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塾長の修士論文の内容が新学習指導要領及び解説の国語編に!!

机上に置かれた資料,万年筆,分厚い本,そしてメガネ 「鍛地頭-tanjito-」の国語教育論
この記事は約36分で読めます。

1 修士論文の周辺

これは,正直なところ,驚きました。
平成10(1998)年度に発表した私の修士論文のタイトルは,次のとおりです。

「語りの構造を踏まえた読みの授業に関する研究―古文の授業構築を中心に―」(小桝雅典,1998年(平成10)年度 広島大学大学院教育学研究科 教科教育科学専攻 国語教育学 修士論文)…A

教師生活10年目を迎えた節目の年,学校での授業実践に自ら行き詰まりを感じ,激しく苦悩しました。それを理論面から克服しようと,現職の教員のまま,大学院受験を決意して認(したた)めたのが,この修士論文です。その辺りの事情は,次のブログに綴ってあります。

【関連】「「The パクるな!!」-オリジナリティーを求めて-(第1回)」(小桝雅典,BLOG「鍛地頭-tanjito-」,2018.12.29)

この論文に認めた研究テーマを端的に述べると,次のようになります。

[研究テーマ]
〔キーワード:「語りの構造読み」,〈相対化(能力)〉,〈対話〉,〈つながり(関わり)〉〕
国語科教材(作品)を「語りの構造を踏まえた読み」(以下,「語りの構造読み」)で〈読み〉,児童・生徒に〈相対化(能力)〉を身に付けさせ,それを用い,児童・生徒が日常的に自分自身や自己を取り巻く他者(人間,自然,現象(人間界及び自然界の出来事)及び神仏など)との〈対話〉を行うことで,それらとの〈つながり(関わり)〉を〈相対化〉できる能力を養う。

この論文を発表する前,(旧)広島大学教育学部光葉会で発表した拙稿が,次のものです。修士論文の一端を垣間見ることができます。

「〈語りの構造〉を踏まえた〈読み〉ー古文の授業構築のためにー」(小桝雅典, 広島大学教育学部光葉会 ,国語教育研究 41号,1998.3.31,pp.43-57所収)

そして,論文発表後,約20年が経過した現在に至り,上述したポストモダニズムが基調の[研究テーマ]を超え,《他者そのもの》(=ありのままの《他者》)との《対話》を営み続ける行為こそが,自己内の《他者》を含めた《他者そのもの》(=ありのままの《他者》)との《つながり(関わり)》を問い続ける一元論的トランスモダンの教育ではないのかと考えるようになったのです。このことについては,そのさわりを次のブログに認めました。

【関連】「育児言説を〈相対化〉するーポストモダンの時代から一元論的トランスモダンの時代へー〔第1回〕」(小桝雅典,BLOG「鍛地頭-tanjito-」,2019.1.21)

こうした教育観の変遷は,私の作品の〈読み方〉(=「語りの構造読み」)にも変化を与えたことは言うに及びません。

そこで,今後,本「BLOG「鍛地頭-tanjito-」」(「鍛地頭-tanjito-」の国語教育論)やアメーバブログで,「語りの構造読み」についてシリーズ化し,わかりやすく解説していきたいと思うのです。その理由については,「衝撃!! 塾長の修士論文の内容が新学習指導要領及び解説の国語編に!!」(アメーバブログ,「鍛地頭-tanjito-」のスタッフ,2019.1.31)の「0 プロローグ」にまとめましたので,そちらをお読みください。

落ち着いた味わいのある図書館内の書棚とその間の通路

2 新学習指導要領及び解説国語編に散見できる言表「語り手」

本ブログタイトルには「塾長の修士論文の内容が新学習指導要領及び解説の国語編に!!」とあります。したがって,そのことから,修士論文のどのような内容が今次改訂の新学習指導要領(国語)及び解説(国語編)のどの内容に匹敵するのかを,私は読者の皆様にご説明申し上げる責務を帯びることになります。

結論として,端的に申し上げれば,

修士論文の要である「語りの構造読み」(の概念)が新学習指導要領(高等学校国語)及び解説(中学校・高等学校 国語編)に導入された,

ということなのです。

そして,恐らく,上述した[研究テーマ]に既述した〈相対化能力〉の育成による他者との〈つながり(関わり)〉が一層重要視されたということなのでしょう。

「語りの構造読み」については,新学習指導要領や当該の解説に散見できる「語り手」という言表が左證と言えます。

まずは,今次改訂の『高等学校学習指導要領(平成30年3月公示)』(文部科学省)の「国語」から見てみたいと思います。

新高等学校学習指導要領の特筆すべき一つの特色に,「語り手」概念が打ち出されたことがあります。この「語り手」概念は,上述した「語りの構造読み」の根幹となります。同学習指導要領には,次のように記述されています。

