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〈学力〉形成とICTの利活用(vol.56)

オンライン教員養成私塾「鍛地頭-tanjito-」のブログ教材のアイキャッチ画像:〈学力〉形成とICTの利活用 一般ブログ教材
〈学力〉形成とICTの利活用
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場面指導Weekly解説ルーム
受講者募集

(定員 30名)

本講座は場面指導対策として学校現場で頻発する教育事象を採り上げながら,多面的・多角的・総合的に対象を捉え(システム思考),学校現場で生きて働く指導原理・指導方法・根拠法等を教職歴29年の塾長が解説する講座です。学校教育のあらゆる角度から一教育事象を掘り下げ,理論的・実践的に考究することから,教員としての資質・能力の基礎を育成することができます。また同時に,筆記選考と人物評価選考との両者を兼ね合わせた対策を行います。つまり,教員研修を基盤とした〈新しい時代〉の新しい教員養成講座というわけです。乳幼児・児童・生徒のために,そして,教員を目指すあなた自身のために〈ホンモノの実力〉を本講座で身に付けましょう。

講座日程・講座数

令和4(2022)年2月26日(土)から同年7月9日(土)まで
毎週土曜日
午後8時00分から午後10時00分まで
全20講座

お申込期間

令和3(2021)年11月2日(火)から同年12月28日(火)まで

詳しくはこちらをご覧ください。

 1 塾長の述懐

そんな時代・「そんな時代」と「ソンナ時代」

〔A〕
「学校が児童生徒に1人1台の端末を積極的に利活用するようになったんだってなあ。我々の時代には想像だにしない世界が,今や,学校に展開しているんだよ。」
「そんな時代になったんだよなあ。」

〔B〕
「2030年は一層”VUCAな時代”になるって予測されてんだってなあ。より「予測困難で不確実,複雑で曖昧」な時代になるんだそうだ。」
「「そんな時代」に向けて,今から準備しておかなければならないコンピテンシーって何なんだ?」

〔C〕
「価値観は人サマザマだ/よ! 何をやっても・・・・・・(言っても)自由だ/よ! 「ソンナ時代」だぜ/わ!」

明らかに「A」,「B」及び「C」それぞれの「so・n・na・zi・dai」が構築する言説は異なる。語る主体の思考/嗜好のベクトルで大別するならば,「A・B(=外)」vs「C(=内)」である。

もう少し詳細に吟味して,時代のパラダイム(フレーム)の〈相対化〉を基軸に据えるならば,「A」,「B」/「C」だ。

ただし,そうした基軸を据えたとしても,〈相対化〉後,意図的・意識的に「C」を唱える者もいるだろう。

確かに「価値観」は「多様化」している。

しかし,「C」を語る主体に「「価値観」って何だ?」と尋ねて,即答できる者が何人いるのだろう? 「「価値観」って,どうやって形成されるんだ?」,ついでに「「自由」って何だ?」――教職員(になるの)ならば,これらの問いに即答できなければならない[1] … Continue reading。職務・職責に直結する問題だ。因みに,即答できないのであるならば,急いで現象学に学ぶべし。――

どちらにせよ,「C」の言述を体現すれば〈不自由〉になる。鯔のつまり,自分自身が困るのだ。凡そ,「自分自身が困る」と特に〈困る〉のが「C」の言述の体現者ではないのか?

時代のパラダイム(フレーム)を見ようとせず(見て見ぬ振りをする,又はその存在にさえ気づかない),「C」の言説を体現し,自らだけに通用する「ラク(楽)トク(得)」及び「自我中心主義に根差す似非-正義」のメジャーを抱えるなど,内向するベクトルを所有する者は「他者とのつながり」が希薄になるか,既に喪失・欠損しているのである。

なぜならば,多くの場合,「他者とのつながり」の〈相対化〉が希薄か,できないからだ。つまり,多視点を持って,多角的・多面的・総合的に「つながり」とつながらない・つながれないということだ。だから,「C」の言説の体現者はアトム化する。

したがって,そうした体現者の集団は,見かけはつながり合う「仲間」のように見えて,実際のところ,集合時点で既に「裏切りの構造」を内包した集団と言える。集団としての結束力は至って脆弱だ。自己内の「ラク(楽)トク(得)」・「自我中心主義に根差す似非-正義」メジャーが自己を教祖とする唯一絶対の経典なのだから,自己が自己にとって「苦(損)である」と判断したことには断固として抵抗し,利害関係で自己に抗う者(「仲間」として手を結んだはずの相手でさえ)に制裁を加えようとする。そこに真正の相互理解を基調とする「他者とのつながり」は介在しない。

