新規塾生募集中!!
受講者募集中!!

教採受験界のパラダイムシフト!!
教員研修を基盤とする
教採対策
筆記選考と人物評価選考との
アウフヘーベン

〈ホンモノの教員〉 を
育成します

「場面指導Weekly解説ルーム」へはこちらからどうぞ。

教員養成私塾「鍛地頭-tanjito-」vol.26 「教育振興基本計画」/「授業改善のマネジメントサイクル」

夕暮れのまだ青味の残る空を背景に浮き上がる金色のトロントの街 一般ブログ教材
カナダのトロントの夜景(提供 photoAC)
この記事は約15分で読めます。

 0 テーマ

教職員には〈哲学〉が必要だ!!

「鍛地頭-tanjito-」の新設講座「教採アラカルト基本講座」の宣伝用画像
新設‼ 教採アラカルト基本講座

 1 プロローグ

先日,本講座のブログ教材として「教員養成私塾「鍛地頭-tanjito-」vol.20 「知の統合」/「塾のような授業」」(小桝雅典,BLOG「鍛地頭-tanjito-」,2020.10.06)をアップした。その中の「プロローグ」では「知の統合」について呟いている。

その矢先のことだった。ある教育関係者から「又聞きした話だけれど」と前置きされたお話を伺い,思わず「それはおかしいでしょう!」と大声を出してしまった。その方のお話がおかしいのではない。又聞きされた話がおかしいのである。

それは公教育にかかわる「総合的な学習(探究)の時間」の話だった。話というものは人を介する度にバイアスが掛かるものだから,その話の真意は解らない。しかし,又聞きの〈又聞き〉の話として聴く限り,「「総合的な学習(探究)の時間で知を統合するためだけの「統合化の授業」づくり」が継続的に行われようとしている。」としか思えない話だったのだ。しかも,その話から「統合」は単なる足し算であり,「教科の枠を超えた」は「教科の本質を無視する(無視して良い)」と理解された。

さて,今次改訂により高等学校の「総合的な学習の時間」は「総合的な探究の時間」となった。名称が変更されたということは,概念が変わったということである。

高等学校においては,名称を「総合的な探究の時間」に変更し,小・中学校における総合的な学習の時間の取組を基盤とした上で,各教科・科目等の特質に応じた「見方・考え方」を総合的・統合的に働かせることに加えて,自己の在り方生き方に照らし,自己のキャリア形成の方向性と関連付けながら「見方・考え方」を組み合わせて統合させ,働かせながら,自ら問いを見いだし探究する力を育成するようにした。

『高等学校学習指導要領(平成30年告示)解説 総合的な探究の時間編』(文部科学省,第1章 総説,第2節 総合的な探究の時間改訂の趣旨及び要点,2 改訂の要点,(1) 改訂の基本的な考え方,平成30年7月,p.7)

両者(筆者注:「総合的な学習の時間(平成29年告示)」と「総合的な探究の時間(平成30年告示)」)の違いは,生徒の発達の段階において求められる探究の姿と関わっており,課題と自分自身との関係で考えることができる。総合的な学習の時間は,課題を解決することで自己の生き方を考えていく学びであるのに対して,総合的な探究の時間は,自己の在り方生き方と一体的で不可分な課題を自ら発見し,解決していくような学びを展開していく。

同解説,第2章 総合的な探究の時間の特質,1 探究が高度化し,自律的に行われること,p.8

ところで,抑々,「探究」及び「探究の見方・考え方」とは何ぞや?
続いて,高等学校学習指導要領解説の中から引用してみる。

総合的な探究の時間における学習では,問題解決的な学習が発展的に繰り返されていく。これを探究と呼ぶ。

同解説,第3章 総合的な探究の時間の目標,第2節 目標の趣旨,1 総合的な探究の時間の特質に応じた学習の在り方,(1) 探究の見方・考え方を働かせる,p.12

探究とは,物事の本質を自己との関わりで探り見極めようとする一連の知的営みのことである。

同上

各教科・科目等における見方・考え方を総合的・統合的に活用して,広範で複雑な事象を多様な角度から俯瞰ふかんして捉え,実社会・実生活の課題を探究し,自己の在り方生き方を問い続けるという総合的な探究の時間の特質に応じた見方・考え方を,探究の見方・考え方と呼ぶ。

