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新学習指導要領の〈語り手〉を知る―カープファンの綴る「ジャイアンツ丸物語」より―【基礎編】

青空に元気よく泳ぐ17匹の鯉のぼり 「鍛地頭-tanjito-」の国語教育論
泳ぐ・泳ぐ・こいのぼり(提供 photoAC)
この記事は約17分で読めます。

【教材1】

ジャイアンツは,開幕後,好スタートを切りましたね。今シーズンの優勝は夢ではありませんよ。平成最後のゲーム,4月30日現在で,16勝10敗(貯金6),勝率.615,得点128/失点98,本塁打35,打率.264,防御率3.54,盗塁10の成績で,2位のヤクルトに0.5ゲーム差を付け,堂々の1位です。広島東洋カープから移籍した丸佳浩選手もホームラン6本と,これからますます見られる「丸ポーズ」が楽しみです!!

それに引き比べ,広島東洋カープはどうしたことか!? 開幕直後からズッコケましたよ。オープン戦が良すぎましたからなあ。3連覇中の覇者とは思えぬ惨めな有様(ありよう)。8連勝で貯金8を返したかと思えば,3連敗。12勝15敗(借金3),勝率.444,得点91/失点120,本塁打24,打率.225,防御率3.68,盗塁11の成績で4位の阪神に1ゲーム差の5位と低迷中。平成での5割復帰は夢に終わりました。 貧打に,四球を連発する投手陣,大量エラーに予想のできない采配振りとくれば,そりゃあ,勝てませんよね。まだ順位をどうのこうのと述べる時期ではありませんが,そうであったとしても,今シーズンのカープは既に終わっているでしょう。まあ,3年間,勝利の美酒に酔ったのだから,今シーズンは御生憎様(おあいにくさま)ということで。

それにしても,「鍛地頭-tanjito-」の塾長は諦めの悪い人ですね。この期に及んで,「何のこれしき!!」なんぞ思っていますよ(笑)。ちょっと前のブログには,「令和」の「梅花」つながりで,元広島東洋カープのエース,黒田博樹氏の座右の銘「雪に耐えて梅花麗し」 を採り上げ,こんな屁理屈すら言っていました。

「現在,カープは負けが込んでいます。文字どおり,冷た~い「雪」のステージの到来です。それまでの3年間とは全く異なった様相です。しかし,本「令和考」のごとく,「(3年間の)常勝」のステージ(テーゼ)と「連敗(「雪」)」のステージ(アンチテーゼ)は選手・球団や日本,否,世界中のカープファンの〈共創造(co-creation)〉によって,必ずやこれまでに見たこともない〈常勝美〉を備えた〈新たなステージ〉を迎えるのです。球団の経営も高次に止揚されることでしょう。将又(はたまた),毎試合,〈芸術的な美を奏で,勝ち続けるカープ野球〉が展開されることでしょう。1試合の中での逆転のカープは,シーズンを通しての逆転のカープとなるのです。」(「「鍛地頭-tanjito-」の令和考―異文化間を超越する〈美〉―【後編】」(小桝雅典,BLOG「鍛地頭-tanjito-」,2019.4.14))

ドイツ観念論の大成者ヘーゲルによる弁証法を援用して,広島東洋カープの未来を展望しているのですから,カープファンには「恐ろしい人」もいるものです(笑)。

何はともあれ,「寒梅」の「雪」が解けるように,ジャイアンツに「春」が訪れるのです。

「丸物語2―ジャイアンツファンへの賛辞―」(小桝雅典,BLOG「鍛地頭-tanjito-」,2019.4.30)
※ この引用文は,「創り手」である塾長が本ブログのために「教材」として創作したものです。(「教材」らしい「教材」になっているかどうかは別として…(汗))
マツスタの飛び交うジェット風船
「カープ女子必見!ファンにはたまらない広島カープの聖地巡礼」 [1]2022.08.27現在,リンク元不明
出典:Green Imageさんの投稿

1 プロローグ

カープ命!!
カープが大好きな,生きる自分への自信を持たせる「鍛地頭-tanjito-」の塾長 小桝雅典 です。

「いや~,「教材1」の「語り手」は言ってくれるじゃ~あ~りませんか!」

「カープ」や「「鍛地頭-tanjito-」の塾長」をこき下ろしていますよ!

