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オープンチャット教員養成私塾 vol.45 嗚呼,誤解だらけの「模擬授業たいさく」とやら/面接選考ー新しい生活様式ー

木の板の上に置かれたマーガレットの花束と「オープンチャット教員養成私塾」を説明した黒文字 一般ブログ教材
オープンチャット教員養成私塾
この記事は約13分で読めます。

 1 教育小咄

「地球は平べったい板のような形だ。」

最近,当私塾の講座の中で塾生によく言う言葉だ。……「最近」は正しくないか……。以前から言っているよなあ……。ついつい。無意識裡に……。当サイト記事の中にも散見できる。そして,今回,このブログの中でもまたこうして呟いた。それと言うのも,呟かなければならない現状が日々波打って襲ってくるからだ[1]当私塾の塾生や受講者のことを指して述べているのではない。

仮に10,000人しかいない世間にあって,9,999人が「地球は平べったい板のような形だ。」と言えば,間主観性により地球は「ひらべったいいたのようなかたち・・・・・・・・・・・・・・・」になる。たった一人が「違う。地球は球体だ!」と叫べば,ホントウかウソか,処刑の目に遭いそうになる。だから,「社会」や「常識」を疑う態度が必要だ。特に,教職員は。

それは「教採たいさく」の世間の中でも生起している。当私塾「鍛地頭-tanjito-」は(管見による限り)ただ独り「違う。地球は球体だ!」と熱く主張し続けている。

「模擬授業」に関する「たいさく」とやらでもそうだ。「地球は丸いんだ!!」と絶叫している。しかし,「地球は平べったい板のような形だ。」と声高に述べる一部の人間に洗脳されている大勢の人間は,その言説の権威性の呪縛から解放されることができず, 「ひらべったいいたのようなかたち」が「しんり・・・」,「しんじつ・・・・」だと思い込み,疑うことを知らない。

これを固定観念・固着観念と呼ぶ。〈単視点〉の為せる業だ。〈相対化能力〉の有無の問題だ。資質・能力の三つの柱の一本である「学びに向かう力(主体的に学習に取り組む態度)」の「調整」に必須の能力だ。そう,OECDが着目している「メタ認知能力」[2]因みに,「メタ認知能力」に加えて着目している概念をご存知ですか?の問題なのだ。だから,いつまでも 「ひらべったいいたのようなかたち」 だと信じて疑わない者には資質・能力の三つの柱が完全には揃っていないことになる。児童生徒に求める資質・能力が。それで真面な・・・教育活動ができるわけがない。しかも,こうした資質・能力は「たいさく」とやらで決して養えない。これからの〈新しい時代〉の〈新しい教育〉を担うはずの教師に求められる資質・能力なのに。したがって,揶揄気味に「「たいさく」とやら」と申し上げるのだ。

ある程度の抽象化能力のある方ならば,ここまで読まれて何が言いたいのかがお解りになるはずである。〈多視点〉は〈相対化能力〉・メタ認知能力・抽象化能力を支える。

追記

〈単視点〉を語れば,語った言説はその時点で全て《単視点》を形成すると考えることは,それこそ「単視点」的な発想であることを付け加えておきたい。

木目調のデスク上にパソコン,メガネ,腕時計,キーケース,財布及びコーヒーカップが置いてある。天井からはステンドグラスのランプが明かりを灯している。
デスクの上のノートパソコンとステンドグラスランプ(素材提供 photoAC)

職業柄,嘗て数多くの先生方の(研究)授業を拝見する好機を頂戴した。

その甲斐もあるのか,授業というものは導入の5分程度を見れば,授業者の授業力が大体どれくらいのレベルかが分かる。45~50分間の全てを見なくても分かるようになるものだ。15分間も見れば十分だ。授業レベルだけを測るのならば。

それくらい〈授業の入り〉の持つ役割は大きい。

だからと言って,「導入」をデコレートすることだけに懸命になるのは,まさに「木を見て森を見ず」。〈単視点〉しか持ちえない,教職には向かない人間がやることだ。自己にとって好都合の偏った情報だけを振り翳して,他者を無暗に攻撃するような人間と変わらない。

恒常的に具体の一側面しか見ることのできない人間では,教職は真面には・・・・勤まらない。まず多面的・総合的な児童生徒理解はできない。〈多視点〉を有し,それらを縦横無尽に統合・捨象するなど,洞察力・心の理論に富んだ児童生徒理解ができないところで,真面な・・・教育活動などできやしない。

