【最終学歴】
広島大学大学院教育学研究科教科教育科学専攻(国語教育学修士)
【所属学会等】
- 全国大学国語教育学会
- 日本国語教育学会
- 中四国教育学会
- 広島大学教育学部国語教育会
【主な学術論文等】
「鍛地頭-tanjito-」の基本理念
「まずは,乳幼児,児童,生徒ありき!」
当私塾の基本理念である。無論,学校教育の基本理念でもある。しかし,現代の数多くの教職員は「まずは,我ありき。」である。二項対立の長きにわたる思潮(人間・自我中心主義)や自由市場至上主義などの影響下,こうした数多くの教職員が瀰漫する学校教育界である。そこに乳幼児・児童・生徒などとの〈つながり〉は希薄か,無い。乳幼児・児童・生徒との〈つながり〉無きところに学校教育は無い。これは,教職員自らを大切にするなと述べているのではない。教職員ならば,「まずは,乳幼児・児童・生徒ありき」が当たり前だと述べているのである。
〈教育愛〉
巷間には「自己犠牲」を嘲謔する風潮がある。そうした風潮にあって「利他行動」は最早死語だ。そこには〈つながり〉,〈つながる〉といった理念(イデー)はない。人は誰も一人で生きていくことはできない。それが人世だ。人はつながり合って生きている。だからこそ,他者と〈つながる〉利己に利他行動はない。したがって,乳幼児・児童・生徒に〈つながる〉〈ホンモノの教員〉は「教育愛」を乳幼児・児童・生徒に向けることはない。向けることはないが,向けてしまう・向けてしまっている・向けてしまっていた,のである。それを〈教育愛〉と呼ぶ。
〈学縁〉
〈学縁〉とは,学問とのご縁,又は,学び続ける者同志の学問を媒介とした半永続的なご縁を指す。教員養成私塾の主な使命は〈学縁〉により結ばれる〈ホンモノの教員〉の養成,又は,〈ホンモノの教員〉間の絆を結ぶことにある。また,言語(運用)能力育成私塾の使命は〈学縁〉を介して,真正(オーセンティック)な〈学び〉や〈学び方〉を体感・習得し,――教員養成私塾の使命でもあるが――非言語を含む言語(運用)能力を磨くことを通して総合的な人間力を高めることにある。当私塾は〈学縁〉を有する塾生との〈運命〉の邂逅を待ち侘びている。
〈恕〉
言語(運用)能力の低下による人間の「感性・情緒」の劣化は,自我中心主義を構造化する契機となるだけではなく,それを持続可能とする活力源ともなった。ポストモダンの終焉期に訪れた,「他者」よりも「自己」を優位に置く二項対立の思考は温情主義(パターナリズム)を促進し,大衆に「似非-思いやり」を強制した。 言語(運用)能力 を「鍛」えることは「地頭」を「鍛」えることであり,それは「感性・情緒」を豊かにする。だから,当私塾の基本理念である〈恕[1]「思いやり」のこと。〉は 「〈自己〉―〈(自己を含む)他者〉」関係が前提となった「脱中心化」の上に成り立っている。
ⓒ 2022 「鍛地頭-tanjito-」
References
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