集団面接・集団討論対策集中講座
「鍛地頭-tanjito-」の〈対話術〉を習得すれば,
選考項目としての集団面接や集団討論なんぞ
何も恐れる必要はないのです。
〈対話〉の在り方を学び,「主体的・対話的で深い学び」を形成する
授業づくりを主目的にした講座です。
必然的に集団面接や集団討論に対応する力量が養われます。
春の訪れ
世間は春休み。家族で公園に行った日のことです。
園内は子どもたちで賑わっています。門をくぐり,目に真っ先に留まったのは満開の桜です。花びらが風でひらひらと舞っています。地面には桜色の絨毯が敷き詰められていました。
突然,Cちゃんが道端でしゃがみ込みました。鮮やかで黄色い蒲公英を見つけたのです。あちらにも,こちらにも小さな黄色い蒲公英が咲いています。Cちゃんはその一つを摘み取りました。片手にすっぽりと収まる大きさです。
そのまま砂場へ。
既に数種類の花が並べられています。子どもたちが園内に咲く花々を集めてきたようです。
Cちゃん:お母しゃん,お花屋さんだね。
花々を指差しながら,自身が握っていた鮮やかで黄色い蒲公英をそっと添えました。
色とりどりの花々と元気にはしゃぐ子どもたち。
公園には春が訪れていました。
【執筆後の振り返り】
老若男女を問わず,花を愛でる心は変わりません。
また一方で,老若男女を問わず,花より団子であることも変わらないのでした。
註:公園に集う人々がしきりにお弁当を食べる姿を垣間見て…。
【塾長のつぶやき】
何だ!? 畢竟,「花より団子」か!?
「色とりどりの花々と元気にはしゃぐ子どもたち」,そしてCちゃんが思わず発した「お花屋さんだね」。これら全てが暖かい春風にひらひらと舞う桜の花びらのように舞い散ってしまったのです。
さくら先生,ここまで落とすかね?
[追伸]
幼児の直感に心が洗われる…と思いきや,その風情はどこへやら…。その超克(止揚)の地平線を手繰りながらお読みいただけましたでしょうか?
Face each other
「目指せ,300字!」,今回は「教採」シリーズから。
先日,ICT私塾内研修会の打ち合わせに参加した。私が作成した「お月さまと コロ」(文部科学省作成教材,わたしたちの道徳 小学校1・2年,pp.48-51)の学習指導案を本研修会の第2講で披露することになっている。だから,事前に塾長とB先生(小学校教諭)にその学習指導案をご高覧いただいたのだ。
その時だ。
B先生:発問の意図の一節に「自己内他者」とあります。つまり,授業者のねらいは教材のテーマを通して,(それについて)学習者一人ひとりに●●●をメタ認知(当私塾では〈相対化〉)させる意図ですよね。その際,その認知行為を機能化させる発問のフレーズ(問いかけの表現)を如何に(表現)するか? (学習指導案に記述された問いかけの表現で良いですか?) 学習者は低学年の子どもたちですからね。(笑)
そうだ, このままでは子どもたちに学力は付かない。
(教材を使用する学習指導の場合,)教材との〈正対〉なくして,学習指導は成立しない。
(発達段階を踏まえた)学習者分析・授業のねらいなくして,授業の構想(発問計画・板書計画など)は成り立たない。
それ以前に,乳幼児・児童・生徒なくして,教員はい(ら)ない。
そう実感した一瞬だった。
【執筆後の振り返り】
学習指導案の作成は容易に見えて,至難の業だ。
P.S.1:ICT私塾内研修会,楽しみだなぁ。
P.S.2:(受講後の感想)
様々なICT機器やアプリ等があるけれど,それらの操作のための情報収集や活用方法を得ることは容易ではない。そのために,どうしてもICTそのものを使用することが目的となってしまう。しかし,それではいけない。授業のねらいを達成するために効果的なICTの利活用を考える必要があるのだ〔A〕。
そこで,本研修会では「A」をねらいに据え,いくつかの〈学び〉を,演習を通して実践的・体験的に学習した。挙例すれば,まず,個別の活動として,ICTを効果的に活用した実践事例における成果と課題をそれぞれ抽出した。次に,グループ協議において抽出した成果と課題の共通点(/相違点)を見つけ,それをさらに抽象化した。そして,それらを全員で共有したのだ。
結論,本研修会に参加したことで,ICT機器やアプリ等は児童生徒に学力を付けるためのツールに過ぎないと沁沁と感じた。
「鍛地頭-tanjito-」に在籍するメンバーと共に,和気藹藹と話し合いながら,リラックスして研修会に臨むことができた。盛り沢山でも整序された内容で,素晴らしい研修会だった。
つづく
【塾長のつぶやき】
乳幼児・児童・生徒なくして,教員はい(ら)ない。
意味深長な言い回しですね(笑)
「まずは,乳幼児・児童・生徒ありき」
さくら先生の言い回しには〈教育愛〉の外に,酷烈なアイロニーがあります。そう感じます(笑)
「巷間の教職員は乳幼児・児童・生徒の存在をどのように捉えているのか? ちゃんと〈相対化〉した上での〈存在〉として捉えているのか?」
そのようなことを考えさせていただいた言い回しでした。この〈相対化〉が確と機能していないと,学習指導や生徒指導など,学校の教育活動そのものが成立しないのです。
因みに,さくら先生の「執筆後の振り返り」に記述された「P.S.2:(受講後の感想)」は当ICT私塾内研修会にあって,第2講が終了した直後のものです。研修会に参加してくださったメンバーの旺盛な研修意欲により,現在,第7講―当初の計画では全3講で完結ーまでが終了しました。まだ先の長い研修となりそうです(笑) 本格的に「語りの構造読み」に挑戦するといった貴重な経験もしていただきました。
何より学び続けることの大切さを実感していただいているのではないでしょうか?
学び続けないことによってアナクロニズムの陥穽に陥り,深い井戸の底から天空を見上げ,狭い視界から奇声を発する。こうした「天に向かって唾を吐く」ような教職員には決してなって欲しくないものです。
乳幼児・児童・生徒なくして,教員はい(ら)ない。
註:「ICT私塾内研修会」の概要については,上掲のブログ教材の「3 近頃の「鍛地頭-tanjito-」」の「ICT私塾内研修会」を参照のこと。
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