みなさんが育児をしていく中で,こどもにどのような大人になってほしいと考えておられますか?
「思いやりのある大人になってほしい」
「自分の考えを持った大人になってほしい」
「他人に縛られず伸び伸びとした大人になってほしい」
「自分(だけ)を大切にする大人になってほしい」(?)
思うことは,いろいろありますよね。
「こんな大人になってほしい」と願わない保護者(親)はいないのではないでしょうか。
こどもの将来についての考え方は,時代の流れとともに変化が起きているようです。この背景を元に,教育や育児のあり方を,主に人格心理学[1] … Continue readingの側面からお話できたらと思います。
1 時代の流れにおける保護者(親)の想いの変化
まずは一つ。資料をご覧いただきたいと思います。
平成から令和へ時代が推移していく中で,保護者(親)がこどもの将来に抱く想いの変化(2015年/2019年の比較)を表したものです。
“こんな子になって欲しい”ランキング(2015年7月)
- 思いやりのある子
- 自分に自信が持てる子
- 友だちを大切にする子
- 社会で自立できる子
- 自分らしさ(個性)のある子
上記のほかにも,「目標を達成する力のある子」「人に迷惑をかけない子」などがあります。自らのセンチメント(情緒)を培ってほしいと想う保護者(親)が多かったようです。
令和時代「親が子どもに望むこと」調査(2019年6月)
- 失敗しても立ち直れて成長できること
- 自分の力で道を切り開けること
- 世界の人とつながり協同できること
- AIに負けない考える力を持つこと
- あたり前の幸せな社会
参考:令和時代「親が子どもに望むこと」調査。1位は“失敗しても立ち直る力”【パパママの本音調査】 Vol.338,ウーマンエキサイト
チャレンジ精神や乗り越える力,決断力や生き抜く力。思いやりの心や自分を信じる力。そして,今こうして生きている環境への感謝を忘れないこと。自らのセンチメント(情緒)だけではなく,アクティブな(能動的な/積極的な)側面,すなわち「時代を生きるスキル」を重視する保護者(親)が増えたことが分かります。
では,例えば,「「失敗しても立ち直れて成長できる」大人になるために,保護者(親)としてこどもに何を教えていますか?」と問われたとき,皆様ならば,何と答えられますか?
実は,「〇〇のような大人になってほしい」と考えているのにもかかわらず,保護者(親)が積極的にこどもにかかわっていない現実が多々あります。「○○のような」には,そのこどもの性格や人格が大きくかかわります。そして,性格や人格の形成には,大人(特に保護者(親))を含むこどもを取り巻く環境がとても強く影響しているのです。
2 「人格」とはなに?
こどもたちの将来に,「人格」は大きく影響します。
では,「人格」とは何を指すのでしょうか? また,どのようにして「人格」は形成されていくのでしょうか。
まずは,前者からです。「人格」とよく混同されるものに「気質」と「性格」があります。次に,その相違をご説明します。
よく言われるのは,第一子と第二子間でも気質や性格に違いがあることです。「(保護者(親)にしてみれば,)第一子も第二子も同じ環境で,同じように育てているのに,なぜこんなにも違うの?」と思われることがございませんか? 実は,それは,こどもにとってそれぞれが異なる「人格」を形成しながら成長していることを意味しているのです。
例えば,私の場合,息子は私をそれほど困らせることのない,そういう意味で育てやすい赤ちゃんでした。しかし,娘は息子と真逆な赤ちゃんだったのです。こうした状況には,「気質」が関与していると考えられます。
