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キャリア教育(vol.55)

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キャリア教育(vol.55)
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教採・受講相談会(無料)

「鍛地頭-tanjito-」は「まずは,乳幼児・児童・生徒ありき」の基本理念を理解され,堅固な〈学縁〉で結ばれた,共に学び合う学友を求めています。したがって,本務者,教採受験主体及び一般といった枠組みを問わない〈学び〉のご縁をお待ちしております。是非この機会に当私塾とのネットワークを形成してください。そうした趣旨の下,学校教育,教員採用候補者選考及び当私塾にかかわっての「対話」の場として,本会を企画いたしております。随時,お申し込み可能。〈学びの絆〉をお待ちいたしております。(塾長)

詳細についてはこちらをご覧ください。

註:本会にお申し込みと同時に,本会の実施要項及び「「鍛地頭-tanjito-」規約」に合意があるものと見做します。

 1 塾生による投稿ブログ

「さくら先生日記」を先日〔12/4(土)〕アップロードした。早いもので5号を数える。

今回は昨夏当私塾から教員採用候補者選考(以下「教採」)に合格され,今春4月から本務者として小学校で活躍されているSpecial Teamのメンバー,養護教諭のI先生の投稿をご紹介したい。

I先生は学生時代,全国レベルのアスリートであった方で,実践力・行動力及びシャープに切れる創造力に特に秀でた先生である。しかも,先生の語りには老若男女問わず惹き込まれてしまう。(塾長註:I先生,近いうちにボイスでのご登場をお待ちしております。)

本ブログは日常的に「まずは,乳幼児・児童・生徒ありき」を体現されている先生のご実践に根付くものであり,貴重な提言とも言えるものである。

                                       塾 長

(1) 情報収集のすすめ(執筆者:I先生)

毎日保育園に子供を送り出した後,慌ただしく出勤,気がつけば夕方になっていて,「お迎え」の時間を気にしながら仕事をしています。先生方のご協力をいただきながら,残っている仕事の優先順位を付けて取り組むことで,なんとか仕事をこなしています。

私は職員室で児童を中心とした情報を得ることが多いのです。また,普段から気になる児童のちょっとした情報を,立ち話の中で得ることができています。「常時保健室に一人でこもっていたならば,得られない情報がこんなにあるんだ。」ということに気づいたからです。

先日もこんなことがありました。

修学旅行の事前指導として,女子児童を対象に保健指導を行いました。それ以外の指導は予定していなかったのですが,急遽入浴指導をしてほしいというお話が持ち上がったのです。職員室で「最近の小学生にはこんな傾向がある」とか,「コロナの影響で去年宿泊学習をしていないことの影響がある」とかなど,そんな話をしていた時でした。「温泉や銭湯など入り方がわからない,入ったことがない子がいる。」,「養護の先生から話してもらえるとありがたいな。」といった声が上がったのです。その結果,そうした方向で話がまとまったのです。

初めての入浴指導は,朝学習の時間を使って行うことができました。その入浴指導については,以下のとおりです。

入浴指導
  • 「朝学習の時間」での具体的な方法
    マンガで学ぶ「はじめての銭湯」:お風呂を楽しむ『湯の国』

    こちらの無料冊子を印刷し,配付しました。伝えたい部分だけ説明し,「修学旅行のしおり」に挟めるような形にしておきました。(後で確認したい児童もいると思ったためです。)

    お風呂に持って行くグッズなど,イラストを印刷したものを黒板にはりました。(「思いつく物を児童に発表してもらえばよかったかな。」とも思います[1]塾長註:同感です。児童の実態という文脈を教職員でしっかりと捉えることが必要だとは思いますが。。)
  • 指導の留意点
    朝学習の時間だけだったので,短くわかりやすく伝えるために,掲示用のイラストを用意したり,お風呂セットの実物を持参して見せたりしました。また,濡れた体のまま脱衣所に戻ることがどうしていけないのか,どうして湯船にタオルを入れてはいけないのかなど,マナーをしっかり守ることで,他の人への思いやりを持ってほしいということを伝えるようにしました。

さて,こうした日常的な情報連携の利点をどのように考えているかということについて。

養護教諭は授業中の様子やクラスの様子など,わからないことが多いです[2] … Continue reading。担任の先生と(少しでも良いから)話すことで,児童の特徴や,どんなことに困っているかなどの情報を得る機会がたくさんあります。そのような情報を持って児童に対応すると,情報一つ一つがパズルのピースのような感じとなり,つながったパズルの面として児童を理解した上で,対応することができます。例えば「困っていることをなかなか自分から言いにくい児童なんだよね。」といったことを聞いた場合には,その児童が保健室に来室した際,体調不良の原因として思い当たることはないか,悩み事はないか,などそれとなく聞き出すことができます。

