「目指せ,300字!~塾長を寝かせない~」第6弾は新シリーズ「小論文過去問」です。
「小論文」対策の重要性
教採ネタ
教員採用候補者選考(以下「教採」と表記)で合格を目指すのならば,教職教養及び専門教養で高得点をたたき出すことも大切です。しかし,年々,教採は人物評価重視にシフトする傾向にあります。その理由は,これまでの教育のよさとこれからの教育を見据えた不易流行とを大切にしながら,時代の変化とともに求められる(学習者に身に付けさせたい)学力が変化しているからです。――現代の学力(観)は学校教育法第30条第2項に規定されています。――
教採は,教採の受験者が「確かな学力」を身に付け,教師としての資質・能力を備えているかを見極めます。そのために「論作文・小論文」は受験者の教師としての資質・能力を多面的・多角的・総合的に捉える格好の選考項目と言えます。したがって,重要視されていると考えられます。「論作文・小論文」演習を活用して,まずは自らの「言語(運用)能力」を鍛えることが〈ホンモノの教員〉への第一歩であるし,合格への道だと考えます。
つづく
【執筆後の振り返り】
教員養成私塾「鍛地頭-tanjito-」で,「言語(運用)能力」を鍛えるべし。(言語(運用)能力対策=小論文対策≒面接対策…なり。)
塾長のつぶやき
さくら先生のブログを読み味わっていただくために,読者の皆様にいくつか質問してみます。
教員採用候補者選考(以下「教採」と表記)で合格を目指すのならば,教職教養及び専門教養で高得点をたたき出すことも大切です。しかし,①年々,教採は人物評価重視にシフトする傾向にあります。その理由は,これまでの教育のよさとこれからの教育を見据えた ②不易流行とを大切にしながら,時代の変化とともに求められる(学習者に身に付けさせたい)学力が変化しているからです。――現代の学力(観)は ③学校教育法第30条第2項に規定されています。――
塾長のつぶやき
さくら先生は上記質問事項の「1」~「4」の所謂〈正解〉について当塾で学んでいる。その〈学び〉を背景に本ブログを綴っている。
因みに,「不易流行」を「不易/流行」の二項対立で解答するような思考性では「令和の日本型学校教育(答申)」は(ホントウの意味で)読めない。
教採は,④教採の受験者が「確かな学力」を身に付け,教師としての資質・能力を備えているかを見極めます。そのために「論作文・小論文」は受験者の教師としての資質・能力を多面的・多角的・総合的に捉える ⑤格好の選考項目と言えます。したがって,重要視されていると考えられます。「論作文・小論文」演習を活用して,⑥まずは自らの「言語(運用)能力」を鍛えることが〈ホンモノの教員〉への第一歩であるし,合格への道だと考えます。
塾長のつぶやき
合計7問を出題してみた。出題の内容をお読みになって,「教採の出題として成立しない。冗談だろう。」と思われた方も数多いのではないだろうか。確かに,こうした質問が教採選考で訊かれることはほぼあるまい。
しかし,普段,教採に合格するためだけに「まなび」を進められている方にとっては貴重な質問事項なのである。
ご経験がおありであろう。教採に合格するためだけの知識注入型の「まなび」を行っていると,眼前の(諸教育事象が織り込まれた)多面的・複合的な問題に対して,(即座に)それらの知識が統合化できないことを。それは当たり前だ。そのような「まなび」では単発的に詰め込んだはずの知識が,脳裡の暗い海にバラバラの断片となってプカプカ浮かんだ状態になっているのだから。
上述した7問の所謂〈解答〉を求める旅は,それらプカプカ浮かぶ知識の断片を〈つなぐ〉手続き的な知識に誘ってくれるのである。
優先順位からすれば,7問に例示されるような問題について思考を巡らせる方が先だ。〈ホンモノの学び方〉を身に付けた教員であってほしい。
〈ホンモノの学び〉が何であるかを理解し,〈真正な学力〉を身に付けた教員こそが,教壇に立つべきである。そうでないと,乳幼児・児童・生徒が可哀想だ。
「語り手」をみいつけた!