アメリカの精神科医トーマス&チェス夫妻は,その「気質」を研究し「4つの気質タイプ」を提唱しました。
- 扱いやすいタイプ(40%)
- 扱いにくいタイプ(10%)
- 順応が遅いタイプ(15%)
ところが,「4つの」と言いながら,残りの35%(④)はというと,これらには当てはまらなかった/上述(①~③)の気質の傾向を併せ持つタイプとする研究結果が発表されているのです。つまり,気質の類型化とは呼ぶものの,現実的な様相として,人の気質は精緻に類型化できるものではないのです。
簡単に言えば,研究上(便宜上),人をタイプ別に類型化したとしても,特に教育の土壌で,一人ひとり異なる生身のこどもたちをグルーピング(類型化)して指導しようとする発想は,一人ひとりを大切に育てようとする発想ではないということです。
また,人格は生涯にわたり変化していきます。成長が著しいこどもの発達において,「この子はこういう子」と決めつけてしまうことは,その子自身の変化や発達する機会を奪ってしまうことになります。特定の気質(○○タイプ)だから特定の育て方(△△はする,□□はしない)とする一対一式の子育ては非常に不安定なものであって,こどもによっては,誤った育て方をしてしまう可能性すら多分にあると言えるのです。抑々,こうした気質の研究は,飽くまでも「研究」であって,真理とは到底言えないのですから。
「気質はその人の性格に影響を与えます。しかし,ここが重要なのですが,気質がその人の性格ましてや人格のすべてを決定するわけではありません。」
人格心理学「第1回 人格心理学をはじめるにあたって」,大山 泰宏 教授,放送大学
「性格,人格は,その人が自分で作り上げていくことができる自由度があり,自分自身の生き方で変わってきます。」
「性格には,遺伝的な要素ばかりではなく,多くの要因が複雑にかかわっているのです。」
学問の一環として視聴している放送大学の授業において,大山泰宏教授が述べておられたことです。これには,深く頷き共鳴しました。もしも自分が「あなたは○○タイプだから△△だ」と,型にはめられて決めつけられたらどうでしょう? 「私の何を知っているの?」と不快に思いませんか? しかも,その行為を眼前のこどもに行っていませんか?
大山教授も述べておられた「多くの要因」の一つに,私は「保護者(親)のこどもに対するかかわり方がこどもの発達に最も影響する。」があると考えているのです。「気質」といった一つの視点だけではなく,「性格」や「人格」の視点を持って,多角的・多面的・総合的に相手をみる必要があるのだと考えます。
では,次に,「性格」とは何でしょうか?
長い間,多くの学者たちの間で,性格に影響しているのは「遺伝」か「環境」かとの論争がありました。答えは,両方なのです。これは「遺伝と環境の相互作用」といって,母親のお腹にいるときからこどもの発達に関連があると言われています。
子どもは、様々な環境との相互作用により発達していく。すなわち、子どもの発達は、子どもがそれまでの体験を基にして、環境に働きかけ、環境との相互作用を通して、豊かな心情、意欲及び態度を身に付け、新たな能力を獲得していく過程である。特に大切なのは、人との関わりであり、愛情豊かで思慮深い大人による保護や世話などを通して、大人と子どもの相互の関わりが十分に行われることが重要である。この関係を起点として、次第に他の子どもとの間でも相互に働きかけ、関わりを深め、人への信頼感と自己の主体性を形成していくのである。
第2章 子どもの発達(平成20年版 保育所保育指針(厚生労働省告示第 141 号) 第2章・第3章(抜粋) 資料3)