保健室でこもって仕事をしていると,私自身はとても仕事が捗るわけです。しかし,職員室にいると得られる情報が多いので,敢えて職員室にいるようにしています。もちろん,保健室での仕事を疎かにしてはいけませんが。

保健室と職員室の機能を両方とも生かしながら,児童生徒のための情報を集めて生かしていきたいな。

そんなことを日々感じながら仕事をしています。

(2) 塾長のつぶやき

少し前のこと,I先生は当私塾での〈学び〉を振り返り,次のようなコメントを届けてくださった。

(前略)(当私塾の)すべての学びが「児童生徒」へつながっているということを実感できました。ただ単に「覚える」,「試験に合格する」ということだけでなく,合格後にも発揮される力をつけてもらったと感じています。一言に「教職教養」と言っても,生徒指導,学習指導要領などの分野だけにとどまらず,すべてがリンクし合って作用し合っている,と実感できる学びだったと感じています。

「〈学び〉への責任と〈学び〉への〈あなーきずむ〉(vol.49)」(小桝雅典,BLOG「鍛地頭-tanjito-」,2021.9.21)

鍛地頭で学んでから,自分がどういった考えで教員になりたいのか,非常に明確に,具体的になりました。恥ずかしながら,これまではそれほど深く考えていなかったように感じます。理想としてはビジョンがあったと思いますが,「では具体的にどのようにするのか」,「この勉強がどのように生かされるのか」,「児童生徒にどのような力をつけられるのか」というところまでは至っていませんでした。それを一つ一つ,深く考え,自分自身と向き合っていくことで明確になりました。合格ももちろん目指す部分ではありましたが,鍛地頭で学ぶことでもっと先を目指せるようになりました。

同上

今回,投稿いただいたブログとこれらの〈学び〉のリフレクションとを比較して読むとき,「まさに有言実行!」と思わず,首肯してしまうのである。その根底には〈教育愛〉がある。

「まずは,乳幼児・児童・生徒ありき」

「乳幼児・児童・生徒が大切だ。」,「乳幼児・児童・生徒のために頑張っている。」と口ではいくらでも言える。――それさえ言えなくなっている/言わなくなっている教職員だって数多くいる。――大切なことは,それらが〈不二〉の如く[3]「〈不二〉の如く」と語ることで〈不二〉ではなくなっている。自らの教育活動で実践されることである。

それを〈ホンモノの教職員〉と呼ぶ。

講義の中で口を酸っぱくして述べている。

「万事,つくづく均衡バランスが大切だと思う。」と。

そして,「その均衡を保つことが何より難しい。」と付け加える。「均衡を保つ」には社会的・文化的枠組みを含む他者とのつながりを〈相対化〉できる資質・能力が必要になる。だから,極めて難しいのだ。――だが,現行学習指導要領が求める地平の向こう側には,その〈相対化〉を可能にする資質・能力の育成があるように思えてならない。その左証が現行学習指導要領解説(道徳編など)に頻出する「つながり」の(類の)言表群である。――

学校で教育活動を営む「場」としての保健室と職員室。それらは学校総体として実践する教育活動に包摂されたそれぞれのフレームを形づくっている。大きなフレームと(それに包摂される)小さなフレーム。力量のある教職員ならば,それぞれのフレームを〈相対化〉しつつ,さらにそれぞれの連関性をも〈相対化〉しながら種々の教育活動を共時的・組織的に営むものだ。だからこそ,総合的,かつ,俯瞰的な視点(システム思考)から自らの,そして学校総体の教育活動を教職員としての自らの活動として多面的・多角的に捉え,実践することが可能となる。そうした営為は一教職員の,そして学校総体としての教育活動に係る均衡を調整するのだ。――このような教職員としての資質・能力は学校における働き方改革を推進する原動力となるはずだ。――

「保健室と職員室の機能を両方とも生かしながら,児童生徒のための情報を集めて生かしていきたいな。」

I先生のこの言述は大小のフレームを〈相対化〉した先に見える,全ての教職員が向かわなければならない唯一の普遍的な光景を見据えつつあるような気がする。

「そのような情報を持って児童に対応すると,情報一つ一つがパズルのピースのような感じとなり,つながったパズルの面として児童を理解した上で,対応することができます。」

