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システム思考で教育活動を捉えろ!!
1 プロローグ
受講者から朗報が舞い込み始めた。
「教採に合格しました!!」
内心,「あれだけ(受講者が)頑張ったのだから,合格しないのはおかしい。」と思う。でも,手放しに嬉しい。「よく努力されたなあ。」とそれに重ねて思う。また,「まずは,乳幼児・児童・生徒ありき」を体現するであろう本務者がまた一人誕生したのだから,尚更嬉しい。
時を同じくして,ある教採関係の参考書で「(教採の)合格はスタートラインに立ったということ」といった主旨の言述に出遭う。
瞬間「スタートライン?」と怪訝な脳内反応が起こる。「まあ,本務者としてはスタートラインに立つことになる。」と敢えて思い直してみる。「合格して本務者集団に移行するわけだが,受験(教採)を基軸に考えると,受験は終わったわけで,「終わりは始まり」だからスタートラインに立ったということになるのだろう。」と,さらに敢えて思い直してみる。でも,心底にモヤモヤが残る。
「合格は通過点だ。」との思いが改めて心底から湧出してくる。
また,時を同じくして,聴こうともしていないが,関係地方自治体が実施した教採の在り方についてその情報が耳に入ってくる。
その情報を聞きながら,「やはり「合格は通過点」であるべきであって,なぜならば,「教採」は本来の意味での「イニシエーション」,つまり「通過儀礼」だからだ。」と思う。と同時に「まさか形骸化したイニシエーションになっていないよね…まあ,コロナ禍だし…。」と漠然とした猜疑心を隠せない。
「乳幼児・児童・生徒等のために,そして自分のために〈学び続けること〉を基軸に据えれば,教採は「通過点」だ。」
そのように考えるから,「イニシエーション」,「通過儀礼」及び「儀礼」の概念が気になる。又もや職業病である。
原典に当たって調べるべきだが,取っ掛かりにと思って「コトバンク」を読んでみる。
「「きびしい試練を課する場合がある。」…か…「イニシエーション」の過程には「それまでの地位からの「分離」,中間的な「移行 (境界) 」の時期,そして新たな地位を与えられる「再統合」の3つの段階」[6]コトバンク:イニシエーション(英語表記)initiation,ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説,ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典があり,「第二段階の過渡の儀礼」は「きたるべき新しい生活に対処するための学習や修行に努めることが多い。」[7]コトバンク:通過儀礼(読み)つうかぎれい(英語表記)rites de … Continue readingともある。その「通過儀礼」は「平安を保障し新しい身分への移行を公示する」[8]コトバンク:通過儀礼(読み)つうかぎれい(英語表記)rites de passage,世界大百科事典 第2版の解説,平凡社ことが目的だ。…教特法で守られ,かつ,安定した給与を得る…か…。
「(「プロローグ」だから詳述は割愛するが,これらの引用を通して読むと,)これって,まさに「教採」(・「教員」)じゃん。」とほくそ笑む。
抑々,「英語で儀礼を意味するritual, riteは、その語源であるラテン語のritusからすれば、習慣化された行為をさし」[9]コトバンク:儀礼(読み)ぎれい,日本大百科全書(ニッポニカ)の解説,小学館 日本大百科全書(ニッポニカ),「儀礼は日常から分離される過程(物忌みなど)を経て非日常性のなかで行われ、(中略)非日常的な聖なる時間、空間という舞台が設定されたなかで行われる演技である。儀礼には、文字化されていないが、伝統によって形成された執行の形式が存在し、参加者はその形式に従って演技する」[10]コトバンク:儀礼(読み)ぎれい,儀礼とコミュニケーション,日本大百科全書(ニッポニカ)の解説,小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)のだそうだ。
今の「教採」が形骸的に「習慣化された行為」として演技する非日常的な空間になっているわけではないよね? 特に(集団を含む)面接選考,模擬授業及びグループワークなど。
「「教採」は形骸的に「習慣化された行為」として演技する非日常的な空間だ。」と受験主体を瞞着し惑わす指導者がいるわけではないよね?
