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個性考

「鍛地頭-tanjito-」のカテゴリー,「えいいち先生の教育鍛談」第1話「個性考」のアイキャッチ画像 「えいいち先生の教育鍛談」
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教採・受講相談会(無料)

「鍛地頭-tanjito-」は「まずは,乳幼児・児童・生徒ありき」の基本理念を理解され,堅固な〈学縁〉で結ばれた,共に学び合う学友を求めています。したがって,本務者,教採受験主体及び一般といった枠組みを問わない〈学び〉のご縁をお待ちしております。是非この機会に当私塾とのネットワークを形成してください。そうした趣旨の下,学校教育,教員採用候補者選考及び当私塾にかかわっての「対話」の場として,本会を企画いたしております。随時,お申し込み可能。〈学びの絆〉をお待ちいたしております。(塾長)

詳細についてはこちらをご覧ください。

註:本会にお申し込みと同時に,本会の実施要項及び「「鍛地頭-tanjito-」規約」に合意があるものと見做します。

 1 はじめに

えいいち先生は当私塾の第2期生で,苦節15年,当私塾との出会いから1月足らずで教員採用候補者選考(以下「教採」と表記)に見事に合格され,現在,本務者としてお勤めの小学校教諭です。先生の為人を述べるならば,一言,「誠実の美徳の体現者」ということになります。何事においても「誠実」なのです。殊に,〈学び〉には「誠実」で,かつ,貪欲なのです。「誠実」で貪欲だから,広義の〈学力〉を蓄えられるのです。そして,先生も例に漏れず,教採合格後も当私塾で学び続けられ,来春,本務者としての二度目の担任が終わられます。常に児童を見つめられながら,理論から乖離されることなく,実践と理論との一体的な教育活動を営んでおられます。だからこそ,日常の何気なく感じられる,それでいて重要な教育活動の一節一節が,えいいち先生の〈学び〉のアンテナにキャッチされ,矢鱈と気に懸かって仕方がないのです。そこには〈ホンモノの教員〉の横顔が垣間見えます。

「えいいち先生の教育鍛談」は当私塾の公式サイトにおいて新たに登場したカテゴリーとなります。えいいち先生が日常のご実践の中で思考されたこと,また,そのご実践そのものなどを寄稿してくださることになったのです。

えいいち先生には,この場をお借りして衷心よりお礼申し上げる次第です。

「えいいち先生の教育鍛談」はえいいち先生ご自身による命名です。文字どおり,「談」は「語り(る)」及び「物語ナラティヴ」を意味し,読者等との「対話」を意図します。諸教育事象にかかわり「地頭(=総合的な人間力)」を「鍛」え(=鍛地頭)「対話」し,〈新たな時代〉の教員に必要とされる資質・能力等に言及するとともに,〈ホンモノの教育〉の創造を目途とする教育的ブロンブン(ブログ+論文)[1]当私塾の造語。ブログと論文との統合化した形態を有する。が「教育鍛談」なのです。

第1回目となる今回は,えいいち先生が実践される道徳科の授業の中で思考し続けてこられた「個と個性」がテーマです。日常何気なく理解したつもりになっている「個」と「個性」。本ブロンブンはその日常的な「何気なさ」に必ずや警鐘を鳴らしてくれることでしょう。

以後,「さくら先生日記」と同様,「えいいち先生の教育鍛談」の成長を見守ってくださいますように,読者の皆様方には何卒よろしくお願い申し上げます。

令和4(2022)年2月1日 

塾 長 

「さくら先生日記」シリーズ

「学びが非日常化されることのない,日常で生きて働く真正の〈学び〉となる。」(by さくら)
さくら先生の日常と精神世界をご堪能ください。

「さくら先生日記」第1号
当私塾の塾生,さくら先生(中学・家庭科)が綴る「さくら先生日記」第1号です。今回お届けするコンテンツは,次のとおりです。「バランス」(「その他」シリーズ)/「たんじょーび,おめででと!」(「育児日記」シリーズ) 是非ご一読ください。
「さくら先生日記」第2号
「鍛地頭-tanjito-」の塾生,さくら先生(中学・家庭)が綴る「さくら先生日記」第2号です。今回お届けするコンテンツは,次のとおりです。「「小論文」対策の重要性」(「教採ネタ」シリーズ)/「「語り手」をみいつけた!」(「語りの構造読み」シリーズ)
「さくら先生日記」第3号
「鍛地頭-tanjito-」の塾生,さくら先生(中学・家庭)が綴る「さくら先生日記」です。[コンテンツ]「おいしい」(「育児日記」シリーズ)/「衣服の歴史(ババシャツ編)」(「THE 家庭科」シリーズ) 愛(共食)と衝撃(衣服)の物語です。
「さくら先生日記」第4号
「鍛地頭-tanjito-」の塾生,さくら先生(中学・家庭)が綴る「さくら先生日記」第4号です。[コンテンツ]「江戸時代のFast food考」/「思考を巡らせる」(小論文対策) 今回のブログからさくら先生が自前のボイスで小論文対策を解説します。
「さくら先生日記」第5号
塾生,さくら先生(中学・家庭科)が綴る「さくら先生日記」の第5弾。[コンテンツ]「毒になる親(友人,教員)」にならないために/「語り手」と「作者」 さくら先生が「児童虐待」に真剣に向き合うとともに,今後必須の文学理論にも果敢に挑戦します。
「さくら先生日記」第6号
「鍛地頭-tanjito-」の塾生,さくら先生(中学・家庭科)が綴る「さくら先生日記」の第6弾! [コンテンツ]冬の風物詩/幼児とジンジャークッキーづくり 日常に開かれた家庭科教育を目指すさくら先生の自然観・科学観に浸ってください。