とても印象深い言述である。学校という「場」になぜ複数の教職員が存在するのか。この言述に一つの解があると思う。

一教職員の内に生じる(児童生徒理解のための情報に係る)「点」が「面」となり,「多角形」を為す。それら一人ひとりの教職員が「点」となり,「面」となり「有機的な多角的集合体」を成す。これが機能して組織としての学校と成る。

本ブログには職員室で行われた「修学旅行前の事前指導」のくだりがあるが,一つひとつの教育活動が教職員間の情報連携等を通して日常の中で熟成され,校長のリーダーシップの下,組織的に行われてこそ,「学校としての教育活動」と相成るのである。

場面指導Weekly解説ルーム
受講者募集

(定員 30名)

本講座は場面指導対策として学校現場で頻発する教育事象を採り上げながら,多面的・多角的・総合的に対象を捉え(システム思考),学校現場で生きて働く指導原理・指導方法・根拠法等を教職歴29年の塾長が解説する講座です。学校教育のあらゆる角度から一教育事象を掘り下げ,理論的・実践的に考究することから,教員としての資質・能力の基礎を育成することができます。また同時に,筆記選考と人物評価選考との両者を兼ね合わせた対策を行います。つまり,教員研修を基盤とした〈新しい時代〉の新しい教員養成講座というわけです。乳幼児・児童・生徒のために,そして,教員を目指すあなた自身のために〈ホンモノの実力〉を本講座で身に付けましょう。

講座日程・講座数

令和4(2022)年2月26日(土)から同年7月9日(土)まで
毎週土曜日
午後8時00分から午後10時00分まで
全20講座

お申込期間

令和3(2021)年11月2日(火)から同年12月28日(火)まで

詳しくはこちらをご覧ください。

 2 研究と修養,そして職責

当私塾ではSpecial Teamのメンバーに,時折,書籍,論文及びネット記事等の紹介・情報提供を行う。メンバーはMicrosoft Teamsの「「鍛地頭-tanjito-」グループ」内で結び付いているから,そうした紹介のチャットをちゃっと飛ばすのである。

「鍛地頭-tanjito-」はとにかく教員に専門性を含めた,幅広い意味での〈学力〉を付けなければならないと主張し続けています。無論,その〈学力〉の中には,豊かな人間性も含まれ,「鍛地頭」の「地頭」をわざわざ「総合的な人間力」と定義しているほどです。

どれだけ教育システムを変えようが,「学校における働き方改革」を進めていこうが,教員に〈学力(=実力)〉がない限り,職責は全うできないのです。つまり,乳幼児・児童・生徒が置いてけぼりになるわけです。(後略)

塾長からSpecial Teamのメンバーへのチャット,2021.12.02 22:03

このチャットは「皆さんからの10の質問にお答えします!(「令和の日本型学校教育」を担う新たな教師の学びの姿の実現に向けて(審議まとめ)に関するQ&A)」(文部科学省,総合教育政策局教育人材政策課)を情報提供したときのチャットの鑑文(一部抜粋)である。

「わざわざ(文科省が教育公務員の)「研究と修養」の大切さを喧伝しないといけないのか。何のために教育公務員となっているのか。嘆かわしい。」

第九条 法律に定める学校の教員は、自己の崇高な使命を深く自覚し、絶えず研究と修養に励み、その職責の遂行に努めなければならない。
2 前項の教員については、その使命と職責の重要性にかんがみ、その身分は尊重され、待遇の適正が期せられるとともに、養成と研修の充実が図られなければならない。

教育基本法

第二十一条 教育公務員は、その職責を遂行するために、絶えず研究と修養に努めなければならない。

教育公務員特例法

そのように思っていた矢先のことだ。セレンディピティーは起こった。こうした類のセレンディピティーはあまり歓迎したくない。

それは当私塾のSpecial Team内で行っている「教育研究の鍛地頭(協働研究)」にかかわって,メンバーに研究テーマに沿った論文を紹介しようと,J-STAGEの検索で引っ掛かった論考を何気なく目にしていた時のことだった。

2017年告示の小学校学習指導要領では,「主体的・対話的で深い学び」の実現に向けた授業改善が求められている。しかし,学校現場では,「主体的・対話的で深い学び」についての理解が浸透していない。実際,第一筆者が所属する自治体の学校や研究会等でも,児童が「主体的・対話的で深く学ぶ」ことの意味について疑問を訴える教師が多い。