「語りの構造読み」
「目指せ,300字!」第7弾は「「語りの構造」読み」シリーズです。
本稿も前稿と同様,作品世界に住まう「語り手」の存在について綴ります。
私は「お月さまと コロ」(文部科学省作成教材,『わたしたちの道徳 小学校1・2年』,pp.48-51,以下「A」と表記)と並行して「ごんぎつね」(新美南吉,小学館文庫,1999.12,pp.125-144,以下「B」と表記)を「語りの構造」[1]さくら註:追々塾長と共に,ブログ教材で説明していきます。後出の「対比的で構造的な板書」についても同様です。で読み,「対比的で構造的な板書(計画)」を作成後,Special Team[2]塾長註:当私塾のシンクタンク。メンバーで実践的な教育研究及び憩いの座談会などを行っている。に提案しました。
その前段階として,まずは「語り手」を見つける作業から始めたのです。
塾長:「語り手」はどこにいますか?
塾長が「物語」(教材)の時流に沿って,場面ごとに執拗に訊ねられた質問です。 私は,その質問にイラストを用いて解答しました。
ここで,「お月さまと コロ」と「ごんぎつね」の本文を引用し,その様子を少しだけ再現してみます。
コオロギのコロは,自分の思い通りにならないと,すぐに怒ったり文句を言ったりします。
上掲書A,p.48
私:主人公の「コロ」がいます。「語り手」は,恐らく「コロ」の周囲のどこかにいると思います。そして,私たちに「コロ」についての性格上の説明(紹介)をしてくれています。
これは,私が小さいときに,村の茂平というおじいさんからきいたお話です。
上掲書B,p.126
私:「語り手」は,冒頭,作品世界に顔を出して,私たち「読み手」に「『ごんぎつね』は(実体を伴わない)作中人物である「茂平」から聞いた話だ。」と教えてくれています。「語り手」は登場人物とは異なり,作品世界でも実体を伴わない存在で,まるで映画やドラマのナレーターのようです。
塾長:いいですね。そのように読み解いていくと,自然と「語り手」の存在が(読み手の中に)意識化されてきますよ。
実のところ,私は塾長の道案内で「語り手」探しの旅に出発したばかりなのです。それでも,「語り手」の存在に気付くことはできました。
これからも長旅は続きます。
「「語り手」をみいつけた!」
つづく
【執筆後の振り返り】
次回は「語り手」と「作者」との違いについて綴ってみたいと思います。
【塾長のつぶやき】
愈々,「語りの構造読み」の旅が始まりました。何の目的でこのような〈読み〉の行為が必要になるのかと思われる方が数多いでしょうね。その辺りは文学教育の必要性ともかかわる大切な問題を抱えていますから,追々,お話していくことにしましょう。――「まずは,乳幼児・児童・生徒ありき」なのだから,その点から述べて,こうした〈読み〉は文学教育と共に,とても重要なのです。それは時代が必然的に求める〈読み〉だと言って良い。まあ,追々ということで。――
それにしても,さくら先生,次回に,もう,「「語り手」と「作者」との違い」について語られるおつもりですか💦 「語りの構造読み」の一つの急所に一挙に切り込まれるのですね! こりゃあ,大変だ!! 当私塾のブログ教材を読み直しておこうっと…。
「語りの構造読み」シリーズ
国語教育のみならず,現代の教育が児童生徒に養わなければならない能力は,大人が身に付けるべき能力でもあった。塾長が自らの修士論文において20年前に指摘した現代を生きる者の課題とその解決の一方途。それらが今次改訂の新学習指導要領及び解説(国語)に。「語りの構造読み」から展開する独自の教育論をご堪能ください。
新学習指導要領(国語)に初お目見えした「語り手」概念を解説する第2弾。今回は,特に「語りの構造と語り手の視点」について概説します。しかし,本ブログシリーズの目的は国語教育の推進だけではございませんので要注意。来たるべき一元論的トランスモダンの時代を如何に《生きる》か,その壮大な究極的命題に挑むことが最たる目的なのです。
© 2021 「鍛地頭-tanjito-」
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