同解説,第3章 総合的な探究の時間の目標,第2節 目標の趣旨,1 総合的な探究の時間の特質に応じた学習の在り方,(1) 探究の見方・考え方を働かせる,p.13

このように「探究」及び「探究の見方・考え方」を視点に据えて引用文を読んでも,「総合的な学習(探究)の時間」の目的が何であるかが理解できてくる。

因みに,「各教科・科目等における見方・考え方を総合的・統合的に活用して,広範で複雑な事象を多様な角度から俯瞰ふかんして捉え」にはシステム思考を伺うことができる。

さらに,理解を深めるために,次の引用も含め,今度は「統合」に視点を据えながら,もう一度,これまでの引用を読んでみる。

なお,総合的な探究の時間において,各教科・科目等における見方・考え方を総合的・ 統合的に活用するということは,社会で( A[1]生きて働く )資質・能力を育成する上で,教科・科目等の学習と教科・科目等( B[2]横断 )的な学習を( C[3]往還 )することが重要であることを意味している。 系統的に構造化された内容を,それぞれの( D[4]特質 )に応じた見方・考え方を働かせて学ぶ教科・科目等の学習と,総合的な探究の時間において,各教科・科目等で育成された見方・考え方を,( E[5]実社会 )や実生活における複雑な文脈の中に存在する問題において,総合的・統合的に活用する教科・科目等( B[6]横断 )的な学習の両方が重要なのである。

同上

少なくとも「教科の本質を無視する(無視して良い)」とは読めない。ただし,「統合」の概念が判然としない。「統合」の辞書的な意味は次のとおりだ。

① 二つ以上のものを一つにまとめおさめること。統一。
② 児童生徒の生活経験を中心として、学習を総合、統一すること。

コトバンク:統合(読み)とうごう(英語表記)integration とうごう ‥ガフとうごう〔ガフ〕統合 integration,精選版 日本国語大辞典の解説 出典 精選版 日本国語大辞典精選版

同解説にも次のようにある。

○ 抽象化する(一般化する,統合する)
 ・ 対象に関する上位概念や法則を挙げたり,複数の対象を一つにまとめたりする。

第7章 総合的な探究の時間の指導計画の作成,第3節 各学校が定める内容の設定,4 考えるための技法の活用,(2) 考えるための技法の例と活用の仕方,p.97

要するに「まとめる」ことか? 同解説からはそれ以上のことが読み取れない。「知の統合」とは「複数の知をまとめる」ことなのか? 

異なる研究分野の間に共通する概念,手法,構造を抽出することによってそれぞれの分野の間での知の互換性を確立し,それを通じてより普遍的な知の体系を作り上げること

日本学術会議科学者コミュニティと知の統合委員会:『提言:知の統合―社会のための科学に向けて―』,2007.3.22

「日本学術会議科学者コミュニティと知の統合委員会」の「知の統合」の定義である。

前掲の定義に依拠し,それを伺う限り,「統合」は単なる「足し算」ではない。「より普遍的な知の体系を作り上げること」だから,そこには知の高次化を読み取ることができる。――(中略)「普遍化」とは「多様な知の小さな体系を一元論的に止揚(aufheben)する過程である」と見做せば,「高次化」と考えて良いのだろう。――

「教員養成私塾「鍛地頭-tanjito-」vol.20 「知の統合」/「塾のような授業」」(小桝雅典,BLOG「鍛地頭-tanjito-」,2020.10.06)

ここで問題になることは何のための「高次化」であるかということである。そこを問わない限り,「「総合的な学習(探究)の時間で知を統合するためだけの「統合化の授業」づくり」が継続的に行われてしまうのだ。

学校教育界には悪しき風潮がある。「アクティブラーニングが大切だ。」と言われれば,その目的性や教育方法的な内実は度外視されて「アクティブラーニング」が独り歩きする。「「知の統合」が大切だ。」と言われれば,それは確かに大切なのだが,「知の統合」のみが目的化する。「「知の統合」が大切だ。」の前後に流れるコンテクストから「知の統合」はあっさりと切り離されてしまうのだ。それがなぜ「大切」であるかについての思考が抜け落ちるのだ。まずは,眼前の学習者実態や〈社会〉などから「知の統合」の必要性が理解されていれば,それのみが継続的に目的化した授業デザインは生じないはずだ。

