(2) オリジナリティーを創造する視点形成の在り方
本ブログに先立って投稿している当塾のブログに,次のものがあります。
- 「教師視点から考える「保護者等―教師(学校)」間の関係性について〔第2回〕」(小桝雅典,BLOG「鍛地頭-tanjito-」,2019.1.5)…A
- 「塾長の修士論文の内容が新学習指導要領及び解説の国語編に!!」(小桝雅典,BLOG「鍛地頭-tanjito-」,2019.1.28)…B
Aのブログでは「傾聴」の,Bのブログでは「視点形成」の重要性について,それぞれ指摘したところです。そして,今回,私は「傾聴―視点形成」間の連関性について,その重要性を指摘しなければなりません。しかも,そのことは,「システム思考」を促進する上においても,「語りの構造読み」(前掲ブログBを参照)を導入・駆使した国語科授業を推進するためにおいても必要であることを重ねて指摘しておかなければならないのです。
【関連】
- 「「システム思考」と「主体性」ーいじめ問題と教師教育の視点に新学習指導要領を絡めてー」(住本小夜子,「鍛地頭-tanjito-」公式ホームページ,2018.7.6)…C
- 「新学習指導要領の〈語り手〉を知る―カープファンの綴る「ジャイアンツ丸物語」より―【基礎編】」(小桝雅典,BLOG「鍛地頭-tanjito-」,2019.5.12)
- 「新しい時代を生きるための《読み》について考える―〈語り手〉とは?【発展編】」(小桝雅典,BLOG「鍛地頭-tanjito-」,2019.3.27)
- 「待って!! その国語の授業!!-〈語り手〉とは何か?-【基礎編】」(小桝雅典,BLOG「鍛地頭-tanjito-」,2019.3.18)
それでは,早速ですが,「傾聴―視点形成」間の連関性について, C・オットー・シャーマーの「U理論」を援用しながら,「鍛地頭-tanjito-」の考えをつぶやくことにいたします。
【参考文献】
『U理論 過去や偏見にとらわれず,本当に必要な「変化」を生み出す技術』(C・オットー・シャーマー著,中土井僚・由佐美加子訳,英治出版,2010.11)…D
※ 私の愛読書の中の一冊です。
前掲書Dに「患者と医師の対話(ダイアログ)フォーラム」を扱った章(第10章 感じ取る(Sensing))」があります。そのフォーラムで「患者」と「医師」は心を開いた「対話」を展開します。話題は「患者と医師の関係性」(同 p.188)に検証軸を定め,それらの関係性を4つのレベルに措定し,現在の医療システムはどのレベルで作動しているのか,将来の医療システムの望ましい在り方はどのレベルなのかを「対話」するのです。
4つのレベルは,次のとおりです。
レベル1◇欠陥部品
前掲書D pp.185-186
第1のレベルでは,健康の問題は単にすぐに修理しなければならない壊れた部品として理解されている。(中略)たとえば,心臓発作を起こした患者は医師に緊急治療を期待するだろう。
レベル2◇行為
同 p.186
(前略)「薬で治療するだけでいいのでしょうか。私(筆者注:患者)はそうは思いません。私は,『問題はあなた(筆者注:患者)の心構えです。生活の中の行為を変えなければなりません。もっと自分のためになることをしなければなりません』そう言ってほしいのです。」このレベルでは,医者の役割は,正しい指示を与え,患者が行為を変えるためのインストラクターと言えるだろう。
レベル3◇思考
同 pp.186-187
健康の問題は,行為のレベルでうまく解決されることもあるが,もっと深いレベルまで掘り下げなければならないこともある。行為は人々の前提と思考の習慣から生じる。(中略)時間がないと言っていると,病気によって無理やり時間を与えられることになる。これは間違いないと思う。将来の目的は何だろう。こうした問いを気にもかけず,人生を貴重な贈り物と思わないでいると,人は病気になる。(中略)このレベルで活動している人々にとっては,医者の役割は,患者が自分の人生と思考のパターンを内省するためのコーチである。
