場面指導Weekly解説ルーム
受講者募集
(定員 30名)
本講座は場面指導対策として学校現場で頻発する教育事象を採り上げながら,多面的・多角的・総合的に対象を捉え(システム思考),学校現場で生きて働く指導原理・指導方法・根拠法等を教職歴29年の塾長が解説する講座です。学校教育のあらゆる角度から一教育事象を掘り下げ,理論的・実践的に考究することから,教員としての資質・能力の基礎を育成することができます。また同時に,筆記選考と人物評価選考との両者を兼ね合わせた対策を行います。つまり,教員研修を基盤とした〈新しい時代〉の新しい教員養成講座というわけです。乳幼児・児童・生徒のために,そして,教員を目指すあなた自身のために〈ホンモノの実力〉を本講座で身に付けましょう。
講座日程・講座数
令和4(2022)年2月26日(土)から同年7月9日(土)まで
毎週土曜日
午後8時00分から午後10時00分まで
全20講座
お申込期間
令和3(2021)年11月2日(火)から同年12月28日(火)まで
「毒になる親(友人,教員)」にならないために
当私塾の講座で推薦図書を提示することがよくある。学校の指導における実情を考慮し,できるだけタイムリーに良書を紹介することにしている。それは必然的に教員採用候補者選考にかかわる〈学び〉となる。
巷間,コロナ禍中,学校の臨時休業等も相俟って,児童相談所での児童虐待相談対応件数は増加の一途を辿っている[1]参考:「令和3年度 児童相談所での児童虐待相談対応件数」(厚生労働省)。憂慮すべき事態だ。こどもたちの生命が懸かっている。(その後の)人生が懸かっている。
法は遵守しなければならない。しかし,大人が共通の規約である法や共通観念として想像した矩を超えることでもしなければ,止められないくらい痛ましい事態が「児童虐待」だと思う。児童虐待の加害者だけではなく,それほど全ての大人の責任は大きい。
生徒指導関連の講座の中で,いつもつい熱くなって語る一節である。
さくら先生はそれを真摯に受け留めてくれたのだろう。本ブログはそれを物語っている。
塾 長
「さくら先生日記」第14弾,今回は「その他」シリーズから。
塾長がレコメンドする書籍『TOXIC PARENTS』(DR.SUSAN FORWARD,玉置悟(訳),2021.3,毒になる親―完全版―,毎日新聞出版,以後,「完全版」)を図書館で借りて読もうと思った。しかし,完全版は予約待ちになっていた。そこで,まず手元に届くまでの間は『毒になる親』(スーザン・フォワード,玉置悟(訳),毎日新聞出版,1999.3,以後,「旧バージョン」)を借りることにした。
旧バージョンに対しては,「毒になる親」についての解説書や手引書のような印象を持った。
- 「毒になる親」との結びつきによって生じるその子供の心理カウンセリングでのエピソード
- 「毒になる親」とはどういう人物を指していうのか。
- カウンセリング後,(クライアントが)「毒になる親」をどのように乗り越えたか。
- 読者に「毒になる親」がある場合,どのように乗り越えていけばよいか。
そのため,「毒になる親」を持つ人を対象として書かれた,少々難解な書籍のようにも思えた。
完全版では,旧バージョンで省略や意訳によって短縮された箇所,端折られたエピソードなどが完全に復活された。そのことによって,「毒になる親」とその元に生まれた人物の形象が旧バージョンよりも鮮明で,かつ,身近に感じられた。
どのエピソードにも,カウンセリングに来談した人物の年齢,性別,職業,家族構成が記してある。来談者の年齢は30代から50代である。
『毒になる親』の著者であるスーザン・フォワード氏が平成元年に出版し,それを玉置悟氏が平成9年に訳書として日本で出版(旧バージョン),そして約20~30年経った令和の時代に完全版が出版された現実を鑑みると,例えば「虐待」が問題視され始めたのが,ここ20~30年の話であって,「虐待」は遥か昔から存在したことがわかる。
幼少期,あるいは物心がつく年齢において最も身近な支えとなるはずの保護者から愛されず,無邪気に過ごせる子供時代を送ることが不可能だった彼ら/彼女ら。例えば,「虐待」の事実はずっと誰にも言えないまま癒えない心の傷として残る。そして,それを隠し続けたまま大人になっていく。それでいながら,彼ら/彼女らは無意識に,しかも,力強く「自分の親から虐待を受けていた」事実を否定するのである。それは,それが当たり前の日常であるという現実を過ごしているからだ。また,「孤立」している場合もあり[2]参考:「虐待の基礎的理解」(文部科学省,【何が虐待を招くのか】③家庭の要因~外部のネットワークからの孤立,p.14),周囲とのつながりが遮断されてしまっているために,自己の生活と周囲の生活とを比較する術がなく,自身の現実を不思議に疑うことすらできないのだ。
私は,一読後,「これは「毒になる親」からの「児童虐待」だけの話ではなく,「いじめの問題」や教師による「体罰」も同様だ。」と思った。
- 児童虐待…①身体的虐待,②性的虐待,③ネグレクト(保護の怠慢)及び④心理的虐待の4種[3]「虐待の基礎的理解」(文部科学省,p.2)