なぜこのような悪しき事態が生起するのだろう。原因は多々考えられそうだ。当道場内では雑談の中で,こうした原因について語り合う場面がある。その都度,塾生・受講者及び当道場スタッフは決意を新たにする。

教採対策を大切にしよう。教採は合格を勝ち取るだけの戦略ゲーム・点取合戦ではない。教採対策で教員としてのものの見方や考え方を肥やしていこう。教員として実践に役立つ力量を付けるため,日々学び続けることこそが受験する者の(乳幼児・)児童・生徒に対する責任である。

これが〈教育愛〉の一つの姿だ。

 2 教採アラカルト(教育振興基本計画)

出 題

問 関係地方自治体の教育振興基本計画(又はそれに相当するもの)を読み,何を課題にどのような主要政策実施方針等が定められているかを整理し,自ら何ができるのか,その構想を温めておきなさい。

塾長の述懐・資料

「「鍛地頭-tanjito-」は奇妙な出題をするなあ。」

……でも,全く「奇妙」ではありませんよね。〈新しい時代〉の〈新しい教育〉を支え,クリエイトしようと意欲的に学習を進められている方にとっては常識的な出題だと思います。

第十七条 政府は、教育の振興に関する施策の総合的かつ計画的な推進を図るため、教育の振興に関する施策についての基本的な方針及び講ずべき施策その他必要な事項について、基本的な計画を定め、これを国会に報告するとともに、公表しなければならない。
2 地方公共団体は、前項の計画を参酌し、その地域の実情に応じ、当該地方公共団体における教育の振興のための施策に関する基本的な計画を定めるよう努めなければならない。

教育基本法,下線は筆者が施した。以下同様である。

「教採だから」と割り切った言い方をすれば,「国の「第3期教育振興基本計画」はこれまでの「教採」の出題ネタだったから,次の出題ネタは各地方公共団体が作成する「教育振興基本計画(又はそれに相当するもの)」だよね。今夏,既に問われている地方公共団体があるようだしね。来夏はあちこちで出題されるかもね。」となるのだろうか? ――こうした発想は教員を目指す者として恥ずかしい。自らが教鞭を執ろうとしている地方公共団体がどのような教育課題を抱え,その解決のためにどのような教育理念を掲げた上で,どのような教育施策(方針)を打ち出しているのかくらい知っておくのが当たり前である。自らが赴任する学校の教育目標と無縁のものではないのだ。それを理解していないで,どうやって教育活動を展開するのか。まさか,勝手に,適当にとはいかない。全体の奉仕者である教育公務員なのだから。

上述したように述べてくると,すぐに関係地方公共団体の「教育振興基本計画(又はそれに相当するもの)」をネット等で調べようとする。そうした在り方は「自分だけが合格すれば良い(児童生徒のことは全く念頭にない)。」か,十分な問題解決能力が育っていないか,それらのどちらかだと思う。

なぜ?

確かに,すぐに調べなければならない。だが,少なくとも当道場ではそうした手順で学習を進めない。なぜならば,(本課題に対する)十分な力量形成にならないからだ。

なぜ?

「教育振興基本計画」をなぜ学習するのか?(=なぜ知識として持っておかないといけないのか?)この疑問から解決しておかなければ,「教育振興基本計画」に関する学習の目的を喪失することにつながります。つまり,例えば,「第3期教育振興基本計画」の概要版に示された「基本的な方針」及び「教育政策の目標」を丸暗記して終わる虚しい学習に終始してしまうことになるのです。そうした学習では脳内にインプットした知識は〈生きて働く知識〉にはなり得ず,直ぐ様枯渇してしまうことでしょう。これでは教育現場での実践力に結び付きません。

「保護中: 教員採用試験対策講座1―教育振興基本計画―」(小桝雅典,BLOG「鍛地頭-tanjito-」,2020.01.12)