レベル4◇自己変革のプレゼンス
同 pp.187-188
(前略)ここでは,健康の問題は,個人を成長させ内面を育む旅に必要な糧ととらえられる。この糧が,創造の内なる源(ソース)が持つ潜在力を十全に開花させ,真の自己への旅に乗り出せと,我々を促す。(中略)ある女性は,こう語った。「(中略)そう,五八歳になって初めて『ノー』と言えるようになったのです。前は,いつでもオーケーだったのです。いつも活動していました。そうすることで自分のアイデンティティを失っていることさえ気づかなかったのです。今は,もう,将来の心配はしていません。私には,今日が大事なのです。この今が。」
この患者と医師の関係性の四番目のレベルでは,医師の役割は新しいものが生まれてくるのを介助する助産師だ。
「対話」の結果,「(筆者注 フォーラムへの参加者の)九五%以上は自分の経験から,現在の医療システムは悪いところを機械的に治すことに主眼を置いていると感じてい」(同 p.191)ました。また,「ほぼ全員が,発達,自己変革,内面の成長を通して健康問題と取り組むレベル3とレベル4を最重要視するシステムであってほしいと願ってい」(同 p.191)たのです。それは至極当たり前の結果だと言えそうです。
さらに,「発達,自己変革,内面の成長」という観点からすると,この帰結は学校教育にも敷衍されるわけです。そのことは対話フォーラムに参加していた一人の女性教師の発言に集約されます。
「学校でもまったく同じ問題に直面しているのです。学校でやっていることも,最初の二つのレベルの活動だけです。」(中略)「私たちは機械的な学習方法を中心に授業を進めています。過去のことを記憶し,古臭い知識をテストすることに力を注いでいます。子供の知的好奇心や創造性,想像力を伸ばす方法は教えていないのです。いつも危機に反応しているだけです。これでは(氷山の図のレベル3とレベル4を指して)そういう学習環境を創ることは絶対にできません。そういう環境なら,子供たちは自分で将来を形成する方法を学べるのに」
同 p.192
ただ,この対話フォーラムで看過できないことがありました。それは,終局的にこの対話フォーラムで見られる「患者」と「医師」との連関性が二項対立の構造を有していないということなのです。このことは,「医師の話を深く傾聴していたある女性」の発言が何よりの左證となります。
「あなたがた(筆者注:フォーラムに参加している医師たち)のことがとても心配です。私たちのシステムがあなたや,私たちの最高のお医者様を殺してしまうなんていやです。何かお役に立てることはないのでしょうか」。
同 p.193
この発言を窺う限り,「ある女性」の視点はその女性の内側から外側へと出て行き(=「患者」の領域を超越し,新たな〈患者〉の立場性を構築して),「患者」と「医師」とで構成した「医療システム」を見詰め始め,やがてその「医療システム」の一員であり,「患者」と共に「システム」を動かしていた「医師」に焦点化して行くのです。このことは,前掲書Dで次のように記述されています。
これまで我々の視点(図10-2の白点)は一人ひとりの頭の中にあったが,ここまでくると自分の境界(図10-2の点線の円)の外に出ていく。つまり観察する者は内側から外にある領域(フィールド)を眺めていたのが,今度は領域(フィールド)からものを見始めるのだ。
同 pp.193-194,図10-2は省略。
このシフトが起こると,観察する者と観察されるものとの境界は崩壊し,観察者は本質的に異なる視点からシステムを見るようになる。観察者自身が観察されているシステムの一部になる視点である。
では,このような〈視点〉を獲得するには,どのようにすれば良いのでしょうか?