抑々,教採の一項目である「模擬授業」はオーディションではない。「(採用選考という特殊な空間域にあるのだから)通常行う授業とは異なるのだ!」「(だから,)見せ場をつくらないと落ちる(=不合格になる)ぞ!」なんて言葉を固定観念で捉えていたら,ホントウに落ちるぞ!! そんなこと,学校現場で苦労をしたことのないド素人が言うことだ!! 授業への鑑識眼を有した者ならば,「見せ場をつくろうとしている意識」なんぞいとも簡単に見破ってしまうだろう。それに大体何のための「見せ場」なのだ? 目的が不純である。そのような意識で真面な・・・授業が45~50分間できるわけがない。「見せ場」をつくろうなど「私は真面な・・・授業ができませんよ。」と言っているようなものだ。どの世界にも蘊奥[3]学問・技芸などの奥義,極意。はある。

「じゃあ,模擬授業のたいさく・・・・はどうしたら良いんだ!?」
「「木を見て森を見ず」の比喩を解けば良いんだ。そして,只管その〈真理〉を繰り返し繰り返し実践するのみ。……それにしても,「たいさく・・・・」なんて考えているとは。〈教職〉をなめている!」

つまり,「真面な・・・学習指導案が書けない教員/教採受験主体に真面な・・・授業/模擬授業はできない。」ということだ。だが,飽くまでも「学習指導案が書けたならば,素晴らしい授業ができる。」とは一言も言っていない。

 2 教員養成私塾「鍛地頭-tanjito-」の今日この頃

先日[4]令和3(2021)年6月13日(日) 午後8時00分から午後9時30分。Zoomを使用。のことだ。当私塾の「第9回寺小屋ICT」を催した。「寺小屋ICT」は当私塾のSpecial Teamによる実践的な教育研究会であり,授業力の向上を初めとする教員としての資質・能力を鍛錬する場である。毎月一度定例で実施している。なお,Special Teamは塾長が指名する塾生や当私塾から教採に合格した本務者等により構成されている。

今回はSpecial Teamのメンバーの一人である本務者の先生からご提案があり,今後,主に教育方法に関する研修を積むことにした。それもICTをツールとして活用した参加型の研修スタイルを採る。

研修の内実については,塾長がSpecial Teamのメンバー宛てに送信したチャットをお示しすることで推察していただきたい。

【記】

  1. 日時:令和3(2021)年6月13日(日) 午後8時00分から午後9時30分まで
  2. 内容:複数の教科書(学習指導案)等を媒介とした指導方法の検討[参加型研修]
  • 同一の題材でも教科書(学習指導案)等が異なれば指導方法が異なる場合がある。なぜ? その相違から効果的な指導方法を検討します。…A
  • 今回はF先生が担当してくださいますので,先生のお話を拝聴し,「A」のイメージを膨らませてください。
  • 次回以降,メンバーのお一人お一人に各自で作業をしていただきます。特に,次回はメンバーとメンバーとを繋ぐリモート(Zoom)空間で,協働的な学びを行いながら,個別最適な学び(個人作業)を行っていただく予定です。
  • 各自で何を題材にして指導方法の検討を行うか? 題材の決定と教科書(学習指導案)等の資料集めを(次回までに)行っておいてください。
  • 養護教諭の皆さんは保健・安全等にかかわる教育(学習)活動でも構いません。
    (例)保健委員会の活動
  • 今回の終わりにはSpecial Teamとして,テーマを貫く問いを立てる活動があるかも…。しかも,その問いの下位概念に当たる個人の問いを立てることも…。
  • 各自の活動については次々回以降,ご発表いただき,発表内容を共有する予定です。

「第9回寺小屋ICT」終了直後には,塾長からメンバー全員に次のチャットが飛んだのである。

【「今回の寺小屋ICTの研修全体を貫く問い」について(募集)】

「第9回寺小屋ICT」を無事終えることができました。
F先生(=今回の実践報告者であり,今後の研修に係る提案者)を初めとして,ご参加いただいた皆さん,誠にありがとうございました。深い学びの階段を一歩上がることができたかと喜んでおります。これも偏にご参加くださった皆様のお蔭でございます。

さて,研究会内でも申し上げましたように,今回の研修全体を貫く問いを募集いたします。
奮って,ご提案のほど,よろしくお願いいたします。

【記】

  1. お願い:「今回の研修全体を貫く問い」の案をお寄せください。
  2. 方 法:個人チャット
  3. 期 限:令和3(2021)年6月20日(日)午後10時まで