「えっ? カープファンの皆様,なんですって? 私が創った「教材1」なのだから,「私」が「カープ」をこき下ろしているんだろう,けしからん! ですって?」
「いえいえ,何度も繰り返しますが,〈私〉は大のカープファンですからね。「廣島魂」は持っているわけですよ。こき下ろすことはないわけです。それに,〈私〉が「「鍛地頭-tanjito-」の塾長」をこき下ろすなんてあり得ませんよ。人様をこき下ろすなんてことは致しません!!」

「…………………………」

何だか話がややこしくなって参りましたから,この辺りで本筋に立ち返りましょう。

今回のブログは前回投稿した「待って!! その国語の授業!!-〈語り手〉とは何か?-【基礎編】」(小桝雅典,BLOG「鍛地頭-tanjito-」,2019.3.18,以降「前掲ブログa」と表記)の続編となります。(「新しい時代を生きるための《読み》について考える―〈語り手〉とは?【発展編】」(小桝雅典,BLOG「鍛地頭-tanjito-」,2019.3.27,以降「前掲ブログb」と表記)と併せてお読みいただければ,理解が深まると思います。)

この一連のブログ(「鍛地頭-tanjito-」の国語教育論)を投稿する目的は,次のとおりです。

普遍主義・自我中心主義が横行するポストモダンの終焉期から一元論的トランスモダンの時代へシフトする現在にあって,(絵画,写真,演劇等の芸術作品群と共に,特に)リニア(文章で表現されたところ)の世界を〈新しい読み(方)〉(=実際は,既に新しくない〈読み(方)〉)で再構築することにより,(主に読者)自らのものの見方や考え方を〈相対化〉し,「ありのままの《他者(自己)》」に近接することで,次代を《生きる》自己の《在り方・生き方》を模索・希求する契機にしていただく。

そこで,今回は上述の「目的」に達するための基本的な段階として,次の「目標」を掲げたいと思います。

「語り手」とはいかなる人物か,その特性を知る。

今回も長編となりますが,お付き合いのほど,何卒よろしくお願い申し上げます。

傘をさして歩く女性,犬並びに街灯及び小道のミニチュアで構成される本の世界と読者
本の中の世界(提供 photoAC)

2 「語り手」の特性―人物であること―

さて,早速ですが,前回の前掲ブログaで解説した〈語り手〉概念を想起していただきたいのです。(ただし,ここでは,絵画,写真及び演劇等を除く)リニア(文字列による線条性)の世界に限定してお話しますので,ご諒解ください。)

リニアの世界には,「創り手」(今後,この表記を用いて表現します。)とは異なる「語り手」が存在していました。

要するに,ここでのポイントは,「(文学作品だけに限らず,)線条性の文字列の世界には,その文章のジャンルを問わず,「作者」(筆者注:本ブログでは「創り手」)と明確に区別される「語り手」が存在し,その「語り手」が作品世界を語っている」ということなのです。

前掲ブログa

そこで,あの「架空のスポーツルポルタージュ」(筆者注:今後,「丸物語1」と表記)を想起してください。本ブログでは「教材2」として提示します。

【教材2】

 広島東洋カープのセリーグ3連覇を牽引してきた丸佳浩選手がFAを宣言!!
 この度,新天地となる読売ジャイアンツ(以下,「ジャイアンツ」と表記)に入団しました。
 やった~!! 万歳~!! これで今シーズンのジャイアンツの優勝は間違いありません。
 噂によると,原監督は,丸選手がジャイアンツに入団することを一つの条件に,3年間,努力と忍耐を続けた高橋監督の後を引き継ぐことにしたとか。主力の阿部慎之助・坂本勇人両選手などは,丸選手のFA宣言に対して「勇気ある決断。尊重します。共に優勝を目指しましょう。」と歓迎しています。
 ジャイアンツのユニフォームがばっちり似合う丸選手。先日の日ハムとのオープン戦では,右中間への大飛球をジャンプ一番!! バランスを崩しながらも好捕。白球が収まったグラブを高々と差し上げる雄姿を披露しました。頼れる男が,今度はジャイアンツを優勝に導きます。
 がんばれ!! 丸佳浩!! 頑張れ!! ジャイアンツ!!

