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〈学び〉への責任と〈学び〉への〈あなーきずむ〉(vol.49)

木の板の上に置かれたマーガレットの花束と「オープンチャット教員養成私塾」を説明した黒文字 一般ブログ教材
オープンチャット教員養成私塾
この記事は約11分で読めます。

〈教師道〉,それは教職員自らが自らの〈学び〉への責任を誠実に遂行する道である。

現在,「鍛地頭-tanjito-」は主に「合格道場」で学ぶ2名の塾生を募っております。
「まずは,乳幼児・児童・生徒ありき」を信念に,ホンキで〈ホンモノの教員〉 を目指し,
学び続ける意志のある方を募集します。

(営業時間内でのご相談を受け付けております。)

 1 〈学び〉への責任と学びへの〈あなーきずむ〉

「主体的に学習に取り組む態度と密に連関する〈学び〉への責任」――最近,塾内でよく口にするようになった。「資質・能力の三つの柱をバランス良く育成する」旨について塾生と「対話」を持つ。その「対話」が日増しに重なる。それが原因だ。

「バランス良く育成する」は三つの柱の統合化を意味している。均等化された三つの柱の単なる足し算ではない。粘り強さと調整(メタ認知)[1]当私塾では「〈相対化〉」と呼ぶ。を併せ持つ「主体的に学習に取り組む態度」はファンダメンタルに「知識・技能」及び「思考力・判断力・表現力等」を包摂しながら,かつ,三者は統合されなければならない。一方で,そのことは,大雑把に概観するとして,学力における正のスパイラルを形成する往還関係を持つ「知識・技能」及び「思考力・判断力・表現力等」と,これまたこれらと学力における正のスパイラルを形成する往還関係を形成しなければならないのである。

確かな学力を含む「生きる力」の育成には,こうした「資質・能力の三つの柱をバランス良く育成する」ことが必要である。そして,学校・教職員は一人ひとりの学習者のこのような学びに責任を持たなければならない。

しかし,VUCAな時代はその責任体制を変容させようとしている。その証左は「主体的に学習に取り組む態度」や「問題発見・解決学習」の言表そのものに窺い知ることができる。一瞥すれば,これらの「態度」や「学習」の主体(主語)は「学習者」だからだ。問題発見・解決学習の過程にあって,自らの〈学び〉を粘り強く,調整(メタ認知(〈相対化〉))・コントロールし,さらに高次化した同様の学習過程を営むには,(一側面において)学習者自らが自らの〈学び〉に責任を持たねばならない。

〈主体〉は他者との「対話」を通して「自己内他者」との過酷な鬩ぎ合いの結果,「主体」と「自己内他者」との狭間に懊悩しながら屹立してくるものである。「主体的・対話的で深い学び」が希求される時代状況を鑑みれば,そうした予測困難で曖昧な時代を生き抜く「主体」は自ら時代を〈生き抜く〉ために,自らの〈責任〉として「懊悩」を甘受し〈主体〉を屹立させなければならないのだ。

これからの時代,〈学び〉への責任は学校・教職員だけが負うのではなく,学習者自らも負う時代となる[2]このように考えてくれば,保護者や地域社会も〈学び〉への責任を負うようになる。これまで以上に。

いつも思う。

「「主体的に学習に取り組む態度」は学習者に育成するものである。」,「問題発見・解決学習は学習者が行うものである。」――このように考える教職員の脳裡に巣食う思考性は「二項対立」に他ならない。即ち自我中心主義の陥穽に陥ったエゴイストということである。「主体的に学習に取り組む態度」や「問題発見・解決学習」を学習者に求めるのならば,教職員自らが「主体的に学習に取り組む態度」を有しておらねばならず,「問題発見・解決」を実践していなければならない。「主体的に学習に取り組む態度」や「問題発見・解決学習」の主体(主語)は「教職員」でもあるわけだ。なぜならば,教職員もVUCAな時代を生き抜いていかなければならないはずだから。

たぼう言説を隠れ蓑に自らの〈学び〉そのものを放棄した教職員が数多い。そうした有様を当私塾では「学びへの〈あなーきずむ〉」と呼んでいる。「アナーキズム」[3] … Continue readingにもなれない〈あなーきずむ〉だ。たぼう言説を解体する一つの方途は教職員が自らの〈学び〉への責任を持つことである。要は各自の「資質・能力の三つの柱」をしっかりと鍛えることだ[4]「鍛地頭」の由来はここにもある。。「学び続ける教職員」の意味はここにある。

