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提出物の提出状況から氷山の水面下部を見よ。〔改訂版〕

五つの木製のサイコロそれぞれに刻まれた「し・ゅ・く・だ・い」の文字 「鍛地頭-tanjito-」の〈教員採用試験論〉
宿題(提供 photoAC)
この記事は約11分で読めます。

本ブログ(改訂版)は,2019年9月13日に公開したブログ記事に追記を施したリライト版で,2019年9月25日に再度公開したものです。


教育活動には種々の態様があります。また,一つひとつの教育活動には,それぞれの教育的意義及び目的/目標とされる効果等があります。しかし,遺憾ながら,それらの意義や教育効果の目標化などは,日々の教育実践の中で忘れられがちです。

そこで,具体的な教育場面を取り上げ,種々の教育活動の根底にある教育的意義や目標化されるべき教育効果などを再確認するため(下位目的),本カテゴリーに当塾の塾長による教育実践に根付いたショートブログを書き下ろすことにいたしました。その上位目的は,次のとおりです。

〈乳幼児・児童・生徒の未来に羽搏く成長〉に資する教育実践の創造

日々の真摯な教育実践の参考としていただければ幸甚です。また,教員採用候補者選考の「場面指導」にもお役立てください。

【今回のまとめ】
○ 提出物の提出状況から氷山の水面下部を見よ。
○ 「担任等(個)の指導―学校・学年団(全体・組織)の指導」を常に意識せよ。

1 忘れ物対策だけに走るな

乳幼児・児童・生徒の宿題を含めた提出物に付きものが忘れ物。ある意味,行為としての「提出」は「乳幼児・児童・生徒―学校(担任等)」間の契約(約束)履行だから,それを守らせることは社会性の育成の面において重要なことである。また,内容によって,「提出物」は「乳幼児・児童・生徒―学校(担任等)」間のコミュニケーションを促進する媒体ともなる。学習習慣の確立,確かな学力の定着にも重要だ。だから,学校現場において「忘れ物対策」が講じられる。

「対策」を挙例すれば,「学校から保護者への文書」,「連絡帳(の指導)」,「机,ロッカー,ランドセル(カバン)の中の(乳幼児・児童・生徒自身による)点検(の指導)」及び「提出期限1日前提出の励行(指導)」などがある。

しかし,学校というところは怖いところで,「対策(指導)」は直ぐ様形骸化する傾向にある。
「どの学年(担任)も行っているから,私も連絡帳を活用する。」
「下校時,隣のクラスの担任も机の中を点検させているから,私もさせる。」
仕舞にはそうすることが空気のような存在になり,何も考えず指導する教員も出てくる。「対策」は魂の抜けた「タイサク」となる。

このような状態となる原因には,「対策」を「タイサク」としか考えない思考性がある。つまり,「対策」の持つ指導上の意義,目的及び教育効果の評価などが指導者から欠落しているのである。

青い空を背景に青い河に鋭く屹立する氷の山
氷河(提供 photoAC)

2 提出物の提出状況から氷山の水面下部を見よ

「忘れ物が多い(乳幼児・児童・生徒だ)から,「連絡帳」で家庭と連携する。」
「忘れ物が多い(乳幼児・児童・生徒だ)から, 机,ロッカー及びランドセル(カバン)の中を点検させる。」
「忘れ物が多い(乳幼児・児童・生徒だ)から, 提出期限1日前に提出させる。」

こうした指導(?)の思考性は「対策」のための「タイサク」にある。「連絡帳」や「点検」等そのものが「いけない」のではない。思考性に問題がある。

「なぜ忘れ物が多いのか?」

まずは,このように考えることが大切である。ひょっとすると,指導者(つまり,自分自身)の指導そのものに問題があるのかもしれない。乳幼児・児童・生徒に忘れ物という現象が表象化される必然的な要因があるのかもしれない。

例えば,宿題の提出が遅れたり,なかったりする(乳幼児・)児童・生徒の場合,基本的な家庭学習の習慣がないのかもしれない。それも家庭環境に要因があるのかもしれない(だから,家庭訪問は重要だ)。その家庭環境の要因も一律ではない。抑々,学力が定着しておらず,宿題を行いたくても,わからないからできず,提出できないのかもしれない。

さらに,筆者自らの経験から述べれば,神経発達症(発達障害)のある生徒の中に忘れ物が多かった生徒も複数いた。この場合(も),当該生徒,保護者及び関係諸機関等の連携・協力を得ながら,当該生徒一人ひとりの特性を担任として,学年団として,教職員集団(学校全体)として的確に捉え,丁寧に粘り強く指導する必要があった。当然のこと,一人ひとりの生徒に行った指導方法は異なった。―誤解があってはならないので。個に応じた指導は神経発達症のある生徒だけに行ったのではない。それも忘れ物の指導だけではない。特別支援教育は全ての乳幼児・児童・生徒のための教育である。