子どもの発達は、子どもが自らの経験を基にして、周囲の環境に働きかけ、環境との相互作用を通じ、豊かな心情、意欲、態度を身につけ、新たな能力を獲得する過程であるが、身体的発達、情緒的発達、知的発達や社会性の発達などの子どもの成長における様々な側面は、相互に関連を有しながら総合的に発達する。子どもは、身近な人や自然等との関わりの中で、主体的に学び、行動し、様々な知識や技術を習得するとともに、自己の主体性と人への信頼感を形成していく。
(子どもの発達段階に応じた支援の必要性),3.子どもの発達段階ごとの特徴と重視すべき課題,文部科学省
子どもはひとりひとり異なる資質や特性を有しており、その成長には個人差がある一方、子どもの発達の道筋やその順序性において、共通して見られる特徴がある。子どもは成長するに伴い、視野を広げ、認識力を高め、自己探求や他者との関わりを深めていくが、そのためには、発達段階にふさわしい生活や活動を十分に経験することが重要である。特に身体感覚を伴う多様な経験を積み重ねていくことが子どもの発達には不可欠であり、これらを通して、子どもの継続性ある望ましい発達が期待される。こうした観点を踏まえつつ、2.(1)で述べたような、現代の子どもたちをめぐる社会環境も考慮し、子どもの発達やその課題を踏まえた適切な対応と支援を、従来より一層、行っていくことが、重要である。
人間は他の動物とは異なり,生まれてすぐに自力で立ち上がって歩いたり,話したり食べたりすることもできません。いわゆる,未熟な状態で生まれてきます。赤ちゃんを取り巻く環境が発達を促すため,何も教えなければ何も知らずに育ちます。こどもが大人からたくさんのことを教えられ覚えていくという長い過程は人間にしかなく,人間の持つ学習能力の高さと関係しているそうです。
上図のように,生まれながらに持つ「気質」を包み込むようなかたちで生育環境による「性格」が形成され,その人の「人格」として確立されていきます。
上図を見ても分かるように,如何に人と人とのかかわりや環境が重要であるかということにお気づきになるかと思います。環境による性格形成部分が大きいということは,それだけ環境によって性格の変化も起こるのです。
「人格」は,生まれ持った「気質」と生育環境によって変化する「性格」とで成り立っています。
3 善悪の判断は赤ちゃんでも可能
人間は未熟な状態で生まれてくると,先に述べました。これについて「赤ちゃんは何も分からない状態で生まれてくる」という「白紙状態(タブララサ(tabula rasa)」だと見做されてきました。しかし現代では,予想した以上に主体的であり,感覚・記憶・理解・推測など多くの能力を持って生まれてくることが明らかになっています。
さらに,赤ちゃんにも善悪の判断ができるという研究発表も為されています。
息子が1歳5か月になるまで,私は母乳で育てていました。生後6か月頃になると前歯が生え始め,これで噛まれると痛いんです…(育児あるあるですよね)。当時,毎日通っていたオープンスペースで息子と同じ月齢のお子さんを持つお母さんたちと「前歯で噛み噛み事件」について雑談をしていると,保育士OBのスタッフさんが次のようにおっしゃられました。
あのね,お母さん。噛まれたら痛いじゃろ?
その時に赤ちゃんの目をしっかり見ながら,強い口調で「痛いっ!!」って言うことが大切よ。
そうすることで,赤ちゃんは「噛んではいけない」って理解するから☆
帰宅後,スタッフさんに教えてもらったことをやってみようと,「噛むのか~,噛むのか~」と授乳しながら構えて待っていると,ついにその時がやってきました。
痛いっっっ!!!!!!
瞬間,息子はビクッ!! 動きが止まり,「えっ? なに?」と考えるような目の動きをしていたのをはっきりと覚えています。少し間があり,また母乳を飲み始めるのですが,さらに噛んできたところで…。
痛いっっっ!!!!!!