「丸物語1―ジャイアンツ,優勝に向かって突き進め!!―」(前掲ブログa

上掲の「教材2」には,性別はよく分かりませんが,ジャイアンツファンと思われる「語り手」が存在しています。(ひょっとしたら,ジャイアンツファンと騙(かた)っている(=騙(だま)している)だけかもしれません。ただ,「教材2」だけの情報から性別を判断することは困難です。特に,最近,「カープ女子」に始まる女性の熱狂的なプロ野球ファンが多くなっていますからね。)この「語り手」は飽くまでも「創り手」である(実体を伴う)「私」とは異なる(架空の)存在(人物)です。なぜならば,執拗に繰り返しますが,「私」は大のカープファンだからです。ジャイアンツファンではないのです。(執拗すぎるので,もう止めます(笑)。)

「語り手」なる存在を思い出していただけたでしょうか?

では,この「語り手」なる存在について,もうちょっとだけ,その特性に関して考察してみることにします。「教材2」に基づきます。

まずは,繰り返しますが,「語り手」は通常「(架空の)人物」であることを確認しておきたいと思います。作品によりけりで,性別が分かる場合もあれば,そうでない場合もあります。「教材2」では不明です。性別を見極める方法はいくつかありますが,まずはその語り口(語りの口調)ですかね…。ここでは,難しいことは述べません。

次に,これも繰り返しになりますが,「教材2」の「語り手」はどうやらジャイアンツファンのようです。ただし,作品によれば,例えば,ジャイアンツファンのように見せかけておいて,実はカープファンだったということもあるのです。作品中に「語り手」がいるということは,その作品中に仮想の「聞き手」もいると想定されますが,(実体を伴う,現実に当該の作品を読んでいる)「読者」も「聞き手」の一人と言えば,そう言えるわけですね。そこで,本当はカープファンである「語り手」がそうした「聞き手」にジャイアンツファンのように見せかけて「語る」場合,特に,そうした言語行為を「騙(かた)り」と表現することにします。「騙」の字は「騙(だま)す」とも読めるわけですから,「ダマシノカタリ」というところでしょうか。「聞き手(読者)」として引っ掛かりたくない罠ですし,また引っ掛かるから文学作品としての醍醐味があるのでしょう。少しレベルの高い作品に見受けられる傾向です。ただ「教材2」では「騙り」であるか否かを判別することは困難です。それを判別するには,あまりにも情報が少ないですから。したがって,現状,「教材2」の「語り手」は「ジャイアンツファン」ということにしておきます。因みに,ジャイアンツに新加入の「丸佳浩選手」に強度の好感と期待を寄せているようです。

吹き出しの中に数多くの「嘘」の文字。虚言を並べ,恰も本当のように両上でを広げて捲し立てる様子の木製の人形
嘘つき(提供 photoAC)

