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教職員は〈相対化能力〉を鍛えるべし!!
1 プロローグ
皆さんは,これまで綴ってきた「プロローグ」にどのような印象をお持ちだろうか?
「老いの戯言。」
「端からそんなもの読んでいない。すっ飛ばして「2 教採アラカルト」と「3 場面指導等」のコーナーを読んでいる。」
「どこも読んでいない。」
……。
当初,「プロローグ」を書こうか書くまいか迷った。迷った挙句,当面,書くことにした。
「メタメッセージを組み入れたい。」
迷いを断ち切らせた思いだった。
「乳幼児・児童・生徒からのメタメッセージを読み取れないような教員になって欲しくない。」
メタメッセージを読み取ること。それは即ち言説を読み取り,言説の権威性を〈相対化〉してみせる能力とも言える。――この能力は学力(資質能力)の3本柱中「学びに向かう力(主体的な学び)」と等質的であると考える。――他者を誹謗中傷することによって,身体性を隠蔽/喪失した,本質的には自己のみに快楽と解放を与えるエゴイズムに裏打ちされた邪悪な「セイギ」が罷り通る時代だからこそ,必須な脳力と言って過言ではない。そうした「セイギ」の「騙り」から乳幼児・児童・生徒を守り切るためにも,今後,教員に求められる能力に化すものなのかもしれない。――今の時代の教員は大変だ。――
例えば,「教員養成私塾「鍛地頭-tanjito-」vol.28 「職務命令」/「いじめの4層構造」」(小桝雅典,BLOG「鍛地頭-tanjito-」,2020.11.05)の「プロローグ」のメタメッセージ。
- 中教審答申が謳う教員に求められる資質・能力を(時系列で)理解せよ。そして,それらを検証軸として自らの現時点での資質・能力を〈相対化〉し,改善を図れ。
- 教育活動の基盤に言語(運用)能力の育成を据えろ。そのためにも,自らの言語(運用)能力を鍛えろ。
もう一例。「教員養成私塾「鍛地頭-tanjito-」vol.27 「マイナスの効果」/「組織的な生徒指導」」(小桝雅典,BLOG「鍛地頭-tanjito-」,2020.10.29)の「プロローグ」のメタメッセージ。
- 固定観念・言説の権威性の呪縛から我が身を解放する〈相対化能力(≒メタ認知力)〉を鍛えろ。
- まずは,(乳幼児・)児童・生徒のために,学校現場で生きて働く教員採用候補者選考対策を行え。
「何がメタメッセージだ。(筆者の)言表化を避けた恣意的な思い込みであって,そのようなものを読み取っても/そのように読み取る行為を行っても全く役に立たない。」
このように思われたとしたら,学力(資質能力)の3本柱中「学びに向かう力(主体的な学び)」に欠損がある可能性があるので,そうであるならば,教員としては/教員になるには致命傷に近い。――挙例したメタメッセージの内容が「恣意的だ」との指摘に対して,仮に百歩譲ったとしても,〈相対化〉の行為を否定するようだと,否定する者の学力が問われることになる。教員としては/教員となる者としては致命傷だ。――
〈相対化能力〉が鍛えられていないところで,まず「乳幼児・児童・生徒」の気持ちは読み取れない。鍛えられていたとしてもありのままの気持ちを読み取ることはほぼ不可能に近いのだ。組織的に理解しようとしてもなかなか難しいのだ。だからこそ,少なくとも一人ひとりの教職員に〈相対化能力〉が必要なのだ。
因みに,メタメッセージは,例えば,当道場の一つのブログ教材に認められた「プロローグ」だけを読んでも読み取れるものではない。公表した200編を超えるブログ,ブログ教材及びSNSで発信した言表群が織り成す「鍛地頭-tanjito-」の言語宇宙を位相に留意しながら読みこんで,初めてそれは姿を現すであろう。
