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「システム思考」と「主体性」―いじめ問題と教師教育の視点に新学習指導要領を絡めて―

本を見ながら思考を巡らせるこどもたち 「鍛地頭-tanjito-」の教育論
この記事は約13分で読めます。

生きる自分への自信を持たせる「鍛地頭-tanjito-」副塾長の住本小夜子です。
さて,本日のテーマは【「システム思考」と「主体性」】です。

大学入試制度改革に伴い,「学力の3要素」の育成・評価が重要であると,文部科学省のホームページに記載されています。

【学力の3要素】
1 知識・技能
2 思考力・判断力・表現力
3 主体性を持って多様な人々と協働して学ぶ態度

文部科学省 「高大接続改革 大学入学共通テスト」について

私は,上述した「学力の3要素」の育成に関連して,「キー・コンピテンシー」の重要性を感じています。

【キー・コンピテンシーの定義】
主要能力(キーコンピテンシー)は,OECDが2000年から開始したPISA調査の概念的な枠組みとして定義付けられた。PISA調査で測っているのは「単なる知識や技能だけではなく,技能や態度を含む様々な心理的・社会的なリソースを活用して,特定の文脈の中で複雑な課題に対応することができる力」であり,具体的には,①社会・文化的,技術的ツールを相互作用的に活用する力,②多様な社会グループにおける人間関係形成能力,③自立的に行動する能力,という3つのカテゴリーで構成されている。

〔引用 文部科学省(2007.10):「中央教育審議会 初等中等教育分科会 教育課程部会 第4期
 第12回 議事録・配付資料 資料2-1 2.現行学習指導要領の理念 (注1)」 〕

【キー・コンピテンシーの3つのカテゴリー】
(前略)
○この3つのキー・コンピテンシーの枠組みの中心にあるのは,個人が深く考え,行動することの必要性。
 深く考えることには,目前の状況に対して特定の定式や方法を反復継続的に当てはまることができる力だけではなく,変化に対応する力,経験から学ぶ力,批判的な立場で考え,行動する力が含まれる。
○その背景には,「変化」,「複雑性」,「相互依存」に特徴付けられる世界への対応の必要性。

〔引用 文部科学省:「OECDにおける「キー・コンピテンシー」について」未定稿〕

抑々,「コンピテンシー」は,行動科学の研究者であるハーバード大学のマクレランド教授が考えたものであり,1973年に「知性ではなくコンピテンシーを測れ」という論文を発表されています。
(論文では,人間の能力は,説明する21の「コンピテンシー」によって,ほぼ説明がつくと書かれています。)

結論から申し上げれば,現代の世相を推し測るに,私は,特に「システム思考」と「主体性」を育成・涵養していくべきではないかと考えているのです。

【「システム思考」とは】
対象(事象・現象)の相互関係等を「システム(例えば,問題を発生させているメカニズム)」で捉え,多面的・多角的な見方でそれが有する問題の原因を探り,問題解決を目指す方法論のこと。

なぜならば,「システム思考」は「キー・コンピテンシーの枠組みの中心にある」「個人が深く考え,行動することの必要性」と密接な関係にあるからです。

と,このように考えるようになりましたのも・・・

当塾の立ち上げを考え始めた頃から,(ありがたいことに)起業されようとしておられる数多くの方々と交流させていただく機会がありました。ただ,その中で,そうした場を頂戴すればするほど,少し首をかしげるようになった自分がいることに気づいたのです。その場面には,起業に際して,トラブルに直面した際の会話が多かったように思います。

もっと詳細に,その際の会話を思い出してみると,「これはどうしたらいい?」「どうやったら解決できるの?」「私のところも,その方法をやってみるわ!」といった「結論(=正解・方法)」だけを希求する会話だったように思います。


先日,塾長が,(これまた)ふと昔を思い出すようにつぶやいたのです。かつて,複数の若い(学校の)先生方から,それぞれ別の場で,不登校の対応について質問を受けたときのことだそうです。