抑々,教職員が自らの〈学び〉に責任を持つ存在であるならば,本来の〈多忙〉言説・・・・・・・を構築していて良いはずだ。少なくない教職員が自らの〈学び〉に責任を持たない存在であるから――勿論,全ての教職員ではない。――たぼう言説が無敵の権威性を誇っているのであり,そうした教職員に自らの〈学び〉に対して責任を持たせることが喫緊の課題と言える。それは「鶏が先か,卵が先か」の因果性のジレンマを有しない。当該の教職員に「資質・能力の三つの柱」をバランス良く身に付けさせることが「たぼう」に優先される。

だから,当私塾は日夜「鍛地頭[5]「地頭」は「総合的な人間力」の意。」をして,〈ホンモノの教員〉 を育てようと遮二無二走り続けているのである。

〔次回につづく〕

「〈学び〉への責任」について語るある日の講座での塾長

一部,雑音が入ります。ご海容ください。

〈学び〉への責任(講座中の塾長)

 2 「鍛地頭-tanjito-」の〈学び〉について(リフレクション)

今回はSpecial Teamのメンバーであり,養護教諭のI先生にリフレクションしていただきました。

(1) I先生のリフレクション

「当私塾の〈学び〉の特徴についてご説明ください。」

他の予備校や塾を利用しましたが,鍛地頭は全く違いました。すべての学びが「児童生徒」へつながっているということを実感できました。ただ単に「覚える」,「試験に合格する」ということだけでなく,合格後にも発揮される力をつけてもらったと感じています。一言に「教職教養」と言っても,生徒指導,学習指導要領などの分野だけにとどまらず,すべてがリンクし合って作用し合っている,と実感できる学びだったと感じています。

「当私塾で何を学びましたか?」

教職教養全般,面接指導,小論文,願書の書き方等。

「当私塾で学んだことを,現在,どのように生かされていますか?」

一つ一つの自分の仕事が,どのように児童生徒のためになっているか,どのように還元できるのかを意識して取り組めています。

「当私塾で学んだ後,教員採用候補者選考(以下「教採」と表記)を受験して抱いたご感想等について回想してください。」

鍛地頭で学んでから,自分がどういった考えで教員になりたいのか,非常に明確に,具体的になりました。恥ずかしながら,これまではそれほど深く考えていなかったように感じます。理想としてはビジョンがあったと思いますが,「では具体的にどのようにするのか」,「この勉強がどのように生かされるのか」,「児童生徒にどのような力をつけられるのか」というところまでは至っていませんでした。それを一つ一つ,深く考え,自分自身と向き合っていくことで明確になりました。合格ももちろん目指す部分ではありましたが,鍛地頭で学ぶことでもっと先を目指せるようになりました。

「今後,当私塾に求めるものは何ですか?」

ホームページを見やすくする,料金を含め受講コース等サービスの明確化,広報活動をしてほしいです。

こちらで学んだことをもっともっと,他の受験生にも受けてもらいたいなと思います。私は何度も教員採用試験に挑戦していますが,もっと早くこちらの塾に出会いたかったです。

他には,今もすでにされていますが,「教員[6]筆者注:「現職教員」のこと。の学び」にも引き続き力を入れていってほしいです。現場に入ると,他教科,他の自治体等,立場の違う方々と「継続して」学び合うことが難しいように感じます。忙しすぎることも原因の一つだと考えますが。

ざっくばらんにお話できる場も非常にありがたいです。

I先生は当私塾と出会われ,たった4か月の〈学び〉を持って,昨夏教員採用候補者選考に合格された方です。とにかく仕事(課題)を的確に,かつ,円滑スピーディーに熟されます。その上に(だからこそ,)計画性もお持ちで,問題解決を行われる際の解決策が先生の脳裡で確実に構造化されることを窺い知ることができる方とお見受けしておりました。児童への語りとアプローチがお上手ですから,先生がいらっしゃる保健室を訪れる児童は幸せですね。

さて,頂いた課題は改善していかなければなりませんが,「サービスの明確化」については,(全ての塾生に)無料サービスを行い過ぎた(?)ところがありますから,今後は厳しくして参りたいと思います(笑)。

今後も当私塾で〈学び〉を深めていただければ幸甚です。

(2) リフレクションのおまけ

I先生からは私塾内の個人チャットにおいても有り難いリフレクションを頂いておりますので,ご紹介させていただきます。

私は,今まで他の予備校や塾にも行きましたが,先生の所での学びはとても実になるものだと感じました。

合格することももちろんですが,塾生一人一人を良い先生にするために一緒に頑張ってくれているという気持ちがとても伝わってきました。

実際に,現場に立ってからも,知識も心持ちもとても役に立っています。そして,教採対策での学びが糧となっています。

これからもたくさん学びたいという意欲をいただいています。

 3 「論作文・小論文」選考・問題を〈相対化〉する―児童虐待―

問 近年,全国の児童相談所における児童虐待の相談対応件数は増加傾向にあり,各地で悲惨な事件が相次いでいます。あなたは教師としてどのように児童虐待に対応するべきだと考えますか。具体的な取組みを挙げて論述しなさい。