万一,「C」の体現者が教職員(集団)や教職を目指す者(の集団)であるならば…。そうした現実はないか? そうであるならば,乳幼児・児童・生徒はスケープゴートとなる。

〈ホンモノの教職員〉ならば「ソンナ時代」などと決して言述することはない。少なくとも「A」+「B」の言説を体現し,「そんな時代・「そんな時代」(の枠組みそのもの)」を〈相対化〉した上で,その地平の先に見える〈新しい教育〉を見据えているはずだ。

教採・受講相談会(無料)

「鍛地頭-tanjito-」は「まずは,乳幼児・児童・生徒ありき」の基本理念を理解され,堅固な〈学縁〉で結ばれた,共に学び合う学友を求めています。したがって,本務者,教採受験主体及び一般といった枠組みを問わない〈学び〉のご縁をお待ちしております。是非この機会に当私塾とのネットワークを形成してください。そうした趣旨の下,学校教育,教員採用候補者選考及び当私塾にかかわっての「対話」の場として,本会を企画いたしております。随時,お申し込み可能。〈学びの絆〉をお待ちいたしております。(塾長)

詳細についてはこちらをご覧ください。

註:本会にお申し込みと同時に,本会の実施要項及び「「鍛地頭-tanjito-」規約」に合意があるものと見做します。

 2 近頃の「鍛地頭-tanjito-」―「聞く力」「話す力」「読む力」「書く力」の育成―

(1) 〈学力〉形成のメカニズムと真正の評価

先日のこと,今夏,当私塾から東京都の教員採用候補者選考に合格されたH先生(高・電気)との「対面指導」[2]合格道場」の受講生とマンツーマンで「対話」を持つ毎週土曜日のリモート講座のこと。がスタートするや否や,H先生が素早く口火を切られた。

H先生:「体験学習」が例に挙げられていましたが,(「体験学習」の)〈学力〉を形成するメカニズムを教員がしっかりと理解していなければ,何にもならない。ただ活動をしただけというレベルで終わります。メカニズムを理解して初めて真正な評価[3]この場合,「真正」は「authentic assessment」の「真正」を意味するのみならず,総体的に「ホンモノの」を意味している。ができるわけですし

塾 長:さすがです!

前回アップロードしたブログ教材の話(「キャリア教育(vol.55)」(小桝雅典,BLOG「鍛地頭-tanjito-」,5 ポッドキャスト,2021.12.10))である。

「キャリア教育(vol.55)」(小桝雅典,BLOG「鍛地頭-tanjito-」,5 ポッドキャスト,2021.12.10,再掲)
キャリア教育

H先生ご自身が(「体験活動」に関する)〈学力〉形成のメカニズムを理解されているからこそ,「真正な評価」の指摘ができるのである。

こうした〈学力〉も〈ホンモノの教員〉の〈学力〉の一様相なのである。

(2) 「聞く力」「話す力」「読む力」「書く力」の育成

塾長:「○次解答」に進んでください。[4]塾長註:個人OneNoteに記された塾生・受講生の所謂解答に対するリライトの際の結語文。
塾生:(Wow! またリライトだΣ( ̄ロ ̄lll)ガーン😨 いやいや,でも,がんばらなくっちゃ![5]塾長註:多分,そう思っているはず(笑)……ちゃうか!?(笑)

本ブログ教材シリーズで重ねて述べることである。「学習者にその種の〈学力〉を身に付けさせるのならば/身に付けさせたいのならば,その種の〈学力〉を指導者が身に付けていなければならない。」,「学習者に学び方を学ばせるのならば,指導者が種々の学び方を体得していて当たり前である。」,「そうでなくて,どうやって教育活動を営むの?」

確かに,そのために教職員は「情報活用能力」,「問題解決能力」及び「言語(運用)能力」を磨いていなければならない。――当私塾はこれら三者の能力を並列で言述できる概念とは考えていない。「言語(運用)能力」を基盤に他の二者は成り立つのである。――

これまた本ブログ教材シリーズで重ねて述べることである。「「言語(運用)能力」を磨くには,「聞く力」「話す力」「読む力」「書く力」の均衡を重んじた統合化による育成が必要である。」