塾長の手元には,2018年(平成30年)7月2日(月曜日)付けの中國新聞がありました。その第1面のトップ記事は,「学校現場の長時間労働 深刻化する中 教員不足 全国で600人超 大量退職・志望減 授業に影響も」でした。この記事にさっと目を通した塾長は,かつて県教委の人事担当者だった頃を思い出したようです。「若い人材が企業に流れているよなぁ。……若い先生方の力量がどんどん……」とつぶやいていたので,どうやら「若い先生方」の話を思い出したようです。

「どうすれば,生徒が学校に来てくれるようになるのですか?」「不登校対策のベストの方法は何ですか?」「生徒が登校したくないと言ったら,どうすればよいのですか?」「保護者が,もう先生方に家庭訪問をしていただきたくないとおっしゃるので,無理に家庭訪問をしなくて良いですよね。」などなど。
このように訊かれたり,念を押されたりした経験があるとか・・・。

正直,私が残念な気持ちになったのは言うまでもありません。なぜならば,その先生方には失礼ですが,(組織性を覆してはなりませんが,)自ら考え,判断し,行動するといった,「思考力・判断力・表現力」が見受けられないと感じたからです。

「自ら考え,判断し,実践(行動)する」は,教員養成私塾 旧「鍛地頭-たんじとう-」のキャッチフレーズでした。

「結論(=正解・方法)」だけを訊く。

(教育界のみならず,一般的に申し上げて,)
これに依存してしまっている背景には,少々手厳しいのですが,自分は楽をしたい,面倒なことはしたくない,苦労せず知識(又は得)だけを得たい,他者から得たものを恰も自分のもののように見せかけ,他者に誇示し,自らを美化したい,など,自分本位の発想が関与しているのではないかと思えて仕方がないのです。

それとともに,このような思考パターンを有している先生方が,ベテランの先生方も含め,万一,学校現場に数多くいらっしゃる現状があるのならば, 児童・生徒に対し,教育・指導していく立場の人として,また,文部科学省が標榜する今後の教育(「主体的・対話的で深い学び」など)を担う人として,本当にそれで良いのかなあと不安になるのです。
(注:一保護者のボヤキとして聞いてください。)


実は,小学3年生の冬から中学校卒業までの約6年間,私は「いじめ」を受け続けていました。「いじめ」が日常と化した小学4年生頃からは学校を休みがちになり,中学2年生の1学期には,1か月に1回登校できるかできないかの状態となりました。
(注:だからこそ,教育関係の仕事がしたいと人生の決断を下し, 塾長と「鍛地頭-tanjito-」を起こすことを決意したのです。)

平成30年2月23日(金曜日),文部科学省 初等中等教育局児童生徒課が発表した「平成28 年度「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」(確定値)について」によると,いじめの認知件数として最も多い学年は,小学2年生(45,600件)。
続いて,小学3年生(45,490件),小学1年生(42,498件)となっています。

学年別いじめの認知件数のグラフ
引用 「平成28 年度「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」(確定値)について」 文部科学省初等中等教育局児童生徒課 平成30年2月23日(金)

私は思います。
「いじめ」は,時に生死にかかわる重大な問題です。「いじめをする側が悪い」(教訓的)・「いじめを受ける側は可哀そう」(同情的)というような,そんな上っ面の簡単なものではありません。大人がしっかりとこどもを守り切ることなくして,「いじめ」がなくなるとは思えません。

当時の先生方は,どのようなお気持ちで私にかかわってくださったのだろうと,今でも時折,「いじめ」を受けていた頃のことを振り返ることがあります。

正直に申し上げさせていただくと,本当に私のことを気にかけて,親身になってくださった先生方は少なかったのではないか・・・。そういう印象があります。
(無論,親身になってくださった先生もおられ,現在でも交流を持たせていただいております。)

酷い「いじめ」を受けていたからこそ,先生方がどのようなお心持ちで接してきてくださっているのか,私にはよくわかったのです。

(「いじめ」の有無にかかわらず,児童・生徒は誰しも同じだと思いますが,)自分のことを本気でしっかりと見てくださって,児童・生徒一人ひとりを多面的・多角的に理解してくださり,時には厳しく,時には優しく指導してくださる,信頼ある先生を見極めることができるのが,児童・生徒というものです。


先生に限らず,大人である私たちはいかかでしょうか? 相手がこどもであっても,大人であっても,その人を本気でしっかりと自分の心の眼で見て,対話し,相手を理解することができているでしょうか?