「教育振興基本計画」は将来的な日本社会における教育振興を展望した上で紡ぎ出された「計画」です。したがって,「計画」の立案の前提には確かな「新しい時代」の予測・展望があります。また,「予測・展望」は現状及びその課題から行われるものです。つまり,「現状及びその課題」を理解することが「予測・展望」,延いては「教育振興基本計画」そのものの内実を一層深く理解することにつながります。

同上

上掲の二つの引用は,次のブログ教材のものです。

教採アラカルト基本講座」で今回のテーマを扱う際,特別にごのブログ教材を活用します(受講者に進呈)。本ブログ教材だけで「教育振興基本計画」については十分に理解できるように書き下ろしました。他のいずれの参考書も要りません。「教育振興基本計画」を理解する上でのポイント整理や習得した知識をどのように活用していくのかなど端的にまとめてあります。当道場は学校での実践に,そして教採に役立つブログ教材の開発にも力を注いでいます。

註:受講者への進呈用ブログ教材ですので,パスワードを掛けてあります。


2020年「鍛地頭-tanjito-」が開講する「場面指導Weekly解説ルーム」のコマーシャル用フライヤー(教材紹介編)
「場面指導Weekly解説ルーム’20」受講者募集中!!

「場面指導Weekly解説ルーム」を受講される方全員に無料ブログ教材を進呈!!

場面指導Weekly解説ルーム」には各回に使用する塾長書き下ろしのブログ教材が付いています(無料進呈)。それに加えて,「カリキュラム・マネジメント」をテーマとする回で,学校現場においても教採対策においてもフル活用できる,これまた塾長書き下ろしのブログ教材をさらに無料進呈します。豊富な資料を採択し,これを読めば,教育課程・教育方法論の立場から「カリキュラム・マネジメント」を理解できるようになります。「場面指導Weekly解説ルーム」ではこの資料を用いながら,さらに塾長が解説を加え,あなたの学校での将来的・現実的な実践をサポートします。

進呈用ブログ教材

教員採用試験対策講座1-カリキュラム・マネジメント1-
Openchat「教員採用試験対策講座「鍛地頭-tanjito-」」の「スクールコンプライアンス(豆知識)」(vol.22)ノートです。今回の出題は「カリキュラム・マネジメント」からです。端的に整理された解説を熟読してください。根拠法令等付きです!
教員採用試験対策講座1-カリキュラム・マネジメント2-
Openchat「教員採用試験対策講座「鍛地頭-tanjito-」」の「スクールコンプライアンス(豆知識)」(vol.23)ノートです。今回の出題は「カリキュラム・マネジメント」からです。教採対策のための学習方法についても言及しました。
教員採用試験対策講座1―教育振興基本計画―
「鍛地頭-tanjito-」の教員採用試験対策講座で使用するオンライン教材。今回のテーマは教採頻出事項の「教育振興基本計画」です。教材は設題・解答・解説・塾長の述懐から成ります。解説は当該計画の意義,属性,教育施策の方向性について詳述してあります。
教員採用試験対策講座2ー学習指導要領(大綱的な基準)ー
教員採用試験対策講座(Weekly解説)のオリジナル教材として書き下ろしたBLOG教材です。今回のテーマは「学習指導要領の基準性」です。人物評価選考と筆記選考両者の対策を統合化した解説+問題集の体裁としました。繰り返し繙き,学ぶことができます。
註:パスワードが掛けてあります。


 3 場面指導等(授業改善のマネジメントサイクル)

出 題

問 管理職による授業観察後の面談で,「もっと授業改善のマネジメントサイクルを意識した方が良い。」と指導を受けました。あなたはこの指導言をあなたの授業へのアドバイスとしてどのように解釈しますか?

塾長の述懐・資料

「なんか,けったいな問題やなあ~」
「そうです。滅多に外には出さない道場内(塾生・受講者向け)の出題です。だから「けったい」です。抑々,このような指導言だけを投げる管理職ならば,その管理能力(?),表現力(?)…に「?」が付きますね(笑)

「けったい」な出題であるにもかかわらず,道場内でなぜこの出題が罷り通るのか?