一人ひとりの乳幼児・児童・生徒の一刹那的,一面を捉えて,当該乳幼児・児童・生徒の「児童理解」と言えないのと一緒だ。
システムで事象を捉えよ。そのためには自らに多視点を形成せよ。
それが本「プロローグ」のメタメッセージだ。したがって,(読者には)これからそのメタメッセージを《メタ化》する作業が待っている。
ああっ,失念していた。「プロローグ」のメッセージ及びメタメッセージには,筆記選考を含め,面接選考や小論文選考等で使えるネタが転がっている。
2 教採アラカルト(児童虐待)
出 題
問 次の文章の空欄に同一の適語を入れなさい。
児童虐待には,身体的虐待・性的虐待・ネグレクト・( )がある。全国212箇所の児童相談所で2018年度に対応した児童虐待相談対応件数(速報値)は前年度比19.5%増の15万9850件となり,28年連続で過去最多を更新した。虐待相談の内容別に見ると,もっとも多いのは( )である。
ミニ解説・塾長の述懐・資料
「いじめと同様,児童虐待を絶対に許さない!!」――教職員としての晩年,特に歴任した職柄,児童虐待と向き合ってきた分,尋常ならぬ烈烈たる公憤を常に覚えていた。
だから,「教員採用候補者選考(以下「教採」と表記)に最もオーソドックスでよく出題されるから覚えましょう。」とだけ言わんばかりの次のような表を見掛けると憤りが収まらない。
児童虐待の態様 | 定 義 |
---|---|
身体的虐待 | 児童の身体に外傷が生じ,又は生じるおそれのある暴行を加えること。 |
性的虐待 | 児童にわいせつな行為をすること又は児童をしてわいせつな行為をさせること。 |
ネグレクト | 児童の心身の正常な発達を妨げるような著しい減食又は長時間の放置,その他の 保護者としての監護を著しく怠ること。(保護者以外の同居人も同様) |
( ) | 児童に対する著しい暴言又は著しく拒絶的な対応,児童が同居する家庭における 配偶者に対する暴力の身体に対する不法な攻撃であって生命又は身体に危害を 及ぼすもの及びこれに準ずる心身に有害な影響を及ぼす言動をいう。 |
上表は「児童虐待の防止等に関する法律(平成十二年法律第八十二号)」(厚生労働省,最終改正:平成十九年六月一日法律第七十三号)の「(児童虐待の定義)」から一部文言を変えて筆者が作成したものだ。
定義を覚えること自体は有用だ。しかし,それは何故だ? 教採で合格するためだけか? …A
法律に定義が規定してある。それは何故だ? …B
少なくとも,「A」・「B」のように考えることができたか?
ここが「信頼される教員」になれるか否かの分水嶺だ。「まずは,乳幼児・児童・生徒ありき」の信念をもって職務遂行できる教員か否かの分かれ目だ。教員としての資質・能力が問われているのだ。
「信頼される教員」。それは教採での選考基準となっておかしくないだろう。
次にNHKのNEWS WEBから一つの記事を紹介する。児童相談所の対応件数が,昨年度,全国で20万件を超え,過去最多を更新したと伝える記事だ。
さて,この記事をどのように読んだかだ。「これは教採に出るぞ! また,数値が増加しているぞ。トピックだ。」…なのか?
この記事の最終段落には次のようにある。
児童虐待の件数が過去最多となったことについて関西大学の山縣文治教授は、「新型コロナウイルスの感染拡大の影響で保護者のストレスが蓄積し、虐待のリスクが高まっている。影響の長期化でそのリスクはさらに大きくなっていく可能性が高い。例年と比べて増加率は減少したが学校の臨時休校や、病院の受診控えなどにより、公的な機関が子育て世帯と接点をもつ機会が減少し、虐待を把握できなかった可能性もある」としています。
まさか「ほう,なるほどそうなのか。」で終わってしまうのか?
