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こどもを〈愛する〉ということ―障がい受容に視点を据えて―

ピンクの花びらと毛糸で作られたハート3つ 特別支援教育(療育)
この記事は約14分で読めます。

生きる自分への自信を持たせる「鍛地頭-tanjito-」の副塾長 住本小夜子です。

今回のテーマは【こどもを〈愛する〉ということ】です。
〈愛する〉ことは〈認める〉ことです。「定型発達」であろうと「非定形発達」であろうと,親がこどもを〈認める〉ことが最も大切なのだと思います。

このブログには,(私が)息子の自閉スペクトラム症を受容するまでの経過や背景等を記述しております。ご批正をお願いします。

【自閉スペクトラム症】と【自閉症スペクトラム】との名称の相違について

日本精神神経学会は2014年5月28日,「DSM-5病名・用語翻訳ガイドライン」を作成しました。その中で,児童青年期の疾患などの名称について,「障害」を「症」へと変更しています。例えば,自閉症やアスペルガー症候群をとらえた「自閉スペクトラム障害」は「自閉スペクトラム症」と呼ばれています。

(参考 「DSM‒5病名・用語翻訳ガイドライン(初版)」(精神神経学雑誌 第116巻 第6号(2014) 429‒457頁)

息子が定期通院している広島市こども療育センターの担当医である小児科の坪倉医師は,名称についての変更過程を,次のように説明してくださいました。「広汎性発達障害 → 自閉症スペクトラム(障害) → 自閉スペクトラム症(ASD)」現在,巷間では,「自閉症スペクトラム」が一般的に使用されていますから,坪倉医師のご説明に「?」と思われる読者もおられるかと思いますが,いずれは「自閉スペクトラム症」となると言われています。そこで,当塾では以降,「自閉スペクトラム症」と表記いたします

 【息子に付いた診断名は「自閉スペクトラム症」】

息子が軽度の「自閉スペクトラム症」と診断されたのは, 平成29年7月(5才6か月)でした。担当医から診断名を伺ったとき,「あぁ,やっぱりね。」と深く納得したこと,そして,安堵したことを,今でもはっきりと覚えています。この時点でショックはありませんでした。なぜならば,「自閉スペクトラム症」について,事前に下調べをして情報を得ていたからです

ネット環境が充実し,知りたいことを即座に知ることができるご時世。私は,息子に当てはまる特性の一つひとつを検索し,あらかじめ調べていたのです。「調べること」自体が既に〈障がい受容〉なのですが,正直なところ,自分自身に何も知識(ある意味,免疫)がない状態で,医師から診断を受けると,余計にも自分自身が動揺してしまうと思ったのです。

自閉スペクトラム症等のお子様を持たれる多くの保護者の皆さんはそうではないのかと拝察しますが,「うちの子は他のお子さんと何か違う…(のかも…)」といった疑いを無意識裡にでも持たれているはずなのです。私は,それが〈障がい受容〉の契機だと考えています。この段階で,その自らの疑いに自らの意志で正対できるか。(全くの無意識では正対できませんけど。)ここが肝心だと思うのです

ただ,この「調べる」という行為が良いのか悪いのか,その評価は(お子様の実態も異なるので,)人それぞれでしょうから,絶対だとは思っていません。しかしながら,私にとってはあらかじめ心構えを持つ上で,とても良い手立てになったと思っています。また,たくさんの情報を目にし,情報を取捨選択しながら,
息子の実態と突き合わせていくことで,〈生きて働く知識〉が自らの脳裏に蓄積されていったことも,その後の息子への手立てを講じる上で良かったと思うのです。

自閉スペクトラム症を症状別に分けた表
出典 「子どもの発達障害 徹底解説「自閉症スペクトラム」」,NHK健康チャンネル,2016年1月18日

上図に当てはめると,息子は「アスペルガー症候群」に当たります。

調べごとを続けていき,「「自閉スペクトラム症」との診断を受けるだろうな。」と確信した時,不思議と私自身に不安な気持ちは起こりませんでした。ただ,「息子が年を取れば取るほど,息子自身に困ることが多くなるのではないか?」とは思いました。

そこで,強く認識したのが,「早期発見・早期対応(治療)」の必要性だったのです。

 【療育を受ける契機となった幼稚園の先生】

幼稚園に通うようになって,集団生活に少しずつ難しさが目立ち始めたのは,年少の2学期頃でした。

〇 気持ちの切り替えが難しいので,納得できるまで次の行動に移ることができない。
〇 急な予定変更があると,「なんで? 嫌だ!!」と甘えた感じで泣き続ける。

毎月定期的に行われている参観日では,緊張している子が大半なのに比べ,息子だけいつもテンションが高く,大声が出る。落ち着きがなく,周りの空気が読めない。「息子だけ違うな。」と思い始めたきっかけでした。