ここで一つ,みなさんにお尋ねします。

〇 自分の外見や他者が言っていることを鵜呑みにされたまま,自分を評価されたことはありませんか?
〇 相手の外見や他者から聞いたことを鵜吞みにして,相手を評価したことはありませんか?

こうした行為(評価)は,どちらも確実に自分の心の眼で見た・心の耳で聴いたことではないにもかかわらず,「あの人は○○な人だ」と表面的・反射的に決めつけてしまう「予断と偏見」によって,相手を心から傷つける行為だと言えるわけです。

そうならないために,(特に,「先生」という職種は,)「状況把握」(「児童生徒理解」)のための「システム思考」的な思考をしっかりと身につけることが重要だと考えますし,こうした能力を身につけるためには,先述した「主体的・対話的で深い学び」により「学力の3要素(資質・能力)」を鍛えていくほかないのだと考えるのです。

当塾「鍛地頭」の「地頭(じあたま)」は「総合的な人間力」を意味し,既にその構成要素に「学力の3要素」を措定しておりました。また,教員養成私塾 旧「鍛地頭-たんじとう-」は,特に「教員」には必要な資質・能力の一つとして,それらの資質・能力を鍛えることを塾の使命として掲げていたのです。それは,正しく「鍛地頭」であるわけです。
そして,その理念は新生「鍛地頭-tanjito-」にも受け継がれています。

【「状況把握」とは】
現在どのような様子であるかを確認してよく理解すること。状況を把握すること。状況の把握。

〔参照 三省堂 大辞林〕

【「児童生徒理解」とは】
一人ひとりの児童生徒を多面的・多角的に理解し,客観的かつ総合的に認識すること。

〔参考 『小学校学習指導要領(平成29年告示)解説 総則編』他,『生徒指導提要』(いずれも,文部科学省)〕

こども同士で遊んでいれば,当然のようにトラブルは起こりますよね。

例えば…。

私は,家事をしています。近所で,(わが子を含む)こども3人が遊んでいます。揉めている声が聞こえてきたので駆け付けてみると,一人は怒っている,一人は泣いている,一人は立ち竦んでいます。

このような状況に対し,どのように対応するのが望ましいと思われますか?

ここでやるべきこと,それは,徹底した「事実確認」による「状況把握」です。「怒っている子」を犯人と決めつけて,叱ることではありません。では具体的に何をすれば良いのかを,次に記述します。

1 実際に何が起こったのか,こども一人ひとりから丁寧に話を聞く。
可能であれば,他の保護者と協力し,それぞれ離れた場所でわが子ではないこどもから状況を聞くのがベスト。自分一人で対応する場合は,3人同時に同じ場所で聞く(しかない)。
(注:即座に,かつ,同時に「事実確認」を行わないと,こども同士の力関係により,こども間での口裏合わせが行わ れてしまいます。そうすると,より正確な事実を再構築することが困難になり,後の指導が難しくなります。)

2 「事実確認」がしっかりとでき,そこにブレがないのであれば,それぞれのこどもに適切な指導を行う。
「事実確認」がしっかりとできていないと,それぞれのこどもの課題が明確にならず,誤った指導をしかねません。誤った指導をしてしまうと,こどもを心から傷つけてしまったり,人間不信となるきっかけを与えたりしてしまいます。

自分の見ていないところで起きた事案に対し,「事実確認」による「状況把握」を行わず,勝手な解釈で「こうだ!!」と決めつけてしまうことは,何があっても避けなければなりません。

「この子はわんぱくな(おとなしい)子」など,所謂,一方的なこどもへの「レッテル貼り」は,こうした決めつけ(=「予断と偏見」に満ちた思考方法)が主因のように思われます。これは,多面的・多角的なこどもの理解とは言いません。 多少,手間が掛かるとしても,しっかりとした「事実確認」が重要なのです。

執拗ですが,そうした正確な「事実確認」を行うためには,豊富な情報を収集・分析・活用できる能力,つまり,自らの地頭でものを考え,判断し,表現できる資質・能力が欠かせないわけです。