3 「語り手」の特性―変幻自在の存在であること?―

ここで,次の「教材3」をお読みください。「教材3」は「教材2」をベースにして創作してあります。

注:本ブログに掲載した「教材」は全て筆者による創作です。事実とは全く無関係ですから,改めてお断りしておきます。

【教材3】

 広島東洋カープのセリーグ3連覇を牽引してきた丸佳浩選手がFAを宣言!!
この度,新天地となる読売ジャイアンツ(以下,「ジャイアンツ」と表記)に入団しました。
やった~!! 万歳~!! これで今シーズンのジャイアンツの優勝は間違いありません。
 原監督からは,「「これで今シーズンは盤石の構えで臨むことができる。圧勝だ。」と思った。」と窺いました。
 一方,主力の阿部慎之助選手は「丸の勇気あるFA宣言に敬服する。俺がジャイアンツの全てを教えてやる。」と心で固く決意しています。
 また,坂本勇人選手は「共に優勝を目指したい。早く(丸選手が)チームメイトに溶け込んでくれたら良いなあ。」と口には出さず,心の中で歓迎しています。
 ジャイアンツのユニフォームがばっちり似合う丸選手。先日の日ハムとのオープン戦では,右中間への大飛球をジャンプ一番!! バランスを崩しながらも好捕。白球が収まったグラブを高々と差し上げる雄姿を披露しました。頼れる男が,今度はジャイアンツを優勝に導きます。
 がんばれ!! 丸佳浩!! 頑張れ!! ジャイアンツ!!

「丸物語3-ジャイアンツ,優勝に向かっての真相-」(小桝雅典,BLOG「鍛地頭-tanjito-」,2019.4.30)

お読みいただくとお分かりのように,「教材2」と「教材3」との相違は,下線部①~③にあります。これらの相違が何を物語るのか?

結論から申し上げます。これらの相違は,

「語り手」の「視点」,すなわち「語り手」が存在する空間(位置)

の相違を物語っているのです。

このことは,前掲ブログbで次の引用に記述したことと同一の内容を語っているのです。

それでいながら,物語内容はまるで〈聞き手〉を意識するかのように語られています。ということは,「作者」とは異なる〈ナレーター〉が物語空間に存在していることになるのです。これが〈語り手〉です。〈語り手〉は物語空間において,多少なりとも顕在的であり―そうでない場合もあります―,物知りであり,偏在的・自意識的であり,自由な存在です。引用文中の下線部「涙に暮れて見えざりければ,」は〈語り手〉が登場人物である俊寛に(一瞬)同化したことを示しており,〈語り手〉がまさに自由自在な存在である―作品によっては自由でないものもある―左證となるでしょう。

注:下線は本ブログのために筆者が施しました。

まず,「教材3」の「語り手」は「教材2」の「語り手」とは異なる(架空の)人物のようです。と申しますのも,「教材2」には「噂によると」とする言表があることから,「教材2」の「語り手」は,直接,「原監督」から話を聞いたわけではないのです。飽くまでも「噂」の域を出ているものではありません。ところが,「教材3」では「原監督からは~と思った。」と窺いました。」とする言表から,「原監督」の言葉(思い)を直接聞き取ったことになっています(下線部①)。また,「主力の阿部慎之助・坂本勇人両選手などは,丸選手のFA宣言に対して「勇気ある決断。尊重します。共に優勝を目指しましょう。」と歓迎しています。」と両選手の言葉を外的視点で捉えて語る(それも両選手の言葉なのか,どちらかが語ったのか判然としない)「教材2」に対して,「教材3」では,「阿部慎之助選手は~ と心で固く決意しています 。」(下線部②)とか,「坂本勇人選手は~と口には出さず,心の中で歓迎しています。」(下線部③)とか,「語り手」は両選手それぞれの「心の中」に入り込んで,その心情を「聞き手」に語っているのです。

つまり,「教材3」の「語り手」は,「原監督」の近くに存在するけれど,その「心の中」にまでは入り込めない人物(存在)なのですが,「阿部」「坂本」両選手の「心の中」には入り込むことのできる能力を持った人物(存在)であることが分かります。一方,「教材2」の「語り手」は「原監督」には近づけず,「阿部」「坂本」両選手には近づけるけれど,彼らの「心の中」にまでは入り込む能力を持たない人物(存在)ということになります。