他の多くの保護者は,「いつもにこにこしていていいね。」「大舞台でも緊張しないから得をするね。」と前向きな言葉を掛けてくださいました。しかし,年少の3学期には,私自身,参観日に出席することが嫌で嫌で堪らなくなりました。

「「どんな育て方をしているのか」と思われているのではないか?」
「(だから,)周囲の保護者の目が気になる。」
「(だから,私自身が)恥ずかしい。」

そこで,担任の先生に相談したことがある程です。そうこうしているうちに,年中の1学期の終わりを迎えていました。その個別面談の時です。
「一度,専門の方にみてもらってはどうですか?」
と,担任の先生が「見立て」を勧めてくださったのです。息子が通っていた幼稚園は20年も前から療育の分野にとても力を入れておられ,定期的に広島市こども療育センターの専門スタッフが巡回されていました。

なぜ,幼稚園の先生が息子の特性に気付いてくださることができたのか。

一保護者としての見解ですが,園全体で幼児教育に真剣に取り組み,先生方一人ひとりが,こどもを大切にしようという気持ちを強く持っておられること。そして,自ら学ぶ意志が強く,そのため,しっかりとした知識と専門性を持っておられる先生方が多くいらっしゃること。加えて,経験が豊かであること。また,毎日必ず行われる先生方のミーティングにおいて,一人ひとりの園児に対する報告・連絡・相談を欠かされず,若手の先生方の育成にも積極的に取り組まれ,職員間の団結力が強いこと

こうした組織的な取組みのお蔭で,園児数300人を超える幼稚園であっても,担任の先生だけでなく,どの先生方も息子の特性や日々の状態をしっかりと把握してくださっていたので,親としては,安心して幼稚園に預けることができたのです。

この頃,自宅においても難しく思うことがありました。

〇 毎日毎日,同じことを注意したり叱ったりすることが多い。
〇 それなのに,どうやっても覚えることができない。
〇 私のやり方がいけないのか?

そこで,「一人で抱え込んでいては,息子のためにならないのではないのか。」と考え,自宅での様子を定期的に担任の先生にお伝えし,息子の状態を幼稚園に来られる専門の巡回スタッフの方にみていただくことに決めたのです。

 【素直に〈受け容れる〉ことの必要性】

専門のスタッフの方による巡回を終えた後,いろいろなアドバイスをいただきました。

以前の記事でご紹介したスケジュール管理や,声の大きさを調整する方法,言葉ではなく絵や文字にして伝えるやり方(視覚化)など。すぐに実践できるものばかりでした。下手なりに創作意欲だけはあるので(笑),私は,すぐにあれこれと(小道具(笑)を)作成し取り組むことにしました。

すると,徐々に小さな効果が現れ始め,以前に比べれば,スムーズに日常生活が営めるようになったのです。例えば,アドバイスの一つとしていただいたのが,
声のボリューム調整です。

声の大きさを動物に例えて表現した図
写真出典 「雪が大変!!&声のボリュームって?」(児童発達支援・放課後等デイサービス こどもサポート教室 きらり あいあい クラ・ゼミ,2016.3.1)

「うるさいよ。」「もう少し声を小さくして。」と注意しても,(息子は)「どのくらい」という直感的かつ数値的な判断が難しいので,図と数字で声の大きさを視覚化すること。図解にするときの注意点としては,その年齢の理解度に応じたたとえを用いること。(例:「あり(うさぎ,ゾウ)さんの声にして。」「1」の声にしてほしい場合は,自分がその声で「1の声にしてください。」と声掛けをすること。そうすると,自然と息子の声も小さくなる

正直に申し上げて,専門スタッフの方からのアドバイスが,必ずしも100%の効果を上げるわけではありません。それは当たり前で,こども一人ひとりにはそれぞれの特性があるわけですし,同じこどもでも,その日その日の状態の違いがあるわけです。また,効果があったからといって,それが永続的に続くわけでもありません。こどもの状態は刻々変化していきます。

しかし,専門性を有する方々の指導・助言に素直に耳を傾けることは大切なことだと思うのです。そして,その指導・助言を試してみる。その中で,自分のこどもに合う方法を見出し,実践を継続する。

「私が産んだ息子の発達に問題があるのか…。」と自分を責めてしまうことも往々にしてありましたが,「専門スタッフのアドバイスを取り入れれば,家庭内の雰囲気が悪くなるくらい叱らなくて済む。」という気持ちの方が,徐々にですが,勝っていきました。

毎日,鬼のような形相で過ごすより,天使のような笑顔で過ごす方が良い。叱りたくて叱っているわけではないし,仕舞には,感情的になることもなくなるのではないか? そして,何よりも肝心なこととして,専門スタッフからアドバイスを頂くことは,結局,「息子のため」であるということなのです。私だけが気楽になるのではなく,息子にとって最善の対応ができることで,結果として,息子を〈認める〉ことができ,それが,息子の自尊感情の育成につながる。

