新規塾生募集中!!
受講者募集中!!

教採受験界のパラダイムシフト!!
教員研修を基盤とする
教採対策
筆記選考と人物評価選考との
アウフヘーベン

〈ホンモノの教員〉 を
育成します

「場面指導Weekly解説ルーム」へはこちらからどうぞ。

個性考

「鍛地頭-tanjito-」のカテゴリー,「えいいち先生の教育鍛談」第1話「個性考」のアイキャッチ画像 「えいいち先生の教育鍛談」
この記事は約6分で読めます。

例えば,先程の私の「真面目」の例で言うならば,父親も「おう,お前は真面目だ」と言い,兄弟や親戚の大多数が「あなたは,真面目です。」と言えば,そのような「響鳴」によって,「わたしは真面目」という「個性」になってしまう。母親の「真面目なところじゃない?」から端を発し,まるで統一した見地であるかのような錯覚に陥る。

少し脱線するが,本来「真面目」はプラスの見地に立って用いられる。しかし,急速に時代が変化する昨今,マイナスの意味合いをも内包し,従来の「真面目」が長所として受け止められなくなったケースが増加しているようだ。

こうしてみると,「個性」は間主観性による共通了解の上に醸成された上で,急速に変化する時代の時間軸・空間軸・集団の特性に従って相対化され,調整される。そして,相対化,調整された共通了解はある種の権威性を帯びて大衆化する。

このように,「個性」は間主観性により構築される側面を持つと考えられるのである。

1.「個性」の使用例
 「個性」という言葉が使われている初期の例には、以下のものがあげられる。まず、文学作品では、明治33-34年(1900-1901)に発表した徳富蘆花の『思出の記』や明治38年(1905)に発表した夏目漱石の『吾輩は猫である』に「個性」という言葉を見ることができる(1)
  次に、国語辞典で「個性」の使用例をみる。明治・大正期出版の国語辞典より、国語学史上重要とされている(2)『言海』(明治22-23)、『ことばの泉』(明治31)、『辞林』(明治40)、『言海(改版)』(明治44)、『大日本国語辞典』(大正5)、『改修言泉』(大正11)など6点を調査した。その結果、『言海』、『ことばの泉』、『言海(改版)』には、「個性」は記されていない。「個性」が国語辞書において最初に記されるのは、『辞林』である。『辞林』は、明治後期の新造語や学術用語を加え、時代をよく反映しているとされる辞書である(3)。『辞林』において「個性」は、「①個体の性質 ②個々の人の特有の性質」であるとした。その後、『大日本国語辞典』に、「箇性」が「箇箇の人の特殊の性質。箇体の性質」と記されている。なお、 「箇」は「個」と同義である。さらに、『改修言泉』においては、「箇性・個性」の意味は以下のように記されている。
①個体の特有する性質。
②〔哲・美〕『英Character』各個人の特有する性質。感覚の鋭鈍・注意の強弱・感情意志の特色など集りてこれを組織す。個人性。性格。きやらくたあ。(類性に対して)
 上記のように、国語辞典においては、明治後期になって『辞林』以降に「個性」という言葉が記され始める。なお、『言海(改版)』には未だ記されていないことから、「個性」とい う言葉が国民に広く普及するのは大正期であると考えられる。

『近代日本における「個性」の誕生と展開』雲津英子,2005,pp.32-33 (1)『日本大辞典刊行会(1979)『日本国語大辞典』8巻193頁小学館 (2) 金田一春彦 林大 柴田武(1995)『日本語百科大事典』大修館耆店、国語学会編(1980)『国語学大辞典』東京堂出版を参考にした。(3) 金田一春彦 林大 柴田武(1995)『日本語百科大事典』1156頁 大修館書店

 雲津によれば,日本に「個性」という言葉が使われ始めたのは明治30年代であり,「個性」の意味合いは,従来どおりの「①個体の性質 ②個々の人の特有の性質」である。
 また,前述のとおり,明治39年に発行された夏目漱石『吾輩は猫である』にも「個性」についての記述がある。

前(ぜん)申す通り今の世は個性中心の世である。一家を主人が代表し、一郡を代官が代表し、一国を領主が代表した時分には、代表者以外の人間には人格はまるでなかった。あっても認められなかった。それががらりと変ると、あらゆる生存者がことごとく個性を主張し出して、だれを見ても君は君、僕は僕だよと云わぬばかりの風をするようになる。