したがって,当私塾の数多くの講座は「「聞く力」「話す力」「読む力」「書く力」の均衡を重んじた統合化による育成」を重視して構造化してある。

  • 「聞く力」:リモートによる「対面指導」で育成する。
  • 「話す力」:リモートによる「対面指導」で育成する。
  • 「読む力」:当私塾から課される課題を解決するために,各自,自主学習として必要な書籍や資料等を見出し,それらを熟読する。
  • 「書く力」:当私塾と個人的に共有するOneNoteに課題解決のため,自己の考えを綴り,繰り返し塾長の添削を受ける。

(中級以上の殆どの講座では,)これらの言語活動を課題(一問)ごとに行うのだ。したがって,一発で「(所謂)正解ですから,本問は終了です。」などあり得ない。また,そのような表層をなぞるような課題ではない。一つひとつの教育事象は複雑で有機的な構造体なのだから。だから,OneNoteに綴る塾生・受講生の言述はリライトを重ねることになる。

塾長:「○次解答」に進んでください。

こうした学習を積み重ねると,所謂一・二次両対策を均衡を保って同時に行うことができるようになるのである。

 3 近頃の「鍛地頭-tanjito-」―「鍛地頭-tanjito-」の誓い―

塾生A
塾生A

塾長,塾長は塾生・受講生一人ひとりへの指導の質を落としたくないとおっしゃって,当私塾内の人数制限,偽りのない少人数指導を貫いていらっしゃいますね。それは私たち塾生・受講生からするととても有り難いことなのですが,一人ひとりの塾生・受講生が多視点を形成する上においても,もう少し外部の方々と学び合いたいといった気持ちもあります。他の塾生・受講生にも同じ気持ちを持たれている方々がおられます。

塾長
塾長

「鍛地頭-tanjito-」を私腹を肥やすためにやっているわけではないからね…でもね,〈学び〉を深める上で,同様のことを考えていたんだよ。指導の質を落とさないためにも,却って塾生・受講生を増やすということが考えられるからね。ただし,そうやすやすと増やすわけにはいかない。

塾生B
塾生B

塾長の思いは解っていますよ。それは講座内で時折耳にする,苦しい心中を吐露した塾長の発言から伺えるのですが,「最終的には熱き〈教育愛〉があれば,教員としての専門的な力量は後からでも付いてくる。」ですよね。その熱き〈教育愛〉を育てるのも,うち(「鍛地頭-tanjito-」)の仕事だけれど,教員として最も大切な資質・能力を持った方々に当私塾の門を叩いて欲しい…そういうことですよね。

塾長
塾長

勿論,最初から〈教育愛〉に溢れる人材が当私塾の門を叩いてくれれば,言うことはない。しかし,それがなかなか難しいことはよく分かっている。今の世は「教採」と言えば,イコール「受験」だよ。「脱偏差値教育」が求められる中で,社会構造が「自由競争主義」に突っ走っているのだから,小学校受験・中学校受験・高校受験・大学受験とどっぷりと「偏差値教育」に浸ったままだ。そこで求められる能力は,最近,やや様変わりを見せ始めたというものの,やはり依然として如何に上手に定められた正解に辿り着くかを競う能力だ。必然的に「教採」に求められる能力も大方がその路線を走るようになるわけだ。「他者とのつながり」を欠いた人間が増えるはずだよ。〈教育愛〉は〈利他性〉に裏打ちされているんだ。

塾生C
塾生C

「問題解決能力の育成」が声高に言われても,試験のシステムそのものがまだ旧態依然としているわけですから,「上手に定められた正解に辿り着く能力」が高ければ,それが「全ての能力に優る」という言説の権威性を生じるわけですね。世間はまだまだ「地球は平べったい板だ。」と信じ込んでいる。仮に,そうではないと考えていても,主に自由競争の経済的な理由から社会のフレームに絡め取られてしまう。

塾長
塾長

地球は丸いのになあ。資本主義・帝国主義と科学の発展とが手を取り合ったように,自由競争主義とそれぞれの試験とが結び付いているように思えてならない。「教採」も然り。穴を埋める問題も,選択肢を選ぶ問題も,そりゃあ,ちゃんとしたねらいがあれば,それもありだろう。しかし,そこにシフトし過ぎていた社会の思考そのものを〈相対化〉する能力がなければならないんだよ。それが教職員に必要な能力の一つだ。いつもみんなに述べていることだが,学習指導要領が「主体的・対話的で深い学び」を求めているように,VUCAな時代を考えてみても,今後,どうしたって正解至上主義や自我中心主義だけで豊かな未来を築けるわけがない。ホントウにものを考える力・・・・・・・・・・・・創造する力・・・・・他者と協働する力・・・・・・・・などが育っていなくてどうするつもりなのだろうかと思う。「人が何とかしてくれる」といった発想なのだろうなあ。