そのことによって,息子が生き生きと過ごせるようになるのです。同時に,家庭内も平穏に安定していきます。

その後も,担任の先生にお願いして,定期的に,連絡を取り合い,面談を重ねました。その中で,担任の先生がおっしゃってくださったお言葉を,今も忘れることができません。

「〇〇(息子)くんの一番近くにいるお母さんだけではなく,もちろん私も力になります。」
「私だけではなく,幼稚園全体でしっかりサポートしていきます。」

その後,どんどん成長していく息子のために,私は,個人的に広島市こども療育センターを受診しようと決意しました。

 【障がいを〈受け容れる〉ということ】

専門スタッフによる巡回を終えてから,私はそれまで以上に,自らたくさんの情報を得て,〈生きて働く知識〉として,自らの脳裏に叩き込んでいきました。「まず,息子の近くにいる私自身がしっかりとした知識を持っていなければ,最も頼りにしているであろう母親の息子に対する正確な理解が困難になるだろう,それでは息子も安心して日々を過ごせないだろう。」と思ったからです

そして,息子の現状を周囲の方々に知ってもらうため,療育センターを受診しようと決めた経緯を,まずは,配偶者(当時)や配偶者の両親に話すことにしました。ところが,どんなに説明しても理解されることはありませんでした。

「考えすぎ!!」「できる年齢になればできるようになる。」
挙句の果てには,「自分のこどもを障がい者にするのか!?」との障がいを持った方々に対する差別発言を一生忘れることはできません。

まだ「自閉スペクトラム症」と診断される前であったため,「発達に問題があるかもしれない。」としか言えない自分がいました。当時すでに「障がい」ではなく「症」と変更されていましたが,一般家庭にはそのような情報は乏しく,「障がい」という言葉だけが,偏見性をもって,印象深く残ったのだと思われます。

療育という最善のサポートを受けられる環境があるにもかかわらず,「受けるべきではない」と言われる。療育を受けないということは,早期対応ができないということなのです。息子が社会的なスキル等を学ぶ(練習する)期間がなくなる(短くなる)ということです。私は,そのことが,後々に息子を苦しめてしまうということに気付いてほしかったのです。

だれも賛成してくれない状況でした。しかし,私は反対を押し切って療育センターを受診しました。何度も述べるように,一番は「息子のため」なのですから。

広島市こども療育センターの外観
広島市こども療育センター

 【〈受け容れる〉ことは成長すること】

育児・教育支援 こころのカウンセラーとして活動する中で,「(自閉スペクトラム症等を持つ)自分のこどもの現状を受け容れることができない。」とおっしゃられる方にお会いすることがあります。

正直な思いを打ち明けてくださっていることは,とても嬉しいですし,有り難く思います。ですが,私の正直な気持ちを申し上げると,(厳しい言い方になりますが,)こどもの現状を受け容れることができないのは,ものごとを捉えるベクトルが,ご自身に向いているからではないでしょうか。

かつての私もそうでした。「定型発達しておられるお子様をお持ちの保護者の視線が気になる。」「(「どのような育て方をしているのか。」と思われたら,)恥ずかしい。」こうした思いが心に浮かぶこと自体を真っ向から否定するわけではありません。(みんな「人」なのですから。)しかし,よく考えてみると,こうした気持ちが生起するときの心のベクトルは,自分のこどもではなく,そのように感じる自分自身に向いているのです。

人は成長に伴う環境の変化によって,大切なものの対象が変化していくと聞いたことがあります。自分,家族,友人,恋人,配偶者といったように変化し,特に,女性の場合,命を懸けて生んだこどもは,何よりもかけがえのない大切な存在となります。そうであるならば,そこには,対象となるこどもを必死に守ろうとする心理が働いていると考えられます。だからこそ,こどもは安心して庇護されようとするのです。

「定型発達」であろうが,「非定型発達」であろうが,今,目の前にいるこの子こそ,紛れもない自分のこどもなのだと〈受け容れる〉。(=自分自身ではなく,常に心のベクトルを自分のこどもに向ける。)このことこそが,こどもの健全な成長を促すために欠かせない,重要な心理的な要素だと思うのです。

また,こどもを〈受け容れる〉ことは家庭での育児(療育)だけではなく,教育の世界でも同様に言えることなのではないでしょうか。

心と体の健康は、相互に密接な関連がある。大人との信頼関係を拠りどころに、子どもは安心感をもって自ら積極的に環境に関わっていくよ うになるが、このことが、生理的・身体的な発達を促し、子どもの心と体を更に育てていく。保育士等は、こうした子どもの心と体の関係を十分に理解した上で、子どもの存在を全体として受け止め、丁寧に関わることが大切である。