研修の充実を図るため,ご協力のほど,何卒よろしくお願い申し上げます。

Special Teamのメンバーの中には,当然のこと,今夏教採を受ける塾生がいるわけである。

「こんな研修をしていて教採たいさくは大丈夫なのか?」――このように思うようでは〈ホンモノの教員〉にはなれない。

今回の研修では「教育方法」に関する研鑽を積むわけだが,それを目的化してはいない。飽くまでも目的は学習者に資質・能力の三つの柱に措定される〈学力〉を付けることにある。そのためには教員がその〈学力〉を身に付ける必要がある。それを鍛えるのだ。だから,巷間で述べる「教採対策」は「「教採のたいさく」とやら」と口を衝いて出てしまう。

「?」

「?」と思うようでは,既に教員としての実力に欠損している。「今回の研修では学習者の実態分析の在り方について学ぶぞ。」,「学習指導要領を必然的に読み込むようになるぞ。[5]既に読み込んでいるはずだが。」,「(既存の)学習指導案を分析する方法を身に付けるぞ。」,「(既存の)種々の教育方法を知識として獲得するぞ。」,「知識として獲得した種々の教育方法を〈生きた知識〉に変容させるぞ。」,……さらに,……おっと,緑の下線部はSpecial Teamのメンバーにも話していなかった。恐らく,このブログ教材を見て「💦💦💦」となるに違いない。そして,慌てて資料集めと所謂予習などに掛かるのだろう(笑)

〈生きた模擬授業対策〉だ。
ついでに,〈生きた学習指導案(作成)対策〉だ。
さらに,ついでに〈生きた授業づくり〉だ。

  さらに言えば、結果のみにポジティブな感情が芽生えるような設計では、結果に対してしかモチベーションが湧かない。これが悪いわけではないが、そのような人は結果がどうなるかわからないことに挑戦する脳にはならない。
 一方、結果に対するポジティブな感情を大切にしつつも、プロセスにおける価値、快感、喜び、やりがいを大切にする人の脳は、たとえ結果がどうなるかわからなくても、やること自体に意味、意義、楽しみを見出し、新しい挑戦をする脳と言える。
 実際には、我々の日常において、結果が見えていることなどほとんどない。もしあるとしても、そのようなことは機械か人工知能がやってくれるようになるだろう。これからの時代は、ますます結果ドリブンの脳だけでなく、プロセスドリブンの脳が重要になるだろう。

青砥瑞人(2020.9.25):『BRAIN DRIVEN プレイン ドリブン パフォーマンスが高まる脳の状態とは』[キンドル版],検索元 amazon.com,CHAPTER1 MOTIVATION,10 お金とモチベーションの特殊な関係,お金だけがモチベーションにならないように設計する,下線は小桝が施した。以下同様。

「正解至上主義」一辺倒の脳をつくってはならない。特に,児童生徒を導くはずの教員は。
因みに,当私塾は「お金だけがモチベーションにならないように設計」してある。

 誰かに受動的に楽しさを引き出してもらえない学べない人は,すぐに受動的に楽しめる娯楽に誘引され,学びが継続しにくい。一方,自分で能動的に学びや楽しさや新しい発見を見出せる人は,どんどん成長していく。自分で求めるドーパミンと,楽しめるβエンドルフィンの効果を活用できるからだ。それらが新しい学びに伴うノルアドレナリン性のストレスを心地良いものに変え,パフォーマンスも高める。

前掲書,07 モチベーションを高めるための「気づき」,意識的に「良いところ」を見つける

下線部には現代が求める児童生徒像がある。そして,それは学び続ける教員(人間)像でもある。しかも,そこには当私塾が実践する研修(所謂巷間で述べる「「たいさく」とやら」)の基底を成す考え方がある。

このように同一の書籍から連綿と引用するなど品がないのは重々承知で,もう一つ。

(前略)プロセスこそが学びである。ただ結果を知ることだけが学びではない。

前掲書,本書の基本スタンス,網掛けは小桝が施した。

「正解至上主義」一辺倒の「「教採たいさく」とやら」を行っているようでは〈ホンモノの学び(真正の学び(authentic learning))〉を自ら形成できやしない。これからの時代は学習者にも「〈学び〉の責任」が課される時代になる。「〈学び〉の責任」は学校や教職員だけが負うものではなくなるのだ。例えば,問題解決学習の過程を考えてみれば,それが解る。だからこそ,教職員には〈ホンモノの学び〉が求められるのだ。学校や教職員が負う「〈学び〉の〈責任〉」は一層重くなる[6][参考]『OECD Education2030 プロジェクトが描く教育の未来―エージェンシー,資質・能力とカリキュラム―』(白井 俊,ミネルヴァ書房,2020.12)