塾生D
塾生D

塾長さんが忌み嫌っておられる「エゴイズム」,「自分さえ良ければよい」の発想ですなあ…。

塾長
塾長

結局,「自分さえ良ければよい」と意識的・無意識的に考える人間は「他者とのつながり」を〈相対化〉しない/できないんだ。実際のところ,これからの時代を生きる教職員は「他者とのつながり」を単に〈相対化〉できるだけではなく,〈相対化〉した〈他者とのつながり〉をさらに《相対化》できる能力を有していなければならない。しかし,現実にはその「他者とのつながり」を〈相対化〉できず,「自分さえ良ければよい」とばかりに振る舞う教職員や教員を目指す者が目に余る。そこに自らの人生を賭す乳幼児・児童・生徒への愛はなく,しかも単視点,短絡的思考の正解至上主義・自我中心主義ときた。それでいて教育公務員の枠組みの中にいる/いようとするのだから,法治国家にあって「つながり」を希求する学習指導要領を踏まえた教育活動を行わなければならない。…………どうやって? 却って,私のようなことを語れば,「昭和のオヤジだ」「熱血漢だ」「自分を犠牲にするなんてオカシイ」と馬鹿にされる始末だ。そのように言う教職員やそれを目指す者が一体乳幼児・児童・生徒に何を教えるんだ!

塾生A
塾生A

でも,塾長,同じ思いを持つ人たちは必ずいますよ。当私塾に集まっている皆さんもそうですし,だからこそ,教採の合否には関係なく,みんなでここで学んでいるではありませんか。ただ,「教員養成私塾」という看板を上げているから,「教採」=(事実,偏差値教育の弊害である)「受験」と考えている方々は,うちで「教採受験」に耐え得る正解至上主義に立脚した能力を付けることなどできないと考えているんじゃないでしょうか? うちのような勉強をしていても「教採」には合格しないと。その思考の在り方は真逆なんですけどね(笑) しかも,「教員養成」は大学や大学院等の仕事だと(笑) プライベートの「教員養成私塾」なんて脆弱なイメージで,変わり者の集団ってとこなんですよ(笑)

塾長
塾長

ハハハハハ。そうだね。変わり者だね。でもね,歴史的に見て,世の中を変えてきたのは「変わり者」と呼ばれた人たちさ。うちも負けずにそうありたいね(笑)。所謂「教採」の勉強は長い教員人生の一つの通過点だからこそ,〈ホンモノの学び方〉で〈ホンモノの学び〉を修めることが必要になる。それがホントウの意味で乳幼児・児童・生徒の成長を支えるんだ。それが〈ホンモノの教職員〉というものだ。うちの信念を貫き,塾生・受講生は個別にあっても,協働にあっても〈(指導力を含めた)学び〉を深めていけばよい。それが「鍛地頭-tanjito-」の誓いだ。「まずは,乳幼児・児童・生徒ありき」――この言葉に尽きるんだよ。

「鍛地頭-tanjito-」は「まずは・・・,乳幼児・児童・生徒」のことを考える,〈教育〉に情熱を燃やす方々をお待ちいたしております。当私塾の理念に賛同してくださる方々ならば,教育においては素人でも,高校生[6]塾長註:保護者の同意を必要とします。でも構いません。是非門を叩いてみてください。教員に必要な能力をきっと身に付けていただけますよ。(「教採合格」は言わずもがな,です。)

 4 「論作文・小論文」選考・問題を〈相対化〉する―〈学力〉形成とICTの利活用―

問 1人1台端末の環境を整備する「GIGAスクール構想」の早期実現が目指されています。あなたは教育活動においてICTをどのように活用していくべきだと考えますか?

