教採・受講相談会(無料)
「鍛地頭-tanjito-」は「まずは,乳幼児・児童・生徒ありき」の基本理念を理解され,堅固な〈学縁〉で結ばれた,共に学び合う学友を求めています。したがって,本務者,教採受験主体及び一般といった枠組みを問わない〈学び〉のご縁をお待ちしております。是非この機会に当私塾とのネットワークを形成してください。そうした趣旨の下,学校教育,教員採用候補者選考及び当私塾にかかわっての「対話」の場として,本会を企画いたしております。随時,お申し込み可能。〈学びの絆〉をお待ちいたしております。(塾長)
詳細についてはこちらをご覧ください。
註:本会にお申し込みと同時に,本会の実施要項及び「「鍛地頭-tanjito-」規約」に合意があるものと見做します。
0 年頭のごあいさつ
皆様,明けましておめでとうございます。
旧年中はたくさんの〈学び〉を頂き,誠にありがとうございました。
本年もさらに〈学び〉豊かな年にしたいと思っております。
共に学び続ける同志として,新たな1年,何卒よろしくお願い申し上げます。
【「カツアイ」,「割愛」,そして〈渇愛〉】
5年ほど前から,特に考えていたことです。
万事につけ,失敗したときに振り返り,見通しを持つことはとても大切なことだと思います。それがないと人は同じ失敗を繰り返し,向上・発展はありません。
しかし,その失敗をいつまでも思い悩み続けていたとしたならば……。
「ああすれば良かった。」
「こうすれば良かった。」
「なぜあの時,こうしなかったのだろう。」
「あの失敗は誰々のせいだ…」
人のせいにし始めると悪質の「業」からは永遠に抜けきれないと思います。そうでなくて,いつまでも後悔の念が引き続くとしたならば……。
時間の無駄です。
その間に向上・発展はありません。悩みの時間を足し算してみると解ります。意外に膨大な時間であることが。
向上・発展のない無意味な時間を過ごす余裕は,我々人間には与えられていません。なぜならば,定められた寿命があるのだから。
その間に向上・発展した方が賢い。なぜならば,ホモ・サピエンス(=「賢い人間」の意)だから。そういう〈運命〉を担った生物個体なのです。
では,なぜ無意味な時間を過ごしてしまうのか?
それは「カツアイ」に起因します。大雑把に言えば,身体・精神的な「渇き,欲望,渇望,貪欲」などです。
「人より偉いと思われたい。」
「人よりお金持ちになりたい。」
「人に誉めそやされる地位や名誉が欲しい。」
「自分だけが楽をしたい。」
「自分だけが得をすれば良い。」
「他者を尊重し…なんぞ,綺麗事はまっぴらごめんだ。」
全て人間がつくった幻想(共通理解,ある意味「常識」)に惑わされているのです。こうした欲望・欲愛などを仏教の世界では「カツアイ(渇愛)」と呼びます。
「カツアイ」は「割愛」しなければならない。
「割愛」の地平の彼方には「超越的な正見」,無常・無我,すなわち「不二」の境地があるのだと思います。
教職員が「カツアイ」に塗れている時代です。「カツアイ」深い濁った眼で真面にこどもたちを見ることなどできやしない。
「まずは,乳幼児・児童・生徒ありき」
こどもたちへの〈教育愛〉という名の〈渇愛〉を持ち,教員自らを大切にしながらも「カツアイ」を「渇愛」する時代。
それが,今だと思うのです。
塾 長
註:本「年頭のごあいさつ」は,令和4(2022)年元旦,当私塾内のSpecial Teamのメンバー他に贈ったチャットに加筆修正を施したものである。
1 塾長の述懐 作品(教材)と〈正対〉するー道徳科の場合ー