このように考えてくると,他者の言葉を相対化(=客体化)する(=「予断と偏見」から自らを解放する)ことができず,鵜呑みにして行動してしまう恐ろしさを改めて実感するのです。

塾長の口癖の一つ。

(こどもだけでなく,大人も含め,)人や世の中の現象は,様々な『システム』の中,様々な要素が絡み合った複雑な多面体で出来上がっている。だから,絡み合った『システム』を見出すことにより,対象を多面的・多角的に捉えていかないといけない。一面だけを捉えて,その対象を正確に理解することは不可能だ。
一人ひとりの児童生徒そのものも複雑な多面体だ。
そして,例えばサブカルチャーなど,様々な『システム』の中で生を営んでいる。教育は,『システム』を見抜き,対象を〈相対化〉し,多方面からアプローチするとともに,それらを多面的・多角的に再構築していく力を養わなければならない。
そうした力は,まず教員が身につけなければならない。


主体的に「システム思考」が行えるようになるには,幼い頃から,自ら考えて解決することを身につけなければなりません。生徒指導でいうところの「自己決定の場を与える」ではありませんが,こどもに物事を選択させるトレーニングを行うことは,脳科学の世界においても理にかなった子育てなのだそうです。

そのような訓練をしていないと,大人になったとき,本ブログで先述したところの「結論(=正解・方法)」だけを希求するようになってしまうかもしれない…。

現在,学校教育において,学習指導要領の改訂に伴い,どの教科・科目等においても「主体的・対話的で深い学び」の授業が展開されるようになります。
(学習指導要領改訂の前に,既になさっておられる学校や先生方もおいでです。)

「1+1=2」「これは○○だ。」と教えるだけではなく,「答えが2になる計算式は?」「これは何に使うものでしょう?」などといった,こどもが自ら興味関心を持ち,自ら考え,自ら解決していく授業が創造されるのだと思います。

(一保護者の理解です。塾長は平成13年頃から,「現代は『系統学習』と『問題解決学習』とをアウフヘーベン(止揚) する時代だ。その一つの形が『総合的な学習の時間』だ。 『アウフヘーベン』が難しければ,『系統学習』と『問題解決学習』とのバランスを考えればよい。単元や授業のねらいに即して。」と教育センターや大学で講じていたそうです。)

こどもの「システム的な思考」と「主体性」を育んでいくためにも,周りにいる大人(保護者や先生など)が見本となり,自ら率先して「主体的・対話的で深い学び」に取り組む必要があるのだと思います。

そして,長い時間が必要かもしれません。焦燥感は拭え切れません。でも,「いじめ問題」を解決していく一つの鍵になるものが,「学力の3要素」なのかもしれないと思うのです。


私自身,育児・教育に携わる以上はその知識と経験(実践)が必要です。それゆえに,塾長から話を聴いて教わることや,日頃の育児から学ぶことはたくさんあります。したがって,これまでの生活のままでは知ることもなかったであろう,書籍や参考書を手にして勉強に励んでいます。

自分が行うことは最後まで責任を持てる人になるために,自分の周りに生起する出来事や問題に対して,「結論(=正解・方法)」だけを求めるのではなく,主体的に「地頭」を「鍛」え,日々を過ごしていく所存です。

こどもは,そうした大人の姿をしっかりと見ているのですから。


最後に,これまた塾長の口癖を紹介しておきます。

〈ホンモノの教員〉って,頭じゃなくて,ハートで児童生徒のことがいつも気になっているんだよ。自分のことよりもね。(無論,自分も大切にしないといけないけどね・・・) そういう〈ホンモノの教員〉には,遅かれ早かれ,教育方法なんてものはついてくる。要は,〈ホンモノの教員〉の資質って,本当に「人(こども)」が好きなことじゃないの? 言わば,乳幼児・児童・生徒等への情熱がないところで,方法論もない。わしゃ~,そ~思うで~!!
(注:「えっ!? 塾長が大学で担当させていただいていた科目は「教育課程論・教育方法論」でしたよね!?」(副塾長))

© 2018 「鍛地頭-tanjito-」


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