青空文庫作成ファイル,1999年9月17日公開

漱石は,以前認められていなかった「個性」を「あらゆる生存者がことごとく個性を主張し出している」と揶揄している。

さらに,漱石は次のように綴る。

「とにかく人間に個性の自由を許せば許すほど御互の間が窮屈になるに相違ないよ。(中略)ニーチェの時代はそうは行かないよ。英雄なんか一人も出やしない。出たって誰も英雄と立てやしない。昔は孔子(こうし)がたった一人だったから、孔子も幅を利(き)かしたのだが、今は孔子が幾人もいる。ことによると天下がことごとく孔子かも知れない。だからおれは孔子だよと威張っても圧(おし)が利かない。利かないから不平だ。不平だから超人などを書物の上だけで振り廻すのさ。吾人は自由を欲して自由を得た。自由を得た結果不自由を感じて困っている。それだから西洋の文明などはちょっといいようでもつまり駄目なものさ。これに反して東洋じゃ昔しから心の修行をした。その方が正しいのさ。見給え個性発展の結果みんな神経衰弱を起して、始末がつかなくなった時、王者(おうしゃ)の民(たみ)蕩々(とうとう)たりと云う句の価値を始めて発見するから。無為(むい)にして化(か)すと云う語の馬鹿に出来ない事を悟るから。しかし悟ったってその時はもうしようがない。アルコール中毒に罹(かか)って、ああ酒を飲まなければよかったと考えるようなものさ」

同上

わずか数年の間に,「個性の自由」は許容され,「個性発展」に裏打ちされた個人主義(自己本位)が跋扈する巷間の景色に,漱石は苛立ちと諦観さえ覚えるようである。

次に,以下のような記述・主張もある。

 明治期は近代的家族制度(12)における権威的な家族秩序や家族道徳が存在し、「個」の尊厳 や「個」の自由を規制していたが、その一方では、明治30年代初めには「個性」の尊重という意識が誕生していたのである。つまり、近代日本において、「個性」は先駆的な人々によって明治20年代後半から意識され始めていた概念である。また、明治30年代の「個性」 は、他者とは異なる性質としての「独自性」「特性」として認識されていたと同時に、プラスの性質としての「独自性」「特性」としての認識も持たれ始めていたのである。

雲津前掲書,p.35,(12) ここでいう近代的家族制度とは旧民法下の家族制度、すなわち江戸時代の儒教思想に基づく家族制度と明治時代の天皇制国家観が融合する中で作り出された家族制度である。この言葉を以後使用する。

大正自由主義教育者の考える「個性」とは、一つは他者とは異なる性質としての「独自性」「特性」であり、もう一つにはプラスの性質としての「独自性」「特性」であった。この「個性」の概念は、明治30年代に先駆的な人々によって用いられていた「個性」 の概念とほぼ同義である。しかし、明治期に比べて「個性」の重要性についての認識も深まり、またさまざまな教育者が広く関心を寄せるようになったことが明らかになった。

同上,p.42

雲津によれば,『児童研究』における「個性」も明治30年代に研究され始めていたのである。

『児童研究』の中で初めて「個性」の言葉が使われたのは、明治34年(1901)の「個性を滅却することなかれ(6)」においてである。ここでは、児童の「個性」を養護する必要性と国家主義や国民教育による形式的な人間形成への批判について述べている。続いて、明治 35年(1902)には、「教導と個性(7)」を掲載し、教導においては教育を受ける者の「個性」に応じて教育手段の選択及び適用を考慮する必要があると述べている。さらに、明治38年 (1905)には、「教育者と個性研究(8)」を掲載し、「我が国にありてはこれまでの教育書の中には個性に注意すべきことを注意してあるとはいへ、その内容に就きては甚だ研究を怠って居た」としている。つまり、明治30年代には、教育の世界において「個性」の重要性を認識しているが、研究対象としてはほとんど注目されていなかったと考えられる。

同上,pp.34-35,(6)無記名記事(1901)「個性を滅却することなかれ」『児童研究』4巻4号,(7)無記名記事(1902)「教導と個性」『児童研究』4巻10号,(8)無記名記事(1905)「教育者と個性研究」『児童研究』8巻7号

(次頁に続く)


タイトルとURLをコピーしました