したがって,「教材2」と「教材3」それぞれの「語り手」は,能力を異にする(架空の)別人物(存在)と考えられるのです。

このように,大雑把に述べれば,一般論として,「語り手」の中には登場人物などに対して外的な視点しか持ち合わせない者もいれば,「心の中」に入り込むなど,内的な視点を持っている者もいる,その両方を持ち合わせている者もいれば,特定の登場人物にだけ内的視点を持ち合わせている者もいるなど,一口に「語り手」と言っても,種々様々であるというわけなのです。

だから,「創り手」としては,どのような〈在り方〉をする「語り手」を作品世界に忍び込ませるかで,その作品世界の構造(雰囲気)を変えることができるわけですし,構想する作品世界に相応しい「語り手」を創造することもできるわけです。ただし,作品次第で「語り手」が「語り手」を超える場合もあるし,「創り手」が制御しきれない,暴走して〈語る〉「語り手」に変化(ヘンゲ)してしまう場合もあるなど,一筋縄ではいかないのが「語り手」の「語り手」たる所以というところなのでしょうか。が,それがまた〈文学〉の面白味なのかもしれません。

そういう意味で,「読み手(読者)」は作品世界の「語り手」を見出し,その「語り手」特有の「視点」を辿りながら,一度は作品世界を解体しておいて,再構築する必要があるのです。

「論理」「整合性」「矛盾」「組み立て」と思考回路を巡らす木製の人形
思考回路(提供 photoAC)

4 エピローグ

余談を。私がカープファンであることは,私の持論「二項対立の構図からの思考的解放」に反するのではないかとお考えの読者もいらっしゃることでしょうね。結局「あんた(私)の頭の中は「カープ対〇〇」になっているだけだ! 二項対立の図式だけに支配されているのだ!」と。

実は,違うんです。別に,屁理屈をこねようとは思っていません。カープファンには間違いないですが,本ブログシリーズのために,敢えて「カープ対〇〇(ジャイアンツですが)」を表現しているのです。プロ野球(敢えて「日本の」とは申しません。) に対する本音はもっと別のところにあります。

ですが,ここではブログのテーマから逸脱してしまうので申し上げません。

さて,再度,「教材1」(丸物語2)の話を持ち出します。

「教材1」の「語り手」は見掛けたところジャイアンツファンのようです。また,「「鍛地頭-tanjito-」の塾長」の「心の中」にまでは入ることができない人物(存在)のようです。

ただし,読者の皆様,この「教材1」の「丸物語2」はどこやらに異臭が漂っていませんか? なぜ「語り手」は黒田博樹氏の座右の銘や「「鍛地頭-tanjito-」の塾長」の「ヘーゲル弁証法」による「輝かしい未来のカープ像」を語ってしまった/語って見せたのでしょうか? ジャイアンツファンのはずですよね。「丸物語2」を構築する言表群だけからでは,何の根拠もないですから,明確な解答は得られないのですが…。万一,「丸物語2」を語る「語り手」と同一人物が「ジャイアンツ」や「カープ」,もしくは他の球団を「語る」作品があったとしたら,それらを片っ端から読んでみる必要があるかもしれません。なぜならば,それらの言表群の中に,もしかすると,「カープ賛辞」を「語る」言説の存在を指摘できるかもしれないからです。仮に,そうした言説が見出せたとしたら,この「教材1」(「丸物語2」)の「語り」は〈騙り〉である可能性があることになります。

わざと「カープ」と「「鍛地頭-tanjito-」の塾長」をこき下ろし,何だかの理由でジャイアンツファンを装いながら,実は腹の底では「カープ」の奮起奮闘と四連覇を祈念していたのかもしれないのです。

ということは,同一の,あるいは別の「語り手」による(例えば,同一のテーマ,モチーフを携えた作品を含む全)作品群を構築する一つ一つの言表を分析すること,すなわち,「語り手」の言語宇宙を旅することがホンモノの〈語り手〉と〈語り〉(≒言説)を見出す文学的一方途なのかもしれませんね。

