「鍛地頭-tanjito-」の〈教員採用試験論〉 教育学部
保護者が語る教育論 「学ぶこと」,「まねること」,「参加すること」
見たり聞いたりしたことを,そのまま他者に伝えることは,「まねぶ(まねる)」ことではなく,文字どおり「盗む」ことで,「横流し」に過ぎません。それでは,相手の関心・感動も,納得も得られません。「学ぶ意欲」を持って,「学ぶ姿勢」で,問題解決に向け,「社会の文化的実践に参加すること」,それが真の〈学び〉なのかもしれません。
「鍛地頭-tanjito-」の〈教員採用試験論〉 「敵/味方」の思考を止揚(aufheben)せよ!!-一元論的「保護者-教員(学校)等」関係論-
「鍛地頭-tanjito-」の「保護者-教員(学校等)」関係論の第3弾。歯に衣着せぬ筆致で書き下ろしました。保護者と教員(学校等)とのトラブルの根源を物心二元論に求め,一元論的視点によって,乳幼児・児童・生徒を中心に据えた円満な関係構築の在り方について論じます。塾長の長い教職経験の中から選定した小話は衝撃的です。
旧「鍛地頭-たんじとう-」の教育論〔リメイク版〕 教師教育 他者をみる〈チカラ〉―その重要性について―
看護・介護界ではよくご存じの「目を開けて,私をもっとよく見て」という老人のメモ。本ブログの筆者の眼差しは,このメモから世界中のこどもたちへと注がれ,老若男女問わず,「人」として同定されていきます。そして,他者の心の中を理解するためには,自己内のもう一人の自己と〈対話〉する必要があることに気づいていくのです。
保護者が語る教育論 地域が連携する子育て支援
娘が通う保育所で開催された「運動会」。そこで感じた「地域」とのつながり。昔は当たり前であったであろう,「地域でこどもを育てる」という光景を,久しぶりに目の当たりにしたと実感いたしました。核家族化が進行を続ける中で,こどもを取り囲む地域の方々の存在が大きいのではないでしょうか。
保護者が語る教育論 朝の気分で1日が決まる
子どもの存在は,とても大きいです。大人(親)の気持ちを敏感に察知して,同じような気分になっていることはありませんか? 笑顔で気持ちよく1日のスタートができたら,大人もこどもも明るく過ごせることが多いように感じます。そんな我が家の合言葉は,「今日も元気に頑張るぞ!! おぉ~!!」。
保護者が語る教育論 プロフェッショナルの意識を持ちましょう!!
「プロフェッショナル」を略して,「プロ」と言いますが,一般的には,「プロとはその道でお金をもらって生活をしている者」と定義されています。実は,「プロ」と呼ばれることに,経験年数は含まれていないのです。どの職種においても,初めてその場に立った時から「プロ」なのです。それは,「親」という立場でも同じだと考えています。
「鍛地頭-tanjito-」の営業活動 〈ホンモノの教員〉を目指しませんか?
当塾「鍛地頭-tanjito-」は広島県を拠点にオンラインで幅広く活動を展開する〈ガイダンス・カウンセリング〉の相談ルームを持った新型の〈Private school(私塾)〉です。主な業務の一部門である【教員採用試験合格道場―オンライン教員養成私塾「鍛地頭-tanjito-」】が新規塾生を募集します。
「鍛地頭-tanjito-」の国語教育論 新学習指導要領の〈語り手〉を知る―カープファンの綴る「ジャイアンツ丸物語」より―【基礎編】
「鍛地頭-tanjito-」の教育論 トランスモダンで「校則(KOUSOKU)」を〈考える〉【前編】
丸刈り訴訟などの裁判事例があるように,「校則」に纏わる問題は単に「児童生徒(保護者等)ー学校(教職員)」間で解決できる問題ではありません。その解決にはシステム思考が必要ですし,現代の「知」の枠組みを〈相対化〉して捉える態度が必要です。「鍛地頭-tanjito-」が一元論的トランスモダン論を援用し,この難問に挑みます。
特別支援教育(療育) 自閉スペクトラム症である息子本人が障がいを受容したとき
他者に対して,真実を打ち明けることに恐怖を感じるときがあるものです。一体,何を守っているのか? そういう場合,この命題にすら逡巡しませんか? 本BLOGでは,「自閉スペクトラム症」であることを小学校1年生の息子さん本人に打ち明けた副塾長の〈愛〉と〈苦悩〉の一部始終をご紹介しています。果たして息子さんの反応は? (塾長)
「鍛地頭-tanjito-」の教育論 日常生活から学ぶ「いのちの教育」―「鍛地頭-tanjito-」の死生観―
「鍛地頭-tanjito-」の教育論 