それは,塾生・受講者の解答を聴けば,例えば,次のような(塾生・受講者一人ひとりの)課題が分かるからです。数例のみ,思いつくものだけを脈絡もなく,ただ挙例します。

  • 「授業力」とは何か…わかっていないな。
  • 必要とされる学力観が理解できていないな。
  • 学習指導要領に措定された学力観の変遷史が頭に入っていないな。
  • 「授業改善」の意味・意義を理解していないな。
  • 意義・役割を含めた「マネジメントサイクル」自体を理解していないな。
  • 「カリキュラム・マネジメント」を理解していないな。
  • 学習者の実態分析ができないだろうな。
  • 学習・授業評価等の評価能力を鍛えないといけないな。
  • 指導技術が乏しいな。
  • 生徒指導に自信がないな。(えっ,そんなことまで!)
  • 「授業経営」できそうにないな。
  • 〈新しい時代〉の〈新しい教育〉を見据えていないな。
  • (塾生・受講者に)哲学がないな。
  • (この塾生・受講者は)学力を付ける授業ができるのではないの?
  • (この塾生・受講者は)えっ!? ひょっとして学習指導案を書けないの!?

飽くまでも例で,当塾の塾生・受講者の実態とは異なります。

これと似たような営みを積み重ねながら,塾生・受講者一人ひとりの課題を抽出し,相談しながら学習計画を立て,(塾生・受講者は)「調べる・考える・書く・半端ない添削を受け,執拗に対話する」等を繰り返しつつ,そうした過程を塾生・受講者と共に〈相対化〉して,また新たな課題を抽出する。……この繰り返しが当道場の日常の営為なのです。

先行き不透明な時代,人生100年時代を生きる子供たちには学び続ける力が求められます。学び続けるためには,本質的な問いを意識することが必要です。それは生涯において何度も問い直され答えが更新され続けるような「人はなぜ生きるのか?」「自分は何者か?地球全体の持続可能な発展のために,自分には何ができるのか?」など,抽象的で,哲学的なものになるでしょう。 探究的な授業づくりにおいては,発達の段階に応じて,本質的な問いにもつながるような授業を考えていく必要があるでしょう。

(中略)

このように「本質的な問い」を意識しながら授業をつくり,また子供たちの思考を高度化していくような働きかけを行うことができれば,子供たちの学び続ける力の育成につながっていくのではないでしょうか

「コラム 学び続ける力の育成のために」令和2年度広島県教育資料,第1章 「主体的な学び」の創造,「課題発見・解決学習」をはじめとした「主体的な学び」の創造

「「本質的な問い」を意識しながら授業をつくるだと? そんなことできるわけがない!」と思われた方はおられませんか?

上記引用文中の前段(「中略」以前の段落)において「子供たち」を「教職員たち」,そして「あなた自身」と置換して読んでみてください。そうすると,「教職員たち」も「あなた自身」も「本質的な問い」を意識しながら学び続けなければならないことがお解りになるはずです。学び続けるためには「本質的な問い」を意識しながら「思考を高度化していくような働きかけ」を日常的に行っていく必要があるのです。こうした営みを疎かにすると,「「本質的な問い」を意識しながら授業をつくるだと? そんなことできるわけがない!」といった感情的な思考になるのです。勿論,そのような授業を展開できない。

しかし,時代は「「本質的な問い」を意識しながら授業をつくる」教員を求めているのです。

教員採用候補者選考(以下,「教採」と表記)を〈学び〉・〈教育〉のコンテクストから乖離させ,一片のテクストたる攻略ゲームのように考えていたのでは,抑々次元の異なる話であるだけではなく,教壇に立ってやっていけない時代が到来しているということです。

否,教採云々ではなく,現代を生きる私たちは皆「「本質的な問い」を意識しながら学び続けなければならない」時代を生き抜いていかなければならないのです。

だからこそ,「鍛地頭-tanjito-」で(教育的な)哲学をしてみませんか? それが「鍛地頭-tanjito-」の教採対策です。「鍛地頭-tanjito-」の〈学び〉は「攻略ゲーム」を〈攻略〉・〈超越〉し,教員として最低限必要な〈学び〉をも修めることができる高次化した《学び》を目指します。

功利的に述べれば,教採対策と教員研修とを同時に叶える一挙両の《学び》なのです。

出題に対するご質問,ご意見,正解及び解説等に係る照会については受け付けておりません。予めご諒解ください。

© 2020 「鍛地頭-tanjito-」


References[+]

タイトルとURLをコピーしました