 2 個性考

「個性とは,個人特有の特徴や性格であると言われている。」(『小学校学習指導要領(平成29年告示)解説 特別の教科 道徳編』,文部科学省,平成29年7月,p.34,以下,「学指道徳」)。「個人特有」に立ち止まって考えてみると,自己に「個人特有」のものがあるのかと問うてみて,そのようなものが見つかるのだろうかと思ってしまう。

ここで,「特有」の語義を調べてみる。

とく‐ゆう【特有】
〘名〙 (形動) そのものだけに特別に備わっていること。特別にそれだけが所有すること。また,そのさま。
(精選版 日本国語大辞典)

[名・形動]そのものだけが特にもっていること。また,そのさま。
(デジタル大辞泉)

〔出典〕コトバンク:特有

つまり,そのものだけに特別に備わっている・所有していることと言える。

果たして,人類79億人超それぞれが「そのものだけに備わっている・所有していること」などあり得るのだろうか。私には,「学指道徳」が果てしなく崇高なものを子どもたちに求めているようにしか思えない。

「学指道徳」には次のような記述もある。

この内容[2] … Continue reading における特徴とは,他者と比較して特に自分の目立つ点と捉えている。それは,長所だけではなく短所も含むものである。自分の特徴をよい方向へ伸ばしていけばそれは長所となり,苦手なこととして改善を図らなければ短所となることもある。したがって,自分の特徴を知るということは,その両面を見いだすことと言える。(P.34,,下線は執筆者による。以下同様。) 

長所を伸ばすように促すことはもちろんであるが,短所についてもしっかりと受け止め,努力によって望ましい方向へ改め,自分のよさを一層生かし更にそれを伸ばしていけるように配慮することが大切である。(同上)

ここで注目すべきは,「特徴」を「他者と比較して特に自分の目立つ点」としていることである。主観的に個人特有の特徴を捉えるのではなく,客観的な視点が介入しているのである。

ここで,「個性」の一般的な意味を押さえておこう。

他の人とちがった,その人特有の性質・性格。個人の特性。「―的な人」
個体に特有の性質。(Oxford Languages)

個人または個体・個物に備わった、そのもの特有の性質。個人性。パーソナリティー。「個性の尊重」「仕事に個性を生かす」「個性が強い打撃フォーム」Weblio辞書

個人や個体の持つ,それ特有の性質・特徴。特に個人のそれに関しては,パーソナリティと呼ばれる。 (Wikipedia)

どうだろうか。『Oxford Language』では「他の人とちがった」と他者を媒介とする視点が明確に言述されている。一方,『Weblio辞書』や『Wikipedia』にはそうした言述はない。だが,抑々,「そのもの/それ特有の性質」などと言述するとき,そこには他者のそれと比較した他者を媒介とする視点が介在していないか。

例えば,就職活動をされる学生でもよい。初めてのバイトをしようと考えている高校生でもよい。読者は教員志望の方もいらっしゃるだろうから,教員採用試験を考えている人でもよい。履歴書なり,エントリーシートなり,志願書なりを書くことになる。そこには,「自分の長所」の欄が必ずあるだろう。

私は,教員採用試験の志願書で「自分の長所」を書くときに激しく悩んだ。思いつかないのである。当時,22歳。全く書けず,数か月放置していたと記憶している。放置していて徐々にでも書けるのならよいが,その後も思いつかず,提出期限が迫り,母親に「自分のよいところって何かな?」と尋ねたことを記憶している。「真面目なところじゃない?」と返ってきた。(「真面目」…これでいいのか?)と自己の長所欄に書く内容に疑問を持ちながら清書した。今思い出してみても,さびしい思い出である。

また,次のような見解もある。

(前略)会話のやりとりにおける相互の響鳴によるものもあることを示した。この関係は,「いじられキャラ」に対して「いじりキャラ」,「ボケ」に対して「突っ込み」といった相補的な響鳴に現れる個性であり,その役割分担には一貫した傾向がみられた。すなわち,会話参与者の個性は,「遊び」というメタ・コミュニケーションの場で間主観的に調整されながら形成・再生産,そして蓄積・慣習化されているということである。

『遊びのフレームにおける間主観的個性の形成に関する考察―スタンステーキングの視点から―』高梨 博子,2016,p.114

「間主観的」及び「間主観性」とは,次のとおりである。

「間主観的」
〘形動〙 (intersubjektiv intersubjectiveの訳語) それぞれ自己意識をもつ複数の個別的主観の間の関連を問題にする見地であるさま。

コトバンク:間主観的,精選版 日本国語大辞典

「間主観性」
(前略)ある事柄が間主観的であるとは,二人以上の人間(人間でなくてもよいが)において同意が成り立っていることを指す。この状態は一般に,主観的であるよりも優れており,客観的であるよりも劣っているとみなされる。

哲学・倫理学用語集

ここで押さえたいことは,「間主観的」に調整された「個性」というものが考えられるという点である。

(次頁に続く)


References[+]

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