また息子の動きが止まる…(笑)
そして,次に母乳を飲もうとするときは,恐る恐るという様子でした。
ほんの数回,これを繰り返しただけで,噛むという行為は一切なくなりました。数年後に娘が生まれた時も,同じように対応し効果を得ています。
このように,生後6か月で善悪の判断ができるということを,私はわが子の育児で知りました。上述している研究結果は,生後3か月の赤ちゃんですら「善悪の判断ができる」と発表しています。
ただし,乳児期に善悪の判断はできても,その「理由」までは理解できません。それは,こどもの発達段階に応じて,少しずつ理解されていきます。その前提として,まずは保護者(親)による「善悪の教え」が不可欠となります。
4 まずは大人が変わること
乳児にも善悪の判断はできるということ,教えなければ何も知らずに成長することが分かりました。しかし,日頃,「こんな小さい子に何を言っても分からない」「こども同士のトラブルは,こども同士で解決すればいいから口を出さない」といった言葉を,周囲の保護者(親)からよく耳にします。
こどもの一番近くに存在している「善悪の判断」ができる大人は,保護者(親)ですよね。私もその一人であり,息子や娘に「善悪」を教えるべき責任のある立場にあります。その保護者(親)が物事の「善悪」を教えないとしたならば…。保護者(親)から「善悪」を教えてもらっていないこどもがまずはじめに苦しむのは,集団生活ではないでしょうか。
それまでは,何をしても許されていた環境にあったにもかかわらず,いざ集団生活の中に入るとその場にいる大人から注意をされたり叱られたりします。こどもは「何がいけないのか」を理解できません。ですから,同じ言動を何度も繰り返し,仕舞には「問題児」というレッテルを貼られてしまうのです。
ここで,神経発達症(発達障害)のこどもを持つ保護者(親)として一言。
「神経発達症(発達障害)のこどもは,問題児ではない」
大人,こどもにかかわらず,神経発達症(発達障害)についての正しい知識の習得と丁寧なコミュニケーション及び適切なアプローチによって,未然にトラブルを防ぐことは可能なのです。
自分の手に負えないこどもを,大人が勝手に「問題児」にしている。
あくまでも私の考えですが,「問題児」と言われるこどもには,何の罪もないのです。問題は,その子にかかわる保護者(親)を含めた大人にあります。こどもの行動を正す前に,まずは大人自らが自らの姿勢や態度を改めるべきではないでしょうか。
5 大人がこどもにできること
息子と娘に対する躾けの在り方は,私の父が模範(モデル)となっています。
三姉妹の長女として私は生まれ,父の優しさと厳しさとの調和の中で躾けをしてもらいました。普段はわいわいとおちゃらけたことが大好きな父でしたが,「道徳」に反することをした時は,とてつもない剣幕で叱られました。そして,最後に必ず次のようなことを言っていたのです。
「今は分からんかもしれんけど,大人になるにつれて「父さんが言っていたのはこういうことだったのか」と一つ一つ身に染みて分かる時がくる。」
そして,父の言うとおり,私は歳を重ねるにつれて「こういうことだったのか」「このためだったのか」と実感していきました。このように感じられるようになったのは,「個人と環境の適合性[2] … Continue reading」が関与しています。
私を取り巻く環境の変化であったり,そこに適合しようとする自らの働きかけであったり。自分が生きていく中で父の教えが具体化され,実践をして多くのことを学びながらアイデンティティが確立されていったのです。
例えば「人を叩いてはいけない」と教えましょう。乳児では「良い」か「悪い」かと考え判断し「悪いこと」と結論づけ,幼児期になると「お友だちが泣いている」という状況を見て「叩くと痛いから,怪我をするから」と概念的に理解できるようになり,学童期になれば「なぜ叩いてはいけないのか」という「理由」を認識できるようになっていきます。この成長の背景には,こどもにかかわる人や環境の影響があるのです。人とのかかわりやつながりをなくして,人は成長していくことはできません。
皆さんにもご経験があるのではないかと拝察しますが,親に叱られて「うるさい」「面倒くさい」と感じられたことはないですか? 特に,思春期ともなると,親の言うことに耳を傾けるどころか,近づこうともしませんよね。(でもこれって,大人になるための成長の一つなんですよ。)
叱られたその時は不快な思いしかなくても,こどもの記憶には「いけないことはいけないこと」としてしっかりと刻み込まれています。こどもが後になって思い返したとき,真剣に叱ってくれる大人の姿も刻み込まれています。その時,その瞬間,どれだけ真剣に自分と向き合ってくれているのかを,後になって痛感するのです。
叱る側の何倍も,叱られているこどもたちは不快に感じているわけです。「なんでこんなことを言われないといけないのか」「そんなことを言われなくても分かっているし」と反抗的な態度を取っていても,こどもとしっかり向き合うことやこどもとのかかわりによる関係性が,その後のこどもたちの性格や人格をも大きく左右していくことを知っておいてください。
普段の生活の中から「人とのつながり」を大切にしていた父に,お酒を飲みながら,厳しかった躾けについて聞いたことがあります。「なぜあんなに一生懸命に躾てくれたのか」と。「社会に出た時に,小夜子に恥を掻いてほしくない。その一心だった。」生前の父はそう優しく話してくれました。
その意思を継いだ私が,息子と娘を叱るポイントは3つ。
この「3つの約束」は抽象的な表現になっていますが,息子と娘は成長しながら具体的な約束を身につけています。
「お店の中では走らない」という約束をしているにもかかわらず,日頃,娘はお友だちと一緒になってお店の中を走り回ってしまいます。人目があるということもあり,「走ってはいけないというルールです」ときつめの口調で言う程度で終わらせていたのですが,ついに先日,母ちゃん鬼がついに現れました。
お店の中で走らない!!!!!!