- いじめ…児童等に対して,当該児童等が在籍する学校に在籍している等当該児童等と一定の人的関係にある他の児童等が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって,当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているもの[4]いじめ防止対策推進法(平成二十五年法律第七十一号)施行日:令和二年四月一日(令和元年法律第十一号による改正)
- 体罰…〔前略〕(1)により,その懲戒の内容が身体的性質のもの,すなわち,身体に対する侵害を内容とする懲戒(殴る,蹴る等),被罰者に肉体的苦痛を与えるような懲戒(正座・直立等特定の姿勢を長時間にわたって保持させる等)に当たると判断された場合は,体罰に該当する。[5] … Continue reading
「虐待」,「いじめ」,そして「体罰」は,不幸にも「繰り返される輪廻」として,人から人へと連鎖する。それは,定着した「行動パターン」が人から人へと伝染するからだ。最終的に苦痛を受けた人が「死」を選択するケースは数えきれない。今も,きっと,どこかで,その「連鎖」が稼働している。
“TOXIC”には「有毒な」,「中毒(性)の」という意味がある。本書では“PARENTS”に限定して掛かっているが,“PARENTS”は“FRIEND”にも,“TEACHER”にも置き換えることができる。
私たちが「毒になる親(友人,教員)」にならないためには,私たち一人一人が他者を介して自己を振り返り見つめ直しながら,自己の課題を自ら解決し,自己を成長させるしかない。その時に必要な力が,多面的・多角的・総合的にモノを見,考える力なのである。
大人がそうした力を身に付け,他者と積極的につながり,協力・協働しながら「子供」の可能性やチャンスを最大化させていくことが喫緊の課題なのだ。その課題解決は明るい未来を約束してくれることだろう。
今,すぐに「すべての大人」が意識を変えなければならない。
つづく
【執筆後の振り返り】
上掲の書籍から「道徳心」と「人権教育」の重要性についても学んだ。
【塾長のつぶやき】
「親ガチャ/子ガチャ」といった,ある種,言表上の狭い運命(論)的巷間言説の有するフレームを超えた問題。
本日記記事を拝読して,まず(当方の)脳裏に浮かんだ言葉である。
次に,思ったこと。
「すべての大人」には,当然のこと,教職員が含まれる。したがって,
今,すぐに「すべての大人」が意識を変えなければならない。
は,
今,すぐに「すべての教職員」が意識を変えなければならない。
と読み替えられる。
だから,〈学び続ける〉必要があるわけだ,ということ。
〈学び続ける〉とは,他者を介して自己内に多視点を形成し,社会生活・文化上のコンテクストにおいて,それらを的確かつ精緻に統合・捨象した上で,言動として実践・問題解決➡リフレクション(振り返りと見通し)をリフレーンするとともに,そういったコンテクストやフレームを〈相対化〉できる一様相のこと。
然もなければ,意識は変革せず,そこに〈ホンモノの教員〉は存在しない…ということ。
「語り手」と「作者」
【塾長のつぶやき】
以前のブログにも認めたことである。読者の中には,次のように思われる(憤慨される?)方がおいでだろう。
「なぜ「語りの構造(≒「語り手」を意識して読む読みの行為)」で読む必要があるのか?」
この点がいつも気になる。
それは問題解決学習で育成する/問題解決学習がねらいとする学力と等価的な〈学力〉を育成する読みの行為だからだ。したがって,現行の学習指導要領(特に,学習者の発達段階から「高等学校 国語」)にお目見えしたと解することができる。
おっと,この解説はここまでにしておこう。「文章を書くことは容易ではないということである。」と謙遜されながらも(笑),今後,本シリーズを語り続けるであろうさくら先生の御株を奪ってはいけないから…(笑)
[追記]
「作者」が「語り手」をコントロールしたり,また「語り手」にコントロールされたりするのか? 「作者ー語り手」間に介在する「話者」の存在を考える必要があるだろう。
【関連ブログ】
国語教育のみならず,現代の教育が児童生徒に養わなければならない能力は,大人が身に付けるべき能力でもあった。塾長が自らの修士論文において20年前に指摘した現代を生きる者の課題とその解決の一方途。それらが今次改訂の新学習指導要領及び解説(国語)に。「語りの構造読み」から展開する独自の教育論をご堪能ください。
新学習指導要領(国語)に初お目見えした「語り手」概念を解説する第2弾。今回は,特に「語りの構造と語り手の視点」について概説します。しかし,本ブログシリーズの目的は国語教育の推進だけではございませんので要注意。来たるべき一元論的トランスモダンの時代を如何に《生きる》か,その壮大な究極的命題に挑むことが最たる目的なのです。
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