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1 プロローグ
教員採用候補者選考(以下「教採」と表記)の試験項目に西洋教育史・日本教育史を課す地方自治体がある。だから,大半の受験主体は年号,人名,著書名及び試験に出る(とされる)重要語句等を只管覚える。この場合の「だから」は「選考で合格に向けた点数を取るために」を意味する。しかし,「点数を取るため」だけに年号,人名,著書名及び試験に出る(とされる)重要語句等を只管覚える無機質な徒労は余り役に立たない。何に役立たないかと言えば,学校での実践に役立たないのである。だから,そうした丸暗記だけの徒労は止めた方が良い。徒労を止めるのであって,教育(通)史は学ばなければならない。
何のために教育史を学ぶのか? 教員としての資質・能力を持った者ならば,まずはこの入り口に自らの意志で立つであろう。
必然なのかもしれない。教員は学習者であった自己の積み重なる過去の学びの体験から,教育方法を含む自らの教育観・児童生徒観等を自然に形成する(自動化された内的,かつ,教育的ストーリー(以下「ストーリー」と表記))。
教育史を学ぶということはこうしたストーリーを〈相対化〉することである。教育史を学ぶことによって先達の教育観・児童生徒観等に学び,それらから多様なチャンネル(視点)を形成して,自らの教育観・児童生徒観等を多角的・多面的・総合的にありのままに捉え,省察・問題の抽出・改善といった過程を営むことが重要なのだ(システム思考)。こうした営為を体得していない教員は自らが誤った教育観・児童生徒観等を有していても,それに気づくことがない。〈相対化能力〉を有していないのだから。
システム思考や〈相対化能力〉を有する教員は,教員としてのライフステージに応じて自己の目指す教師像を主体的に修正することができる。
また,歴史的な教育のコンテクストを読み取り(教育通史は必要),それをもって現代の教育を〈相対化〉する。そこに必要と考えられる教育方法を含んだ自らの教育観・児童生徒観等の〈相対化〉が始まるのだ。したがって,結果として学び続けることができるのである。
「歴史的な教育のコンテクストを読み取」るには,「社会の変化―教育」間,「社会の変化―自己」間及び「教育ー自己」間の連関性を把握する資質・能力を必要とする。そうした資質・能力を有しない教員は社会や教職員が奏でる学校言説が誤ったものであっても,それに一向に気づくことができない。
余談と言えば,教育史の専門家からはお叱りがあるだろう。教育史を勉強していて良かったと思う自らの体験談がある。ある高等学校の学校管理職時代,創立○○周年の記念誌を発行せよとの命令が(私に)下った。伝統ある所属校の教育の歴史を再構築していく過程に教育史の勉強が役立った。時代状況を追いながら,本県の伝統校が構築してきた教育のコンテクストを各時代ごとに生起する社会事象と関連付けながら〈相対化〉していく作業は,所属校に管理職として赴任している自己の立ち位置を鮮明にすることとなった。
教育史を学んでおけば,系統学習/問題解決学習やカリキュラム・マネジメント,社会に開かれた教育課程など(第3次)教育振興基本計画等が理解しやすくなる。児童生徒を総合的に捉える一側面としての資質・能力を形成することができる。教育知のネットワークを自らの脳裡に張り巡らすことが可能となる。
教育史からの〈学び〉は一人ひとりの教(職)員の教育観・児童生徒観等を〈相対化〉するとともに,眼前の児童生徒一人ひとりに必要とされる,予測困難な時代を生き抜く〈生きる力〉を俯瞰してみせる。教育史からの〈学び〉は一人ひとりの児童生徒のためにある。
「点数を取るため」だけに年号,人名,著書名及び試験に出る(とされる)重要語句等を只管覚える無機質な徒労を止めよ。
教採対策は乳幼児・児童・生徒のために,そしてあなたのために,学問としてあなたの眼前に屹立している。
上述した内容を解る教員であって欲しいと願う。そして,そのために当塾はある。
2 西洋教育史
出 題
問 次のコメニウスに関する説明文を参考にして,ア~エの人物の教育観に関する説明文を作成せよ。(制限字数:250字以上300字以内)
[説明文]
コメニウスは実物観察に重点を置く直観教授法を開いた近代教育学,特に教授学の祖と称される人物である。人類の平和と幸福の実現を目指しての言語教育や身分や階級の違いを問わず,あらゆる人々が普遍的な知識(「汎知学(pansophia)」 )を持つための学校改革にかかわる提言を行った。「汎知学」は自然と人間と社会とを独自の視点から知的に一貫して把握する本来の円環教育への試みと言える。彼の立場は感覚的 (又は科学的) 実学主義,客観的自然主義などと呼ばれる。ルソーやペスタロッチの先駆者であり,主著に『大教授学』(1657年),『世界図絵』(1658年)がある。後者は近代的教科書の嚆矢とされている[1]参考:コトバンク:コメニウス(英語表記)Comenius, Johann Amos; Jan Amos Komenský 1592―1670Johann Amos Comenius。
ア ペスタロッチ
イ フレーベル
ウ デューイ
エ モンテッソーリ
塾長の述懐
多くの出題はコメニウスを含め,ア~エの人物の選択肢による正誤問題となるのではないでしょうか? そうした問題を解かないよりは解いた方が良いですが,だから何になるのか…。
「説明文」を作成するには調べなければなりません。考えなければなりません。各人物たちが生きた時代は? 教育理念は? 教育方法は? その効果・影響は?…など。受験主体自らの教育観・児童生徒観等はこうした調べ学習を端緒(入口)として,それらの〈相対化〉の作業に向かわなければなりません。
3 場面指導等
出 題
問 「うちの子の通知表の評価,これっておかしくありません? うちの子はこんなに成績が悪いのですか?」
塾長の述懐
好ましくはないのですが,現実に学校社会では起こることです。「起こることです」と言いながら,「起こること」が当たり前ではいけません。
では,なぜ起こるのか?
この発想が貴重です。起こったことの即時対応だけを考えていませんか?
勿論,即時対応を考えることは大切ですが,学校現場で同様の事態に直面したとき,一人ひとりの教員が一人ひとり異なることを即時考えているようでは当該校の管理職の力量が問われるというものです。現実,こうした事態が生起したとき,一人ひとりの教員が考えることなく反射的に対応できる。それが学校としての組織力というものです。
したがって,再度,問います。
では,なぜ起こるのか?
このように考えたとき,出題の持つ重みと意味(意義)性があなたの考えていたことと異なることに気づくはずです。
追伸
本出題を扱ってきて思うこと。表層と言えば表層だけど,でも大切なことに(保護者への)連携の態様があります。本出題に対する解答としてその点に全く気付かない,あるいは,気付いても誤った解答を行う受験主体が結構多いのが事実です。
© 2020 「鍛地頭-tanjito-」
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