実は,この解答は先述の「ある女性」が示してくれていたのです。それは「傾聴」の姿勢です。「傾聴」とは「耳をそばだてて,心眼を開き,相手(他者)の心(関心・理解してほしいこと・伝えたいこと)に寄り添い聴くこと」(前掲ブログA)なのです。
次々に現れる視点や考え方に深く耳を傾ける。聞き方が深くなるにつれ,しだいに異なる視点や考え方の間にある空間に注意を払うようになる。その状態にとどまる。すると,次の実例に移ろうとした瞬間に突如移行(シフト)が起こり,目の前のすべての具体的な実例を生じさせている集合的なパターンが見えてくる。つまり,実例を結合している形成力が見えてくるのだ。
同 p.196
つまり,「傾聴」すれば,「目の前のすべての具体的な実例を生じさせている集合的なパターンが見えてくる」(前掲書D p.196)のです。これが,すなわち,私たちが様々に関与している「(社会)システム」のことなのです。
前掲ブログCでは,「システム思考」を次のように定義しています。
対象(事象・現象)の相互関係等を「システム(例えば,問題を発生させているメカニズム)」で捉え,多面的・多角的な見方でそれが有する問題の原因を探り,問題解決を目指す方法論のこと。
前掲ブログC
人は多様なシステムの中で生を営みます。それらの「システム(例えば,問題を発生させているメカニズム)」に我々は内在し,それらの「システム」を動かします。そのメカニズムは自己に内在する視点だけで捉えることは困難です。仮に,問題を発生させているメカニズムに係る問題解決を考えるならば,〈外化した多面的・多角的な視点〉も必要となります。そうした〈外化した多様な視点形成〉に欠くことができないものが「傾聴」なのです。人は「傾聴」により,「システム」が自分に押し付けているのではなく,自分が「システム」の一員として,「共創造(co-creation)」を行っていることに気づくのです。「対象(事象・現象)の相互関係等を「システム(例えば,問題を発生させているメカニズム)」で捉え」るとは,すなわち,「内化した視点」に加え,〈外化した多様な視点〉で「部分」を捉え,そこに立ち現われてくる「全体」を知ることなのです。
「我々はある物を知るのと同じ方法で全体を知ることはできない。なぜなら全体は物ではないからだ。課題は,部分の中に立ち現われてくる全体に出会うことである」とボートフトは言う。
前掲書D p.210
そのためには,「「全体から部分へと向かおうとする認知の質を高めなければならない」」(前掲書D p.210)とヘンリー・ボートフト(1938~2012)は述べるのです。
このことについて付言すれば,〈多様な視点形成〉のために文学的なアプローチを可能とする行為が「語りの構造読み」(前掲ブログB)と言えるのです。「心を開くことは深いレベルで情動的知覚を目覚めさせ活性化すること」(前掲書D p.197)であり,「心で聴くとは文字通り心を,感謝や愛を知覚する器官として使うこと」(前掲書D p.197)です。このような「心」の在り方で,〈読み手〉が〈語り手〉の声を「傾聴」するとき,そこには〈語りのシステム(構造)〉が髣髴としてくるのです。それは〈作品の命〉への旅を可能ならしめるものなのです。
最後に,私個人の行為として,本節を俯瞰してみます。そのとき,私は「患者と医師の対話(ダイアログ)フォーラム」において,「診られる人(患者)―診る人(医師)」間の連関性に高次に揚棄した関係(レベル3,4)を読み取ってしまうのです。それはまさにヘーゲルの弁証法を想起させます。しかも,レベル3,4からは「人間らしい生活」・「真正な生活(authenticity)」を志向するとともに,世界は他者との連関により成り立つと考え, 理想主義(idealism)と行動主義(activism)の 揚棄を希求する文化的・創造的な行為をも見て取ってしまうのです。
そして,こうした考え方(営為)は「一元論的トランスモダン論」を踏まえた考え方(営為)と言えるのだとも思うのです。
【参考論文】
「ポストモダンからトランスモダンへ―現在社会のとらえ方の転換点―
From Postmodern to Transmodern: A Great Paradigm Shift」
:大橋昭一(Shoichi Ohashi) 和歌山大学観光学部 受理日 2014 年 6 月 18日[1]当該のサイトにアクセスできない状態にあります。(令和二(2020)年1月1日現在)
【追記】
「The パクるな!!」シリーズの従来の予定では,今回,「難解言説」,「毎日言説」及び「一回性言説」等の中から一種類の「言説」を抽出し〈相対化〉する予定でした。しかし,そうした〈相対化〉に関する基礎知識として「オリジナリティーを創造する視点形成の在り方」は不可欠であり,〈相対化〉に関する読者の皆様の理解を促進できるものと考え,予定を変更しておりますので,ご海容ください。
© 2019 「鍛地頭-tanjito-」
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