〈学び続ける主体〉にとっての「通過点」である「教採」は,本来の意味を持つ「通過儀礼(イニシエーション)」として〈伝統〉が醸成したメタメッセージを新たに認知する聖なる空間であることを忘れてはならないのである。
儀礼はこのように、伝統によって形成された形式を上演することで、参加者がそのメッセージを新たに発見し、それがまた伝統となって世界観を次の世代に伝えていく、といった不断のコミュニケーション過程であるといえる。
コトバンク:儀礼(読み)ぎれい,儀礼とコミュニケーション,日本大百科全書(ニッポニカ)の解説,小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
2 教採アラカルト(生徒指導/教育心理)
出 題
問 次の文章は『生徒指導提要』(文部科学省,平成22年3月)の一節である。よく読んで,後の問いに答えなさい。
この方向付けをもう少し掘り下げると,生徒指導を進めていく上で,その基盤となるのは児童生徒一人一人についての児童生徒理解の深化を図ることと言えます。 一人一人の児童生徒はそれぞれ違った( A[11]能力 )・適性,興味・関心等を持っています。また,児童生徒の( B[12]生育環境 )も将来の進路希望等も異なります。それ故,①児童生徒理解においては,児童生徒を多面的・総合的に理解していくことが重要であり,②学級担任・ホームルーム担任の日ごろの人間的な触れ合いに基づくきめ細かい観察や( C[13]面接 )などに加えて,学年の教員,教科担任,部活動等の顧問などによるものを含めて,広い視野から児童生徒理解を行うことが大切です。③児童生徒理解は,一人一人の児童生徒を客観的かつ総合的に認識することが第一歩であり,日ごろから一人一人の言葉に耳を傾け,その気持ちを敏感に感じ取ろうという姿勢が重要です。④思春期の場合には,子どもから大人への急激な成長の変化をとげる時期であり,様々な不安や悩みを経験しながら自分自身を見付けていきます。これに加えて進学等による( B[14]生活環境 )の急激な変化を受けている中学生・高校生の不安や悩みにも目を向け,児童生徒の内面に対する専門的知識を持って生徒理解を深めることが大切です。
問1 空欄A~Cに適語を補いなさい。
問2 下線部①について,「児童生徒を多面的・総合的に理解していくことが重要であ」る理由を簡潔に説明しなさい。
問3 下線部②について,生徒指導の三機能の中で最も関連する機能を挙げなさい。
問4 下線部③について,「その気持ちを敏感に感じ取ろうという姿勢が重要です」とありますが,「児童生徒を客観的かつ総合的に認識する」ために,その他重要だと考えることを述べなさい。
問5 下線部④について,エリクソンはこの時期(発達段階)をどのように捉えているか。次の語を用いて簡潔に説明しなさい。
心理社会的危機 自我同一性 自我同一性の拡散 心理社会的モラトリアム
問6 文章中には誤りが一か所あります。その誤りを指摘して訂正しなさい。
塾長の述懐
来月[15]令和2(2020)年11月6日(金)午後8時00分から開講予定の「教採アラカルト基本講座」の教材の一部をご紹介しました。問1から問6までの出題は「学校での(現実的な)指導」と「教採対策」とを止揚・統合させるように意識して作成してあります。つまり,本出題に取り組めば,—当道場の場合には常にそうした発想に立っていますが―「学校での指導力(の基礎)」と「教採突破力」とが共時的に身に付くことを企図しているということです。そして,それら両者の〈対話〉の仲介役が塾長の解説となります。一瞥すると,「基本講座」らしからぬ難易度を持つ出題のように見えますが,解説を聴かれれば,「なるほど基本レベル」と得心されるはずです。
3 場面指導等
出 題
問 授業中,児童生徒A君はずっと私語を続けていました。授業が半ばを迎えたところで,B教諭はA君に対して叫びました。
「うるさいから(教室から)出て行け!」
すると,A君は本当にそそくさと出て行ってしまいました。
この状況について,あなたはどのように考えますか?
塾長の述懐
本問もてっぱんネタです。
さて,場面指導を扱う参考書では問題文を次のように述べるものがあるのではないでしょうか?
「授業中,A君はずっと私語を続けていました。授業が半ばを迎えたところで,「うるさいから出て行け!」と言ったところ,A君は本当にそそくさと出て行ってしまいました。あなたはどのように対応しますか?」
この出題によって架空の授業主体と「あなた」とは強制的に同化させられるわけです。
「そういう出題の在り方は余りにも酷い。いくら選考の問題であるとはいえ,否,選考の問題だからこそ,「あなた」に対して失敬千万である。」
と思うわけです。抑々,「出て行け!」と叫ぶ受験主体が教採に合格してはならないのです。如何なる指導に向かうコンテクスト(文脈)があるにせよ,(特に,こうしたコンテクストでの)「出て行け!」は指導ではないし,発してはならない言葉です。したがって,上述の教育事象を客体視する出題としました。
因みに,当道場が主張する「指導のコンテクスト」(「指導に向かうコンテクスト」とは同一のものではありません。)という概念は教育活動において重要です。当道場は一つひとつの教育活動について「事前指導→事中指導[16]当道場の造語→事後指導」のフレーム(≒「指導のコンテクスト」)を考えなさいと指導します。何も場面指導の出題を乗り切るためだけではありません。学校において教育活動に当たる際,常に意識しておかなければならないことだからです。
本出題においてもそれは同様です。
〈大きな教育事象〉は〈小さな教育事象〉が複雑に絡み合う有機的な三次元の総合体です。「指導のコンテクスト」と勘合し,実践的・効果的な指導を考究するとき,まずはどの〈小さな教育事象〉に視点を据え,アプローチを試みるのか。―そこには〈大きな教育事象〉を俯瞰する総合的な視点が必要です。―それでいて,例えば本問のように無機的な〈大きな教育事象〉の負のバックボーンは何かとさらに考え合わせることを同時に行う必要があります(システム思考)。そのように考えると,どうやら本問の場合,解答のカギは「事前指導」と負のバックボーンにありそうです。
また,上述のように教育事象を捉えても,遺憾ながら選考本番での解答において捉えた教育事象を統合的,かつ,ありのままに記述した語りを行うことはできません。そこには選考に向いた〈語り〉が存在します。勿論,その〈語り〉は形骸化した「通過儀礼」としての上演・演技(曲解された「パフォーマンス」)とは全く異なるもので,〈教採〉としての伝統を継承したメタメッセージを認知する〈語り〉です。
その辺りの詳細については「場面指導Weekly解説ルーム」でお話いたしましょう。塾長の実践談や見聞録(笑)を織り交ぜながら。
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