(参考 『保育所保育指針解説』(厚生労働省、平成30年2月、pp.292-293)

日ごろから相手の話をじっくり聞く,同じ目の高さで考える,深い関心を払う,といった姿勢を親が身につけることで,こどもは親に愛されているという実感を得ることができます。
子どもは愛されていると感じるとき,安定した気持ちで問題に立ち向かうことができます。そして不必要に攻撃的にならず,他者や問題を受け入れることができ,大きく成長できるのです。

(参考 『平成22年版家庭教育手帳―乳幼児編』 (「3.しつけ」,文部科学省 生涯学習政策局男女共同参画学習課,p.24)

一番身近にいる保護者はもちろんですが,保育や教育に携わる大人たちが,こども一人一人をしっかりと理解しなければ,そのこどもに合った適切な指導は行えません。息子の場合,周りに居てくださる先生方が,自閉スペクトラム症の特性をよく理解し,対応してくださっていることで,息子は元気に伸び伸びと笑顔で,幼稚園での生活を過ごし,今,学校生活を楽しんでいるのです。

過去の家庭生活を振り返ってみるとき,療育に出会うまでの息子にしてみれば,なぜ叱られているのか理解できなかったことが多かったはずです。自分は間違ったことをしていないのに,なぜこんなに叱られなければならないのかと自分を責め,不安に思っていたのだと思うと,親としての責任を感じずにはいられません。

だからこそ,早期発見・早期対応の必要性があるのです。

 【〈認める〉ということは〈愛する〉ということ】

幼稚園に通い始めてから,息子の異変に大きく気づくことができましたが,思い返してみれば,それまでにも「小さなサイン」があったのだと実感します。

一番初めは,2歳5か月。それまでとても育てやすいと思っていた息子でしたが,急に自己主張が強くなり融通が利かなくなりました。次に,3歳6か月で受けた3歳児健診。ここでは,保健師さんから「上手に受け答えができないねぇ。」と指摘を受けていました。名前や年齢を答えることができなかったからです。ですが,わたしはその指摘を素直に受け止めることができませんでした。

なぜならば,普段は名前も年齢もしっかりと答えることができていたこと,会場が通い慣れていたオープンスペースと同じ施設内だったので,息子にとって,「ここは遊ぶ所(検診の場ではない)。」という認識があったこと。そして,「たかが10分程度のわずかな時間で,息子の何が分かるのか!! (ごめんなさい。当時の思いを率直に表現しました。)」と思ったからです。

療育に関することだけに限らず,こどもは大人に対し,日常生活の中で,小さくても何らかのサインを出しています。その「小さなサイン」に気づくことができるかどうか。また,それに対し適切な対応ができるかどうか。私の場合,療育についての〈知識〉がなかったことや保健師さんに対する意識が,息子の「小さなサイン」(自己主張や受け答え)を見落とすことにつながっていたのです。

家庭の育児(療育),保育及び教育を行う上で最も大切なことは,ありのままのこどもを〈認める〉ことなのです。ありのままのこどもを〈認める〉とは,こどもの現実の姿に,保護者(大人)にとって都合の良い意味付け(解釈)をしないことをいうのだと考えます。息子の場合,先ほど述べた「自己主張の強さ」については,実は,胃腸炎を患った直後に現れた状態であったので,その「自己主張の強さ」を文脈上,病気のせいだと勝手に解釈したことから始まります。

確かに,難しい,判断の下し難いことではありますが,ありのままの姿に保護者の自己解釈を差し込まず,療育の必要性を疑ってみる姿勢は必要なのではないのかと思うのです。そのためにも,〈生きて働く知識〉が必要になります。この知識がないと,「判断」は固(もと)より,疑うことすらできませんから。〈生きて働く知識〉が必要であることは,繰り返すように,早期対応が,こどものためになるからです。

(注:自らの判断だけでこどもを見立ててはいけません。「定型発達」であろうが,「非定型発達」であろうが,誤った見立てをしていると,こどもが犠牲になってしまいます。だからこそ,専門スタッフとの連携が必要になるのです。)

ただ,ありのままの姿を〈認める〉ことは,「定型発達」のこどもであろうが,
「非定型発達」のこどもであろうが,全てのこどもに施されるべき大切な行為なのです。そこに信頼関係が構築され,こどもは大人を良き理解者として認識し,大人は大人でこどもを庇護することに,自己存在を強く認識することができるのです。

私は,こうした相(すがた)を〈愛する〉ことの一つの態様であると考えています。

© 2018 「鍛地頭-tanjito-」

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「生徒指導の三機能とメンタリングとの関係について」(以前の記事)


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