(1) 作品と〈正対〉する
当私塾内の種々の講座で,塾生や受講生と文部科学省が作成した道徳の教材を〈読む〉機会が増えている。ただし,最初から,意図的に,単に教材として「読む」ことはしない。作品として〈読む〉のだ。だから,授業の対象となる学習者の実態や発達段階等を想定して「読む」ことはない。そうしないと,作品の有する〈生命〉に辿り着けない。作品の有する〈生命〉に辿り着かなければ,それを教材化して展開する授業は薄っぺらいものか,〈ウソ〉にしかならない。教員は原則として〈ウソ〉を教えてはならない。
一つの作品を〈読む〉ために数か月を要することが多々ある。塾生や受講生が「(そうした〈読む〉行為(を繰り返す講座)に)よく付いてくるなあ。」と思うことがある。だが,作品の有する〈生命〉,すなわち語り手の欲望を〈読む〉長い旅に出掛けると,その旅そのものに魅了されてしまうようだ。
「この作品,小学校低学年用として編まれています。ですが,大学生や,ひょっとすると大学院生が読んでも難しく,だから価値があるのではないですか!?」
しばしば塾生や受講生から口を衝いて出る言葉である。塾長もそう実感している。塾生や受講生はそのように語る度,作品と〈正対〉することを知る。同時に,作品の皮質を撫でるだけの読みと語り手の欲望に辿り着く〈読み〉とが当該作品を教材として採り上げる授業のコク・深みとキレを分けることを知る。そして,授業のコク・深みとキレが学習者の〈学力〉形成につながることを知る。
仮に作品の皮質を撫でるだけの読みと語り手の欲望に辿り着く〈読み〉を基盤とした授業とが全国各地で行われているとしたならば,公教育は危うい。ましてや作品の皮質を撫でるだけの読みを基盤とした授業だけが全国各地で展開しているのならば,教育的な格差は生じないが,公教育は瓦解の一途を辿る。もしそうであるならば,児童生徒(学習者)を気の毒に思う。
作品と〈正対〉するとは,語り手の欲望に辿り着こうとすること(〈読み〉の行為)であり,その上で作品の〈生命〉に辿り着いたならば,その生命の息吹を〈相対化〉し,作品とかかわる読み手のかかわりそのものと息吹と比される読み手が宿す内的なストーリー(ものの見方や考え方等)を〈相対化〉することによって,その結果を(読み手が)日常生活に還元する/してみようとすることである。
道徳科における作品を用いる授業の教材化(授業化)はその後の仕事だ。
(2) 作品と〈正対〉してみる
「道徳教育アーカイブ~「道徳科」の全面実施に向けて~」(文部科学省)から「お月さまと コロ」,「二人の弟子」,それに「仏の銀蔵」を加えて,作品と〈正対〉する一部のポイントのみを指摘してみる。全てのポイントを取り上げ,それを全て詳細に解説するとなると,それに掛かる紙幅と時間は膨大なものとなる。したがって,機会があればの話だが,詳述は別稿,もしくは当私塾での講義に譲ることとする。
また,今回は「お月さまと コロ」のみを採り上げる。他の作品は今後のブログ教材の中で扱う予定だ。
なお,作品(教材)本文は紙幅の都合により割愛する。
塾長註:ここに採り上げるそれぞれの作品における語り手の欲望は,それぞれの作品を単品として読んで摑めるものではない。同時代・同ジャンルの他の作品群や同一作者の他の作品との位相等,その言語宇宙を旅して初めて摑めるものである。したがって,以下の記述は前述する言語宇宙の旅に出る前の〈読み〉であることをお断りしておきたい。
2 近頃の「鍛地頭-tanjito-」ー〈運命〉的な出会いー
驚くべき中学生現る!!