時代は,当私塾が早くから予言していたように,「リフレクション(reflection/〈相対化〉)の時代」を迎えている。時代のスピードを鑑みれば,特に学校社会は,就中授業はPDCA・PDSAサイクルではなく,AARサイクルこそが重要になる。そのサイクルを回すことにおいても, 〈相対化能力〉,メタ認知能力(,抽象化能力)等が不可欠だ。――だからこそ,資質・能力の三つの柱の育成が求められている。――それらの能力のないところに「真正の学び(authentic learning)」はない。「真正の学び(authentic learning)」のないところにVUCAの時代が内包する予測困難で不確実,複雑で曖昧な諸問題を解決に導く「真正のリーダー(authentic leader) 」は育たない。しかも,そうした時代は各人が 「真正のリーダー(authentic leader) 」 たらんことを希求している。孤高のリーダーは最早流行らない。それだけ地球的規模の諸問題は予測困難で不確実,複雑で曖昧な度合いを極めつつあるのだ。 「真正のリーダー(authentic leader) 」 たちの〈協働性・組織性〉が必要だ。

このような時代を鑑みて〈新しい教育〉が有する新しい価値と責任等を〈相対化(リフレクション)〉できる教員のみを〈ホンモノの教員(真正の教員)〉と呼ぶのだと思う。「「教採たいさく」とやら」のみを専らにする者とは次元を異にする。

教員も,確かにマインドフルネス,レジリエンス及びグロースマインドセット[7]「努力」は計画的・継続的であって初めて〈努力〉と言える。など兼ね備えた一人の 「真正のリーダー(authentic leader) 」 でなければならないのだ。

「寺小屋ICT」は〈ホンモノの教員(真正の教員) 〉を育てる一つの場に過ぎない。

松下村塾(長門国萩の松本村(現山口県萩市))
松下村塾(素材提供 photoAC)

 3 ミニ面接試験対策講座―新しい生活様式―

(1) 出 題

問 コロナ禍が進行する昨今,「新しい生活様式(ニューノーマル)」が一層求められています。「新しい生活」を送るために児童生徒に必要な資質・能力とは何だと考えますか?

(2) 塾長の述懐・ミニ解説

「コロナ禍」と聴いて,「しまった!(日常生活から乖離した緊急対応に関することだから答えられない。)/やった!(「たいさく」(とやら)どおりだ。)」と瞬時に反応する両者の(教員としての/解答としての)レベルは同一である。いずれも二項対立[8]この場合,「日常/コロナ禍」関係を指す。の陥穽に陥った正解至上主義の為せる業と考えられる。

「コロナ禍」を扱う多くの面接選考の問題は上述した二項対立(等)を俯瞰する力を持って〈相対化〉すべし。〈真実〉が見えてくる。

塾長の述懐1 ミニ解説

いつも当私塾が述べている〈大きなフレーム[9]思考の枠組み,観点のこと〉は何か? ここから考え始めないと(というか,条件反射しないと),面接選考だけではなく,学校現場で教育効果を十分に期待できない。

「児童生徒」だけに「単視点」を当てていたのでは,〈信頼される教員〉にはなれない。そうならないためにも,「新しい生活様式(ニューノーマル)」をゲシュタルトとして捉え,システム思考で読み解くと良い。

塾長の述懐2 ミニ解説

本問への解答として「児童生徒に「生きる力(確かな学力,健康・体力,豊かな人間性(心))」を養います。」と答えて,面接官が納得するのだろうか??? 「生きる力」を支える資質・能力は何だ? そこが答えられない限り,「「生きる力」を養います。」と答える本人が「生きる力」を養う理由を解っていないに違いない。

当私塾ではそのような上辺の「せつめい・・・・」は〈説明〉として認められない。

塾長の述懐3 ミニ解説

追記

「生きる力」を支える資質・能力を例の「資質・能力の三つの柱」とだけ答えていては,まだまだ表層的である。

以上,ざっと考え方の方向性のみを述懐(ミニ解説)してみた。これら三枚の付箋に記した内容を踏まえ,自らの言葉で表現できると,嫌な言い方だが,面接選考では他の受験主体の追随を全く許さないだろう。そして,学校現場では〈ホンモノの教員〉にちょっとだけ近い存在になる。

当私塾「鍛地頭-tanjito-」はどのような問題でも,主に塾長との〈対話〉を中心にそのレベルまで鍛えている。

塾長の述懐4 ミニ解説

© 2021 「鍛地頭-tanjito-」


References[+]

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