【「言語宇宙」についての関連】

(前略)これから述べることは,この「序」(筆者注:「令和」の典拠となった「梅花の歌三十二首并せて序」(『萬葉集』巻五))」だけを分析しても抽出されない結果を述べるに過ぎません。例えば,『萬葉集』の全ての「序」と言える言表群の機能や「旅人」「(観梅の)宴」「初春」「令月」「気」「淑く」「風」「和ぐ」「梅」など,「序」に表象されている一つひとつの言表が『萬葉集』の他の箇所で〈語り手〉によってどのように語られているのか,また,『萬葉集』だけではなく,同時代の文学作品においてそれらの言表が〈語り手〉によってどのように語られているのかなどを詳細に読み取り,『萬葉集』の言語宇宙を再構築しない限り,明確な結果を得ることはできないのです。

「「鍛地頭-tanjito-」の令和考―異文化間を超越する〈美〉―【後編】」(小桝雅典,BLOG「鍛地頭-tanjito-」,2019.4.14)

本ブログはこの辺りで結末を迎えるわけですが,

  • 「語り手」が(架空の)人物であることが分かった。
  • 「語り手」にも種々の能力があり,人(=「語り手」)様々であることが分かった。

だから,

  • それが一体何なのだ?
  • 何が一体〈新しい読み〉なのだ?
  • そうしたことを知ることに何の意味があるのだ?

と思っておられる読者もいらっしゃるのではないかと拝察いたします。

本シリーズはこれからも長期化し,どうしても難解な理論(発展編)を経なければ,帰結には至りませんから,ここで,一口に上述の疑問にお答えすることは困難です。ただ,現時点で申し上げられることは,

「「語り手」が(架空ではあるが)「人」であって,それも様々な能力を有する「語り手」が作品世界の中に存在するということは,作品世界の中に生起する事件や出来事など,当該の「語り手」を取り巻く環境に対して,「語り手」独自の「視点」からそれら「事件や出来事」などの「環境」を見つめ,解釈し,「聞き手(読者)」に語ってくるわけで,そこが大切である。」

ということなのです。つまり,

「「語り手」は作品世界の中の「事件や出来事(環境)」に対して,「語り手」独自(全て「独自」という訳ではありませんが,説明を加えるとすると,少々ややこしくなるので,ここでは控えます)の「ものの見方や考え方」で解釈することから,我々「聞き手(読者)」はその「ものの見方や考え方」を我々の「ものの見方や考え方」でどのように捉えるか(納得するのか,一部納得するのか,全く拒否するのかなど)が大切である。」

と言えるのです。さらに,そうした(言語)行為がなぜ「大切」なのかといった点については,今後のテーマとして追々綴って参る所存です。

今後,本シリーズは,やや長い期間,理論を中心とする「発展編」を展開することとなります。その後,「基礎編」と「発展編」を統合した「共通編」を展開する予定です。理由は「教材」として『平家物語』を扱うからです。万一の予定変更も予想されますので,予めご諒解ください。

今回はここまでです。

【追記】

殊,カープに関して能天気な私は,よ~く考えてみると,その根底には,やはり「「広島(県)」が大好き!」という思いがあるようです。カープが勝っても負けても,「広島天国」(歌 南一誠,作詞・作曲 あきたかし)を声高らかに歌っています。カラオケでは,勿論,持ち歌です(笑)。

ある日,この歌を歌っていらっしゃる歌手の南一誠さんと,広島県にある某高級ホテルのステージで,多くのお客さんを前に,二人で一誠さんの持ち歌を歌うことになっていた私。本番1週間ほど前,二人のキーを合わせる段階まで来たところで,私が,急遽,本番の日に遠方への県外出張となり,その夢は〈夢〉と消えてしまったのでした…トホホ…

広島(の夜の歓楽街)をこよなく愛する(笑)名曲「広島天国」をご紹介して,本ブログを擱筆いたします。

動画はこちらからどうぞ。
https://www.uta-net.com/movie/9703/ (「広島天国「南一誠」の歌詞&動画視聴ー歌ネット」(Uta-Net動画+))

© 2019 「鍛地頭-tanjito-」


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