――「鍛地頭-tanjito-」で学ぶ日々――
「初めて……見た……。こんな中学3年生がいるんだ……💦」
思わず舌を巻いた。
「老若男女問わず,言語(運用)能力を鍛えたい。」
このような思いを持って,「鍛地頭-tanjito-」はまずは高校生に対象を絞った「研究のできるこどもを育てるオンライン言語(運用)能力育成私塾(以下「言語(運用)能力育成私塾」)」を併設している。しかし,昨年の12月まで,その門を叩く者は誰一人いなかった。
「ええ~,こんなに鍛えられるの~,面倒臭い~,1+1=2のように,もっともっと楽に,面倒臭くなく良い点が取れる塾が良い~」――因みに,そんな発想で言語(運用)能力が磨かれるわけがない!――
こんなところだろうと思って,塾長自ら「言語(運用)能力育成私塾」の方はほったらかしにしておいた。と言うか,お蔭様で「オンライン教員養成私塾」の業務に追われる日々なので,「言語(運用)能力育成私塾」に掛ける時間がなかった。
ところがだ。その「言語(運用)能力育成私塾」の門が激しく叩かれたのだ。昨年の12月中旬のことだった。
門を開けると,そこには保護者に付き添われた一人の中学生が立っていた。
当私塾で学ぶことについては,本人及び保護者が熱望してくださった。「高校入試が近いので,小論文と面接の面倒を見て欲しい。そのためにも,言葉の力をさらに向上させたい。」とのことだった。
募集対象の高校生ならぬ中学生だ。だが,断る理由はどこにもなかった。
いつ日の目を見るかわからなかった,堆く積まれた学習課題が喜びの雄叫びを上げたようだった。予想外に――いや,失礼。――数多くの講座が予約された。だから,追加分の学習課題の作成が大変だった(笑)
初日の講座の前々日。きちんと片づけられた課題の解答に添削とコメントを入れようとして,おったまげた!! 一瞥後,刮眼してしまったのである。
「この解答,〇〇さん本人がホントウに作成したのか!?――〇〇さん,ごめんなさい🙇―― このボキャブラリーの質と量はどうしたことか!? どう見ても中学生レベルではない!」
「(種々の解答の文脈・文章構成等を一瞥して,)当私塾が理想とする〈ホンモノの教員〉の頭の使い方をしている!」
そして,講座の初日。さらに,おったまげた!!!
事前に用意していた課題以外の課題を数題提示し,即答を求めた。そして,得心した。
「確かに,事前の課題は本人が作成している。言語(運用)能力のレベルが中学生とは思えない……桁外れだ。」
講座が回を重ねるうちに本人及び保護者から,重ねて要望を受けることになった。
「こんなに熱心に丁寧な添削やコメントをいただけるなんて……正直,思っていませんでした(笑)……高校生になっても,「鍛地頭-tanjito-」で学ばせていただけますか? いろいろと知識を習得できるし,多角的に物事を考えることができて[3]〇〇さんは,日常的に「多角的・多面的」などこうした語を用いた言述ができるのである。,受検勉強がそっけなく感じるくらい「鍛地頭-tanjito-」の勉強が楽しいんです。」
「はい。勿論。もっと〇〇さんの能力を磨きましょうよ。よろしくね。」
(これはおもしろくなってきたぞ。)
[追記]
- 「小論文や面接の問題に対する〇〇さんの解答を掲載しよう。そうすれば,前述(本文)の内容が嘘でない左証になる。」と思った。だが,即座に思い直した。「(その解答が余りにもハイレベルで,巷間の受検誌や参考書どころではない。だから,)絶対に(世間に)パクられる。それでは〇〇さんに申し訳ない。」――いつの日か公開する時が来るだろう。
- 〇〇さんには「キャリア教育」で培う中学生に必要な学力が既に十分に身に付いており,しかも,ご本人は全く意識していないが,当私塾の講座で「キャリア教育」とは関係のない,別種の質問の解答として,文部科学省が示す「キャリア教育」の趣旨にほぼ近い内容を述べたほどの強者である。現在のところ,教員は志していない(笑) 勿論,それで良い。
3 「論作文・小論文」選考・問題を〈相対化〉する―学級・ホームルーム経営―
問 あなたは担任として,どのように学級・ホームルーム経営に取り組みますか?
論作文・小論文の「つれづれ〈相対化〉シリーズ」。相も変わらず,心に移り行くよしなしごとをそこはかとなく綴ることにする。
4 近頃の「鍛地頭-tanjito-」ー年末年始の主な活動ー
当私塾自らの振り返りと見通しのためにも,年末年始の主な活動を記しておきたい。
© 2022 「鍛地頭-tanjito-」
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