児童・生徒のことを思うから,そのように言うんだなんて……しかし,そういう多くの教師の働きぶりは一体なんだ!?……少なくとも,わしの目には児童・生徒のためとは思えん,自分のためだけだ!!」
(中略)
「だからだ。「鍛地頭-tanjito-」を起こしたんだ。どんなにハンディーがあっても,起こさずにはいられなかった。わしがよく言う〈ホンモノの教員〉を育てないとダメだと本気で思ったんだ。そりゃあ,自らのライフスタイルを整えることは大切だ。そこがきちんとできていないと児童・生徒のために良い仕事はできない。だが,〈人〉には〈心〉ってもんがあるだろうが。児童・生徒はその教師の〈心〉をよく見ている。見抜いている。だから,いくら「生徒のために~。」と言ったって,生徒はちゃんと見ている。どれくらいの生徒がわしのところへ来て,そういった教師の苦情をぶつけたことか。」
「自分は二の次だ。(乳幼児・)児童・生徒が一番大切なんだ。」
「こうした自然と湧き上がる気概を持った〈ホンモノの教員〉を育てないと,特に公教育は終わるぞ。」
「確かに,「鍛地頭-tanjito-」は非力だ。まだ取るに足りない。しかし,気概だけは誰にも負けん。それに経験と,わしの嫌いな言葉だが,スキルとやらだけはある。」
「〈ホンモノの教員〉を育てたいんだ!!」
それまで真剣な表情で,私を睨み付け,運ばれてきていたフローズンビールにさえ口を付けていなかった呑兵衛の悪友たちが一瞬にして豹変した。
「ああ~ん,そんな教師,おるわけないじゃん!! みんな自分が可愛いんよ。そんなことを考えているのは,おまえくらいのもんよ!! このご時世,おまえが考えているような教師なんか育たんよ!!」
「オイ!! 呑むぞ!! おまえのせいでビールがぬる~なったわい。ははははは。」
全員が片手で掌を軽くひらひらさせながら,顎をしゃくり上げ,高らかに失笑(わら)った。
[これが世人の声だ。復た,〈人〉の〈心〉を冷やりと斬り付けてくる笑い声を聴いてしまった。しかし,現実,児童・生徒を第一に考える教師はいるんだ。確かに,極僅かだが……]
[ビールの方が温かいなあ。]
そう思った。
注:この話は事実に架空を交えて表現してあります。
今回も駄文にお付き合いいただき,誠にありがとうございました。
次回は,アメブロの書き方言説を〈相対化〉し,その結果を例に用いながら,元教師と起業との関係性について考察します。
このことが「The パクるな!!」とどのような連関性にあるのか?
次回もお付き合いのほど,よろしくお願い申し上げます。