(1) 巷間が考えそうな解答例

巷間で流布しているように見える,合格すると思われている論作文・小論文の解答例を想定し,その骨格だけを記してみる。「骨格」だけで〈相対化〉には十分だから。

【序論】

  • 教師という存在:日常的に児童生徒に接する時間が長いため,児童虐待を発見しやすい立場にある(児童虐待の防止等に関する法律(平成十二年法律第八十二号) 第5条 (児童虐待の早期発見等))。
  • 早期発見・早期対応及び組織的な対応の必要性

【本論】

  • 具体例1:児童虐待のサインの発見/日常的な児童生徒との人間関係の構築
  • 具体例2:教職員間の(児童生徒の)情報の共有化/スクールカウンセラー・スクールソーシャルワーカー及び児童相談所を初めとする諸関係機関との連携

【結論】

  • 学校からの社会啓発
  • 児童生徒の命を守る教育

(2) 塾長の述懐

「児童虐待を受けている/受けていた児童生徒等の気持ちがわかるか![7]そのように述べる当方もまだ分かっているとは言えない。だからこそ,激しい懊悩を覚える。 大人(特に,往々にして教職員に不信感を抱き,)孤独と淋しさに突き動かされながら生きていくしかない児童生徒等の気持ちが。それでいて,(管見による限り,)保護者等から児童虐待を受けている/受けていた児童生徒等の多くは,特に保護者が加害者である場合,「事実の否定」[8] … Continue readingと似通った心理の様相を示す。大人になっても消し去れないその気持ちがわかるか!」 

「児童虐待を受けている/受けていた児童生徒に対応したことがないのだからわかるわけがない。(だから,「骨格」のような論作文・小論文を書けば,合格できるからそれで良いんだ。)」

「ましてや学校現場を全く踏んだこともない学生で,そうした児童生徒に対応したことがないのだから,「わかれ!」と言う方がおかしい。(だから,「骨格」のような論作文・小論文しか書けないけれど,抑々そういう選考なのだから,合格できればそれで良いんだ。)」

「対応した経験があろうが,本人のホントウの気持ちは本人すらわかっていない場合が多い。そんなことを言っているのではない! 抑々,そんな屁理屈を言うような者が教員になって欲しくない。少なくとも「鍛地頭-tanjito-」は教員として認めない。」

「上述したような受験知識(キーワードとやら)を並べ立てた論作文・小論文は脳裡にちょっと知識を入れて,数回,書く練習をすれば,パターン化して書けるようになる。しかし,学生だろうが何だろうが,こうした論作文・小論文には全くもって足りないものがあるんだよ。」

「仮に,こうした論作文・小論文とも覚束ない書き物を高評価する有識者と思しき方々のコメントがあったとして,それが一般大衆に瀰漫したら,それらのコメントがどのような言説の権威性を構築してしまうか,それがお解りだろうか!」

「万一,このような書き物が本番の教採選考で合格の答案として高評価を得るとするならば,そんな選考は端から行わない方が良い。頭でっかちで学校現場では通用しない(だろう)人物を採用してしまう一端になりかねない。」

「この書き物には肝心なことが論述されていないんだ。」

「「骨格」をメモするに及んで,キーワードとやらをくっつけるだけにして,文章の構成は東京型教採論文の書き方にしてみた。別に東京型の書き方を批判しているわけではない。かと言って,東京型の書き方だけが論作文・小論文の書き方ではない。「教採の論作文・小論文と言えば,東京型。」と考えているとすれば,それを固着観念と言う。ただ,「【本論】」としながら,敢えて「具体例1」「具体例2」と並べてみたが,「それが「本論」か?」と思う。「本論」にはなっていない。これはこんないい加減なメモをつくった当方が悪い。

「最後に,この書き物に認めてある知識自体は,その概念を誤らず脳裡に収めるのならば,それは必要だ。しかし,収めるだけでは意味がない。それらの内の必要なものが,現実に生起する種々の(児童虐待の)問題事象に合わせて,手続き的な知識等により瞬時に正確に統合され,的確に,かつ,組織的に実践されなければならない。それを可能にする肝心な何かがこの書き物には表現されていないんだ。それがない限り,児童虐待に絶対に対応できない。――論作文・小論文においても論理性に欠損した,説得力が皆無の,「骨格」のような軽々しい飾り物の論展開(論調)に堕してしまう。――教採はそこをみるべきだ。」

数多くの大人たちが法を破りでもしなければ,こどもたちを守ることができない[9]法を破ることを肯定するものではない。,それほどの苦海が〈児童虐待〉だ。

こどもたちの命が懸かっているんだ。

だから,「まずは,乳幼児・児童・生徒ありき」なんだ。

© 2021 「鍛地頭-tanjito-」


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