お店の中は運動場じゃありません!!!!!!
お店の自動ドアを抜け駐車場に出た瞬間,私の後ろをルンルンで満足そうに歩いていた娘の顔は一瞬にして引きつり,大粒の涙を流して直立不動となりました。他の人に叱られているのを見られているという恥ずかしさも加わり,娘は自分のしていることが人の迷惑になること,「お店のルール」を守っていないことに強く気づいたようです。
また,私が人前で叱ったことにはもう一つ理由があります。それは,一緒に店内を走っていたお友だちに「お店の中は走ってはいけない」と知ってもらうことでした。娘を叱ることで,間接的にお友だちの耳に入ります。その保護者にも。
人前でそんなにしなくても… と思われる方がいらっしゃるのかもしれませんが,即時対応は指導の鉄則なのです 。時間をおいてしまうと,何に対して叱られているのか,それがどんなにいけないことなのかという認識が薄れてしまい,叱っても効果は半減してしまいます。叱り方も大切です。簡潔明瞭に,グダグダ言わない!! 長々と叱ってしまっては,伝えたいことが伝わらず,こどもの頭の中は「?」でいっぱいになります。特に,神経発達症(発達障害)を持つこどもに対して必要なタイミングと叱り方です。
お店の中は走りません。
人にぶつかって,お互いが怪我をします。
お店のものにぶつかって壊れると,お店の人が悲しみます。
だから○○(←娘の名前)はどうしますか?
お店の中で走りません。
走らずに我慢して,お店のルールを守ります。
このように,我が家の「だいじなやくそく」を基に,社会のルールや道徳を学んでいます。さらに,叱るだけではなく,褒めること・認めることも大切です。後日,店内を走らずにルールを守れた娘をしっかりと褒め・認めました。そうすることで,娘には「私はできるんだ」という自信が育まれ,自己肯定感を高めることも可能となるのです。
「家でできないことは,外に行ってもできない」
これも私の父が常々言っていたことでした。
集団生活に入るまでの家庭教育の在り方を,改めて見つめ直すことも必要だと考えます。
また,家庭だけではなく,保育所,幼稚園,学校,地域といったそれぞれの場に存在している大人たちが主観を捨て,一人一人のこどもを種々の角度から丁寧に見つめて受け止め,情報を連携し,大きな枠組みでこどもを育てる環境が豊かな人格を有する大人への成長を促進させるのだと思います。
大人として,保護者として,地域住民として,カウンセラーとして,私ができること。それは,出逢うこどもたちや大人,全ての人に〈笑顔〉を届け,出逢うこどもたちや大人,全ての人の〈笑顔〉を引き出すこと。
日々,私には何ができるのかを追求しながら,今日もこどもたちに母として育てていただいています。
© 2019 「鍛地頭-tanjito-」
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