要するに,「忘れ物が多い」という現象は,氷山に例えるならば,―「氷山」はよく例えに用いられるので恐縮だが,わかりやすいので,―水面上の氷の部分(氷山の一角)に過ぎないのである。水面下の見えない氷は水面上の氷より容積が遥かに大きく,ここに一人ひとりの乳幼児・児童・生徒が有する複雑な問題が内在しているのである。[1]「問題」だけではなく,「個性を伸ばす可能性」等も内在しています。したがって,これらの問題を解決する/させることが肝要であり,水面上の氷山(「忘れ物が多い」という現象)だけを追い掛け,いくら「対策」を講じても,抜本的な解決には至らないのである。また「忘れ物」は繰り返されるのだ。

提出物の提出状況から表層の「対策」を講じるだけでは,却って乳幼児・児童・生徒を傷付けることだってある。当該の乳幼児・児童・生徒本人に責任がない場合だってあるのだ。

氷山の水面下部を見よ。〈ホンモノの指導〉はそこから始まる。それは飽くまでも「対策」ではない。

「TEAM WORK」の文字に向けて放射状に配置された6本の色鉛筆
チームワーク(提供 photoAC)

3 「担任等(個)―学校(組織・全体)」の恒常的な意識化

指導を行うに際して,「「担任等(個)―学校(組織・全体)」(学校(学年)の指導方針・指導方法等を理解した担任等の指導)の恒常的な意識化」が大切である。それは提出物の指導だけではなく,どの指導についても言及できることである。

学校での指導は担任等,個の裁量で行えるものもあるが,それは学校(組織・全体)の指導に含有される指導(学校の指導⊃担任等の指導)として意識されるべきものである。

例えば,「我がクラスは忘れ物が多いから,「忘れ物グラフ」[2]忘れ物をした数だけ,シールを貼る等の(棒)グラフなど。個人名が記載されている。なるものを教室に掲示しよう。」とある担任が周囲の教員に相談することなく単独で指導(?)を始めたとする。それは,まずは「そんなグラフを掲示するなんて,何を考えているのだ!!」との大喝ものだ。先述したとおり,そうした指導(?)は氷山の一角型対策であって,水面下の氷山を見ていないのである。乳幼児・児童・生徒をいたく傷付ける悪行の可能性が非常に高い。

このような飛んでもない例はさて置いて,担任等(個)による指導の工夫は大切なのだが,常に学校全体,あるいは,学校の指導方針・指導方法等に基づいた学年(組織)の指導方針・指導方法等を理解し意識しておかないと,例えば,「あの先生は提出物の指導に厳しいのに,うちの先生は甘い!」などのお小言を頂戴するようになってしまう。指導間格差だ。筆者から言わせていただくと,「個ー全体」のバランスを欠いた/学校の指導方針・指導方法等を理解していなかった(無視した)指導を行った担任等は,別段,お小言を頂いても致し方ない訳だが,―それも経験[3] … Continue readingです。―乳幼児・児童・生徒に担任等だけではなく,学年団,延いては学校に対して不信感を抱かせてしまう虞があるので,それが問題なのである。乳幼児・児童・生徒と学校(教職員集団,個々の教職員)との〈つながり〉が切れてしまうと,〈健全な教育〉は成立しないのだ。

青空を背景に運動会のリレーで使用するバトンを左手で高々と掲げる黄色帽子を被った小学生
運動会(提供 photoAC)

4 まとめ

今回の「提出物(/忘れ物)」の指導に関する考え方のまとめは,冒頭(緑色の囲みの中)に記述したとおりである。確認の意味を込めて,次に再掲する。

○ 提出物の提出状況から氷山の水面下部を見よ。
○ 「担任等(個)の指導―学校・学年団(全体・組織)の指導」を常に意識せよ。

一つひとつの教育活動には必ず意義があり,目的・目標があり,期待される教育的効果がある。活動の前に,指導者がそれらを振り返っておかなければならない。その上で,事前(活動)・事中(=主たる活動)の指導において「学習者(乳幼児・児童・生徒)―指導者」間で目的・目標をしっかりと共有し,事後(活動)に目的・目標に対しての評価を行う必要があるのである。

その際,表象(=水面上の氷山)だけを見ないことだ。確と水面下の氷山を見つめる(=(乳幼児)児童生徒理解する)ことが重要なのだ。そのためにも,「全体(全教職員等)」の視点が必要となってくる。「個」の視点だけでは,ものの見方や考え方にバイアスが掛かっているのだ。だからこそ,教職員には特に〈協働性・組織性〉が常に希求されるのである。

乳幼児・児童・生徒の明るい未来が掛かっている。

提出物の提出状況から一人ひとりの児童生徒における氷山の水面下部を見れば,自ずと指導の方針や指導方法等は見えてくるはずである。

個に応じた指導が必要なのだ。

小学校低学年の児童が書いたと思われる連絡帳の中の時間割
連絡帳(提供 photoAC)

付記~連絡帳の指導~

特に,小学校の低学年など「提出物」に関する指導の一環として「連絡帳」を活用する学校があります。「家庭―学校(1対1)」のパーソナルな連携の意味合いもあります。そうした利点を持つことから「連絡帳」の活用頻度は高いのでしょう。

