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第5節 オリジナル教材見本〔自己アピール〕

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追記一覧
  • 下線部を修正しました。(2019.10.22)
  • 本ページ末に「追記」欄を設けました。(2019.10.10)

「自己アピール」は自己を〈相対化〉することから始まる

「自己アピール文」の提出等,(他の職種でも同様ですが,)教員採用試験には付き物です。こうした属性を持つ書類を作成する際,受験者(教員志願者)の皆さんはどのような意識裡にありますか。

「自己PRなのだから,しっかりと自らの長所を記述しないといけない。」
「長所ばかりを書くと,高慢な人のように思われるから,短所も記述して,でも,その短所(課題)を○○○○○な方法で改善している(しようとしている)と書かなくっちゃ。」

こんな感じですか。
巷間に流布している(教員採用・就職試験の)合格ハウトゥー本には,このようなことがよく書かれていますね。

それはそれで良いのかもしれませんが,「鍛地頭-tanjito-」はそこに重きを置いていません。

形骸化した話型に当て嵌めて「自己アピール文」等を記述しようとしている自らの姿勢(それは「能力」と言って過言ではありません。)を〈相対化〉(完全に同義ではないですけれど,所謂「メタ認知」)できる能力がなければ,乳幼児・児童・生徒に「思考力・判断力・表現力」を養うことは難しいと思います。

換言すれば,自己内/外の他者を自覚し,その他者と〈対話〉を交わすことのできる能力がないと,例えば,形而下の(眼前の乳幼児・児童・生徒に対して実践した自らの)教育方法すら〈相対化〉できないわけなのです。こうした有様で,授業改善ができますか。多面的な乳幼児・児童・生徒の心(乳幼児・児童・生徒そのもの)を正確に理解(生徒指導の原点の所謂「児童生徒理解」)できますか。

次元を変えて,もっと簡単に述べれば,「思考力・判断力・表現力」に乏しい教員が乳幼児・児童・生徒に「思考力・判断力・表現力」を付けることができますか。

「自己アピール文」等には,その人の為人ひととなりが表現されます。文章はその〈人〉を表すわけだから,小論文試験なんぞがあるわけですね。だから,「自己アピール文」もその人の為人を表すのです。

「自己アピール文」を読めば,いや,一瞥すれば,〈相対化能力〉に優れているか否かは一目瞭然なのです。その人が「思考力・判断力・表現力」に優れているか否かは言を俟たないわけです。

「鍛地頭-tanjito-」では,〈相対化能力〉を教員の筆頭となる適性と考えています。したがって,何事においてもハウトゥーだけを求める人は,教員失格なのです。そもそもそうした存在は,乳幼児・児童・生徒にとって迷惑です。ハウトゥーだけを求める人には自己本位の人が多いですからね。だって,そういう人は〈相対化能力〉が乏しいですから。

何も当初から完璧な「思考力・判断力・表現力」を求めているわけではありません。だから,「鍛地頭-tanjito-」では「完璧な「思考力・判断力・表現力」」とは何かを追究し(答えはないかもしれません。),そうした態度を有する教員を輩出したいと考えているのです。

したがって,「完璧な「思考力・判断力・表現力」」を追究するためにも,鯔のつまり,〈相対化能力〉を鍛えていくほかないのです。自らの「思考力・判断力・表現力」を〈相対化〉しないところに,それらの深化はないのです。

そうした視点で「自己アピール文」を捉えているのが「鍛地頭-tanjito-」の発想です。「自己アピール文」は,教育に検証軸を定め,それまでの自己を〈相対化〉する場なのです。「自己アピール文」を作成する行為は,自己を〈相対化〉する行為と言えます。

言ってみれば,「鍛地頭-tanjito-」は,その〈相対化〉する行為をお手伝いするのです。そのために,塾生(教員志願者)と問答します。徹底的に話し合います。〈相対化〉は生半可な姿勢で可能となる行為ではないのです。その過程で,例えば,自己内の他者と,「対話」を始める前に,出逢った時点で涙することもあるでしょう。憤慨することもあるでしょう。(様々な意味で)笑うこともあれば,懐古的な想いを抱くことだってあるでしょう。その経験が塾生(教員志願者)を〈塾生(教員志願者)その人〉にしていくのです。(だから,例えば,教員採用試験の面接などで,〈自分の言葉〉で語ることができるのです。圧迫面接の練習にもなるでしょう(笑)/「他人の言葉」を借りて回答しても,合格はおぼつかないわけです。)

そうした意味において,次のメモをご覧ください。これは,「鍛地頭-tanjito-」で学ぶことによって,平成31年度の広島県・広島市の教員採用試験に一発合格した塾生(臨時的任用教員)が,私の課したお題について認めたメモに,私がコメントを付したものです。

お題は「どのようなことに留意して勤務してきたのか?」至極簡単なお題のようですが,コメントを付した後の私と塾生との「対話」が大変なのです(笑) メモの作り直しは当然起こるわけですね。塾生は,私(外)と自己内の他者(内)とが鬩ぎ合う〈対話〉を繰り返します。そこに,副塾長(外)も育児・教育支援こころのカウンセラーとして,将又,一保護者として参入します。

その副産物として,〈対話〉の延長線上に,「自己アピール文」が出来上がるのです。

自己アピール文の作成において自己を〈相対化〉する過程中の塾生のメモ
〈相対化〉の過程における塾生のメモ

注:上図のメモはWordを用いて作成しています。塾生の原文に塾長がコメントを付している様子がお分かりかと思います。コメントが多いため,用紙内のコメント表示欄ではコメントの内容を確認できませんが,図の左端にある「変更履歴」で,その一端をご覧になることができます。

追記

他所から当塾へ中途入塾される受講者が自信を持って,それまでに綴られた「自己アピール文」を持参されます。その多くは巷間の参考書,教採雑誌,サイト記事などに多見される「試験に出る教育時事用語」のようなテクニカルタームでいっぱいです。そこにありきたりな話題と表現(騙り)で当該受験主体が顔を出すのです。こうしたテクニカルタームの羅列と騙りを試験官が望んでいると思われますか? 試験官はそのようなテクニカルタームについては嫌というほど見慣れているのです。にもかかわらず,テクニカルタームの羅列を読まされるのです。「辟易」の一言に違いありません。

お題は「自己をアピールすること」です。それは決して自己を「コマーシャル(宣伝)」することではありません。殊に,教育に関して「自己」と「自己内の他者(自己)」とか鬩ぎ合っている,その(苦悩し,喜ぶ)姿を表出する〈場〉が「自己アピール」の場であり,だからこそ,試験官も真剣にその姿を伺おうとするのです。

当塾を受講後,当塾に寄せられた自信があったはずの「自己アピール文」は大抵原形をとどめることはありません。なぜならば,受講者と当塾との〈対話〉は「了解・当到達不能のありのままの《他者(自己)》」に近接し,誰も語ることのできない当該受講者だけの〈ありのままの言葉〉で埋め尽くされるからです。綺麗事や似非パフォーマンスではなくなるのです。そして,身に付けた〈相対化能力〉と自らへの自信は,合格後に配属される学校(組織)で生かされることになります。

したがって,数多くの受講者が当塾との〈対話〉を望み,ホンモノの「自己アピール(文)」を作成しようと,当塾の門を叩くのです。(2019.10.10)

© 2018 「鍛地頭-tanjito-」


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