「小学校社会科における児童が主体的・対話的で深い学びの実現に向けた学習過程モデルの効果」(木村明憲・黒上晴夫,教育メディア研究 Vol.27, No2, 1.問題の所在,pp.133-150)

どういった性質の「疑問」かは解らない。しかし,これまたどうやら歓迎される「疑問」ではなさそうだ。

こうした現状が抱える困った・・・問題を解決するに及んで,教職員が学ぶことのできる環境づくり(例えば,業務削減・人員確保等)を目指すことは必要なことである。しかし,それは唯一ではないし,絶対ではない。また,現職教育だけで片付く問題でもない。

「養成教育―教採―現職教育」の系統的な連携に基づいた総体としてのフレームの構築が喫緊の課題なのだ。特に,コネクションに当たる「教採」の位置付けは肝要で,それは全面的に見直されなければならないし,既に見直しは(一部)始まっている。このフレームの構築と教採の見直しは既に瓦解を始めている公教育にとっては死活問題と言える。

公教育を「公教育」だけのフレームで捉える二項対立の思考では,最早,公教育の瓦解を止めることはできない。世相にその気運は感じられつつあるが,「公/民」の連関をトランスしてこそ,〈公〉による〈教育〉が可能となるのではないか。だが,自由競争主義が土台では,その実現は土台無理な話となる。

研究と修養に無縁の困った・・・教職員の問題は,AI(ロボット)と〈ホンモノの教職員〉との〈協働〉・〈共創造-co-creation-〉とそうした時代の趨勢が自然淘汰を生み,解決に向かうのではなかろうか。

そのためにも〈研究〉と〈修養〉が必要なのかもしれない。それは「職責」と取り立てるまでもなく,「職責」を超越した〈職責〉なのである。

 3 近頃の「鍛地頭-tanjito-」―ICT無料研修会―

塾生・受講生との「対話」は貴重である。

先日,ある塾生とマンツーマンの講座で「対話」を持っていて,はたと気づいた。

「宝の持ち腐れだ!」

ディスプレイの向こう側にいる塾生は某地方自治体のICT支援員だ。現在,当私塾では各部門(教育研究の鍛地頭(個人研究・協働研究),教育研究部会(家庭科専門部会)など)において,授業を初めとする教育活動のねらいを達成する効果的なICT支援が話題となっている。どうやら学校現場で困惑・試行錯誤しているらしい。――とは言え,家庭科専門部会のメンバーの中には,指導主事を招いて,見事な研究授業を行った者もいる。――

「当該塾生から学ばないでどうするんだ⁉」

思い立ったが吉日。

かくして,当私塾内でICT研修会を企画することにした。その企画もメンバーと共に考えて創り上げる。だから,現在[4]令和3(2021)年12月6日(月)時点,メンバーの叡智を吸い上げるためのアンケート調査を実施している。研修会の目的を確と共有し,何をどのように学ぶのか,メンバー各自の考えを集約しているのである。

勿論・・全て無料・・・・である。だって,何たって,〈学び〉の私塾なのだから。

1回だけの研修では終わらない。シリーズ化する。しかも,参加者には現場で生きて働くクリスマスプレゼント又はお年玉を用意するつもりだ。

自主研修としての研修主体となる当該塾生に厚く感謝申し上げます。

[追記]
授業を初めとする教育活動にICTを導入することを目的としてはならない。教育活動にはそれぞれにそのねらいというものがある。ということはだ。今回企図しているICT研修会は教育課程・教育方法論を初めとする総じて授業論がメインとなる研修であることを,当私塾のメンバーは理解している。かと言って,研修形態は講義ばかりではない。協議・演習もふんだんに盛り込んである。実践的に行いましょう。はい。

 4 「論作文・小論文」選考・問題を〈相対化〉する―キャリア教育―

 あなたはキャリア教育をどのように進めていきますか?