今,あなたは分水嶺にある。
「教採アラカルト基本講座」を受講しておられる方のためのブログ教材です。
3 場面指導等(児童虐待)
出 題
問 朝,登校してきたA君の頬が紫色に腫れ上がっています。担任のあなたが「その腫れはどうしたの?」と訊ねましたが,A君は「ボールが当たった。」と繰り返すだけです。この後,あなたはどのように対応しますか?
ミニ解説・塾長の述懐・資料
出題したのは筆者だが,出題文のリニア(線条性)の世界に住まう「語り手」の欲望の一つには「毅然とした粘り強い指導を丁寧に行うこと」がある。まさに同意見だ。
因みに,
「毅然とした」とは何だ?
「粘り強い」とは?
「丁寧に」の持つ意義は?
国語教育のみならず,現代の教育が児童生徒に養わなければならない能力は,大人が身に付けるべき能力でもあった。塾長が自らの修士論文において20年前に指摘した現代を生きる者の課題とその解決の一方途。それらが今次改訂の新学習指導要領及び解説(国語)に。「語りの構造読み」から展開する独自の教育論をご堪能ください。
新学習指導要領(国語)に初お目見えした「語り手」概念を解説する第2弾。今回は,特に「語りの構造と語り手の視点」について概説します。しかし,本ブログシリーズの目的は国語教育の推進だけではございませんので要注意。来たるべき一元論的トランスモダンの時代を如何に《生きる》か,その壮大な究極的命題に挑むことが最たる目的なのです。
こうした場面で「(二,三度ほど(事実確認として)訊ねるだけで,A君が)「ボールに当たった。」しか言わないから面倒臭い。そう言うのだから,そうなのでしょう。そうしておきましょう。他にも仕事があって忙しいのだから。」などと思うと,児童虐待を疑っていようがいまいが,万一,児童虐待が進行していても,その発見の契機を喪失してしまうのである。あってはならぬが,その見逃しが不幸にも死につながったらどうするんだ!!――こうした思いを抱くようでは教員ではない。
今日,児童生徒の問題行動が社会問題となる中で,生徒指導はともすれば表面的に現われた問題行動そのものへの対応といった側面のみが強調され,対症療法的な指導になりがちである。
「(2) 生徒指導の在り方」:「令和2年度広島県教育資料」(広島県教育委員会,第2章 「確かな学力」,「豊かな心」,「健やかな体」の育成,「豊かな心」の育成(生徒指導の充実))
しかしながら,本来の生徒指導は,児童生徒一人一人の健全な成長を促し,児童生徒自らが現在及び将来における自己実現を図っていくための自己指導能力の育成を目指すという積極的な意義を踏まえ,問題行動の有無にかかわらず,全ての学校で取り組む必要がある。
そのため,学習指導の場を含む学校生活のあらゆる場を通じて,児童生徒に自己選択や自己決定の機会を与え,その過程において,児童生徒が,将来,社会の一員として,集団の中でルールを守り,個性を発揮し社会に貢献するという人間としての在り方生き方を身に付けるよう適切に指導・支援を行うことが重要である。
生徒指導の在り方・進め方として大切なことは,(後略)
本ブログ教材の締め括りとして問いを発しておきたい。
「生徒指導の在り方・進め方として大切なことは何ですか?」
筆者ならば,教採の面接選考で訊ねてみたい問いだ。
教育行政・学校現場と長い間生徒指導に携わってきた筆者には常に思っていたことがある。
「生徒指導に特効薬はない。」
おっと,「生徒指導の在り方・進め方として大切なこと」がないと述べているのではない。「大切なこと」はある。したがって,上記引用中の「後略」については原典に当たっておくべきだ。文字どおり「大切なこと」が記述してある。
だからこそ,言い張るのだ。
「生徒指導に特効薬はない。」
と。
「場面指導Weekly解説ルーム」を受講しておられる方のためのブログ教材です。
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