指導全般について言えることですが,例えば「連絡帳」の指導をいつまでどのように行うのか,学年団・学校としての計画を持っておくことが重要です。指導内容や指導方法だけではなく, 個々の指導における期限を考えることは大切なことなのです。 定まった期間の中で,指導し切る・・・・・ことは教員の指導への集中力を高め,その効果を期待できますし,乳幼児・児童・生徒にとっても時間的な目標を持てることから,指導期間後の成果から生起する達成感を味わいやすくなります。とにかく特定の指導のやりっ放しは止めましょう。勿論,学習評価を含めた指導全般の評価も忘れずに。

その点を鑑みながら,「連絡帳」の指導に少し特化して考えてみます。

「連絡帳」は主に「保護者ー当該乳幼児・児童・生徒―担任等(学校)」との三者関係で成立しており,保護者が学校からの伝達情報の受け手となって,当該乳幼児・児童・生徒に対し,家庭でその情報に関する指導を行うことが多々あるようです。つまり,保護者の指導場面が多いということは,―悪いことではありませんが,殊に提出物の指導の場合,保護者の過剰な指導が継続すると,―当該乳幼児・児童・生徒の保護者への依存度が高まることがあるのです。例えば,「提出物チェック」を毎回保護者なしでは行えないなど。これでは当該乳幼児・児童・生徒の自主性は育ちません。そこで,必要となるのが,指導内容,指導方法は然ることながら,指導期間の見立てです。例えば,提出物の提出が定着しつつあるようであれば,毎日の提出を止め,週に3回にするとか,家庭・学校がお互いに必要のある場合のみにするとか。

また,徐々に数値目標を減少させる方法(スケーリング)も考えられます。目の前の小さなゴール(目標/例:毎日提出→週に3回→週に1回→必要がある場合のみ)を順次少しずつクリアして,最終的には大きなゴール(目標/「連絡帳」を活用しなくても,忘れ物がなくなる。)を達成する。こうした解決志向(Solution Focused Approach)の考え方は種々の指導に有効です

このような指導の見通しを持つためには,事前に過去の各学年等の提出状況を分析しておく必要があります。そのデータに当該年度の乳幼児・児童・生徒の提出状況を加味するのです。

特に,解決志向型の計画的・継続的指導は「連絡帳」の指導においても,一つの選択肢として必要だと考えます。

追記

本ブログのような論調で語ると,学校現場では往々にして一部の教員に「では,提出物の管理はいい加減にしよう。」という発想が生まれます。「良い加減(塩梅)」ではなく「イイカゲン」です。すなわち,「怠業」です。

言わずもがな,「提出物は期限を守って,充実した内容で,きちんと提出させないといけない(。)」立派な指導の一つです。

しかし,学校事務系の書類等は別として,特に宿題など「何でも良いから無暗矢鱈に提出させれば良い。」というものでもありません。これもまた,「宿題は出さない方が良い。」と述べているわけではありませんので,誤解のないように。授業(単元[4] … Continue reading)の目標(ねらい)[5]この場合,当該の単元で児童生徒に付けたい力のこと。を達成するために,家庭学習として,その目標(ねらい)[6]この場合,宿題で付けたい力のこと。を明確にした上で課す宿題ならば大いに意味があるわけです。

ただ,本文に既述したように氷山の水面下を見なければならない。確かに,学年(年次)・学級(ホームルーム)全体を見渡して,全児童生徒に期限を守らせ,充実した内容で宿題を提出させなければならないのですが,一方では学習習慣のない,又は,基礎学力が定着していないなどの児童生徒には教育的な配慮を行わなければならないのです。例えば,放課後や家庭訪問等において実施する個別指導などがそうです。

さらに,宿題を課す時,教員(教科)は横の連携を行う必要もあるのです。例えば,中・高等学校など教科担任制の学校では,各教科が他教科の課題状況を把握しないまま,自らの教科の課題を課すことによって,各教科から課された宿題の合算が熟しきれないほどの膨大な量になることが現実に生起しているのです。宿題の消化不良が起こるわけです。それでは何のための宿題か,宿題自体の目標(ねらい)を喪失しています。それは決して充実した教育活動と呼べる代物ではありません。管見による限り,こうした「教科エゴ(egoism)」は一部の進学校と言われる/進学校を目指している高等学校などに見受けられる様相です。何を鍛えているのか? 少なくとも〈地頭〉ではないようです。

改善策としては,一例として,教務主任等を中心とした教科連絡会議(仮称)[7]管理職を初め,教科主任などが構成員となる教科に関する会議のこと。などを開催し,(児童)生徒の学習実態と学校,学年及び各教科等の指導目標とをよく照らし合わせた上で,計画的・継続的・体系的に宿題を課すよう指導の組織化を図ることが挙げられます。

ところで,流石に今の時代,「隣の担任の先生は宿題をちょっとしか出さないのに,うちの担任はたくさん出し過ぎる。」という(小)学校はないですよね。それは,公教育の根底を揺るがし兼ねない状況ですからね。

提出物の指導一つを取っても,多角的・多面的・総合的な視点から〈組織的な指導〉を構築していかないといけないのです。

2019.9.25追記

© 2019 「鍛地頭-tanjito-」


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