塾長の述懐

論作文・小論文の「つれづれ〈相対化〉シリーズ」。相も変わらず,心に移り行くよしなしごとをそこはかとなく綴ることにする。

いつものように,問いはざっくりとしたリード文とした。本問は面接練習でも使えそうだなあ。

「生きる力」,「キャリア発達」,「発達段階・発達課題」,「社会的・職業的自立」,(4領域12能力→8能力→)「基礎的・汎用的能力」,「人間関係形成・社会形成能力」,「自己理解・自己管理能力」,「課題対応能力」,「キャリアプランニング能力」,「勤労観・職業観」,「在り方・生き方」,「自己理解」,「自己有用感」,「体験学習」「言語活動」,「全体計画」,「年間指導計画」,「キャリアパスポート」,「ポートフォリオ」,「地域連携」……キーワードと思しき言表は枚挙に遑がない。だからと言って,それを論述したい自らが定める(小)テーマに即して選択し組み合わせても(小)論文にはならない。ましてや一つひとつの所謂キーワードの概念が脳裏で定着せず揺らいでいたら…。

仮に,当私塾の塾生が本問に対して,次のような主旨で論述したとする。

「自己理解を促進するために,キャリアパスポートを活用し,ポートフォリオを作成させる。」

そうすると,塾長に必ず問われる。

塾長:キャリアパスポートを活用し,ポートフォリオを作成したら,自己理解が促進されるの? なんで?

塾生:………………💦

塾長:だから言ったじゃない。キーワードを羅列したって小論文にはならないって。「自己理解が促進される」理屈を論理化(・できれば実践化)し,自分のものにしないと。教採という狭い土俵上の小論文を書くことだけを目的にしてはいけないって👹

そして,ここから塾生と塾長との熱い「対話」が始まる…。言うなれば,これが「鍛地頭-tanjito-」の添削+リモートによる小論文指導の一幕だ。

 5 ポッドキャスト

重要

本問の解答として,「体験学習」の重要性及び「児童生徒の将来の夢と学業とを結びつける」と言述する解答文について,塾長がつぶやいています。

キャリア教育(体験活動・自己の将来と学業との結びつき)
キャリア教育(体験活動・自己の将来と学業との結びつき)

仮に,当私塾の塾生が本問に対して,次のような主旨で論述したとする。

「地域社会と連携し,人間関係の大切さを学ばせる。」…(A)

そうすると,塾長に必ず問われて…。

「地域社会と連携したら,人間関係の大切さが学べるんだ。なんで? どうやったら,そうなるの? その理屈は何? 「地域社会との連携―人間関係」の連関性・指導の論理(・実践)をきちんと理解していれば,「(A)」のような取って付けた表現に絶対にならないよ👹」

そして,ここから塾生と塾長との熱い「対話」が始まる…。言うなれば,これが「鍛地頭-tanjito-」の添削+リモートによる小論文指導の一幕だ。

教育研究の鍛地頭(個人研究部門及び共同研究部門)や塾生・受講生が日程,学習内容及び方法等を自由に定めることのできるカスタム道場の中で「道徳科の授業づくり」を扱うことが多くなった。つまり,塾生や受講生からそれだけ要望があるということだ。

そして,それらの研究会や講座の中で「キャリア教育と道徳科の授業・学校の教育活動全体で行う道徳教育(道徳教育の二重構造)との堅固な連関」について語ることも多くなった。

だが,キャリア教育との連関は道徳(教育)だけの話ではない。(=「教科等横断的」なる所謂キーワードだけを覚えていても何もならないということだ。)

仮に,当私塾の塾生が本問に対して,次のような主旨で論述したとする。

「社会の中で自らの価値や役割を見出させるようにする。」…(B)

そうすると,塾長に決まって問われる。

塾長:どうやって?

塾長:大体ね,(B)は小論の中での言述・・・・・・・・そのものが上滑りしているでしょう👹 この感覚が大切ね。

塾生:………………💦

塾長:だから,いつも述べているでしょう。文科(国研)もしくは各地方自治体が編んでいる「(教育活動の)実践事例集」を少なくとも読んでおきなさいって。

塾長:(B)を可能とする能力こそ,児童生徒・教職員を初めとする万人が養っておかなければならない資質・能力なんだよ。そこから時代のパラダイム・フレーム・他者とのつながりなどを〈相対化〉できる資質・能力が養えてくる。それは万人に真の〈自由〉を与えるんだ。そのためにも,「語りの構造読み」が大切なんだよ。

そして,ここから塾生と塾長との熱い「対話」が始まる…。言うなれば,これが「鍛地頭-tanjito-」の添削+リモートによる小論文指導の一幕だ。

「対話」を繰り返し,当方から度重なるリライトを求めるのだから,当然のこと,リライト料なんぞは要らない。塾生・受講生に〈学力〉を付けることが大切なのだ。

© 2021 「鍛地頭-tanjito-」


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