参考

「GIGAスクール構想の下で整備された1人1台端末の積極的な利活用等について」(文部科学省初等中等教育局長通知,2文科初第1962号,令和3年3月12日)

「「教育の情報化に関する手引」について」(文部科学省 初等中等教育局学校デジタル化プロジェクトチーム)

論作文・小論文の「つれづれ〈相対化〉シリーズ」。相も変わらず,心に移り行くよしなしごとをそこはかとなく綴ることにする。

〈学力〉形成とICTの利活用

抑々論。教育活動は何のためにあるのか? それは学校教育法第30条第2項が謳う「学力」を児童生徒に付けるためだ。しかし,別段,ICTを積極的に活用しなくても,教育活動は営める。これまでがそうだった。だが,そうでありながら,ICTの積極的な利活用が求められている。それはなぜか? どの側面からアプローチして考え,論述するか。アプローチの入り口は千差万別でも,やはり,それは終局的に〈学力〉以外に辿り着くところはないだろう。それはなぜか? 上述の「学力」を掘り下げてみる必要がありそうだなあ。

情報活用能力

〈学力〉を付ける視点のない論述(?)なんて考えられない。かと言って,「情報活用能力」といった所謂キーワードだけを書けばよいといった話でもない。抑々,「情報活用能力」って何だ? 当該能力が求められる背景は? どうやったら形成される能力なんだ? それらが理解できていなくて,具体的な学習活動等と「情報活用能力」とをどのように結び付けて考える/論述するんだ? つまり,「●●●●な学習活動を実践して情報活用能力を育成する。」だけの文字の羅列では論述とは呼べないということだ。

「主体的・対話的で深い学び」

「ICTの利活用」。この言表を見ると,脳の神経回路が反応して「主体的・対話的で深い学び」,「公正に個別最適化された学び」及び「個別最適な学びと協働的な学びの実現」が脳内のスクリーンに描き出される。それ自体が悪いとは思わない。しかし,問題は「ICTの利活用」とそれぞれがなぜ,どのように結び付くのか? そのメカニズムは? など,それらの回答に窮することだ。万一,答えられないところで,授業を含めた教育活動はできないか,非常に貧相なものとなる。きっと「ICTを利活用」することそのものが目的の教育活動(授業)となるだろう。因みに,「ICTの利活用」は「個別最適な学び」の専売特許と思っていないか?

教師に求められるICT活用指導力等

教職員にはICT活用指導力等が求められる。学習者以上に「情報活用能力」,「問題解決能力」及び「言語(運用)能力」が求められて当たり前なのだから。だからと言って,小論文の締め括りに「私はICT活用指導力等を身に付ける」との主旨の文脈を連ねたとする。それによって,大概その小論文は吹っ飛んで価値のないものとなる。小論文が吹っ飛ぶのはよいが,それではホントウの意味で学校で役に立たない。

「Society5.0」が求めるもの

「Society5.0」や「GIGAスクール構想」が目指すものを論述する……? 「Society5.0」や「GIGAスクール構想」が求めるものは?

「文房具」

児童生徒自身が ICT を「文房具」として自由な発想で活用できるよう環境を整え,授業をデザインすることが重要である。

「「令和の日本型学校教育」の構築を目指して~全ての子供たちの可能性を引き出す,個別最適な学びと,協働的な学びの実現~(答申)」(中央教育審議会,令和3年1月26日,p.31)

児童生徒が「文房具」として活用できるようにし,「主体的・対話的で深い学び」の実現に向けた授業改善に生かしていくことが重要である。

同上,p.75

「文房具」って比喩? 何の? まあ,それはよしとして「マストアイテム」,「スタンダード」…言葉を踊らせないように(笑)

具体例

ICTを利活用した具体的な教育活動(授業)の実践例及び今後のそれらの構想を持っておくことは大切だ。「ICTの利活用」を論述することが教採に合格するだけの夢物語とならないためにも。学校現場で使って/使えて真価を発揮するんだ。だが,小論文において,その具体例の表層のみをつらつら書き連ねて(しかも,字数を稼いで/無駄遣いして)どうする気だ? 「問題のリード文に「ICTをどのように活用していくべきだと考えますか」とあるから,そうしたんだ。」って? 具体と抽象との均衡バランスが重要なんだ。では,この場合の「抽象」って何だ?

特別支援教育,情報モラル教育

「ああ,君~! 「特別支援教育」や「情報モラル教育」の視点は? 「情報モラル教育」には「ICTを利活用」する上で忘れてはならない視点が数々あるが,中でもどうしても忘れてはならない視点があったよね~!」
「ああ,その視点は「鍛地頭-tanjito-」に入塾してから,しっかりと教えてください!」
「ああ,わかったよ! そうしたまえ!」(笑)

© 2021 「鍛地頭-tanjito-」


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