イ 語り手の視点や場面の設定の仕方,表現の特色について評価することを通して,内容を解釈すること。

第2章 各学科に共通する各教科 第1節 国語 第2款 各科目 第4 文学国語 2 内容 〔思考力,判断力,表現力等〕 B 読むこと (1) イ,p37,下線は小桝が施しました。以下同様。)


次に,『高等学校学習指導要領解説 国語編』(文部科学省,平成30年7月)を見てみます。ここでは,上述した学習指導要領の引用について,次のように解説しています。

語り手の視点とは,詩歌や物語や小説などを語る者(語り手)の視点のことである。物語や小説が客観的な外部の視点から語られる時,語り手の視点から語られることになる。語り手が登場人物の一人であったり,登場人物の心理を説明したりするときに語り手の視点は「登場人物の視点」と重なる。このような語り手の視点を吟味することは,物語や小説などを深く理解することにつながる。複数の登場人物の「視点」の違いを意識することによって,多面的・多角的なものの見方を獲得することにもつながり,文章の深い意味付けが可能になる。

第2章 国語科の各科目 第4節 文学国語 3 内容 p.197


とても難解な解説です。「語りの構造読み」の概念(≒ナラトロジー※1)を知見として有している者でない限り,読解不能の状態になるのではないでしょうか? この概念をご説明申し上げるには,かなりの紙幅と時間が必要になります(これが本ブログでシリーズ化する主たる理由です)。詳細については,一つ一つの小さな概念から,追々,ご説明申し上げたいと思います。

その他にも,「語りの構造読み」の概念が鮮明に表現されている箇所を引用しておきます。

 作品や文章には,書き手のものの見方,感じ方,考え方が様々に表れている。それらは,文学的文章の場合には,登場人物の会話や行動などを通して,語り手や登場人物のものの見方,感じ方,考え方として表されることもある。
 作品や文章に表れているものの見方や感じ方,考え方を捉えるとは,書き手や語り手の言葉,登場人物の言動などを通して,対象が,どのような視点,観点,立場によって,どのような感性や感情をもって,どのような認識や解釈の仕方によって捉えられているかについて把握することを指している。「言語文化」では,単に書き手や語り手などの思いや考えを理解するだけではなく,そのような思いや考えがどのようなものの見方,感じ方,考え方によるものかを捉えることが大切である。ものの見方,感じ方,考え方には,人生観や歴史や文化に対する価値観などが表れている。古典をはじめとした優れた作品や文章を読むことを通して,そこに表れている書き手や語り手などの,優れた認識や感性などを内容の解釈を深めることにつなげることが求められる。

第2章 国語科の各科目 第2節 言語文化 3 内容  p.129


「文学的文章の場合には,」とありますが,「語りの構造読み」の対象は「文学的文章」に限定されることなく,どの文章においても言えることです。上記引用中の(引用文を語る)〈語り手〉はそれを知りながら,「語り手」概念の基礎的な段階として,「文学的文章」に限定した〈語り〉を語ったものと推察されます。また,「書き手や語り手など」の「思いや考えがどのようなものの見方,感じ方,考え方によるものかを捉えることが大切である」については,引用文中において後続の箇所にあるように,「ものの見方,感じ方,考え方には,人生観や歴史や文化に対する価値観などが表れている」ことや「古典をはじめとした優れた作品や文章を読むことを通して,そこに表れている書き手や語り手などの,優れた認識や感性などを内容の解釈を深めることにつなげることが求められる」ことなどを理由に,「語りの構造読み」の教育的意義が指摘されていると言えます。

さらに,「語りの構造読み」の「語り手」概念を意識した語りと考えられる箇所(ⅰ)及び「語り手」概念を援用して読むように誘導していると考えられる箇所(ⅱ,ⅲ)を引用しておきます。

 作品の成立した背景とは,ある作品がどのような状況でできあがったかということであり,時代・時期,書き手・語り手の状況,制作の意図など,成立に関わる諸条件を示している。他の作品などとは,同じ時代に書かれた他の作品や,同じ題材やテーマをもつ異なる時代に書かれた他の作品のことである。作品の成立した背景や他の作品などとの関係を踏まえる必要があるのは,成立の背景に着目することで,作品の内容の解釈を深めることが可能になることが多いためである。また,古典の作品は,他の作品を踏まえて成立することも多いため,作品や文章との関係を押さえることが必要となる。

第2章 国語科の各科目 第6節 古典探究 3 内容 p.262  …ⅰ

 報告書などにまとめる際の具体的な様式としては,取材の経過も含めてルポルタージュ風にまとめる場合,取材相手の業績や人柄を紹介するためのプロフィール記事風にまとめる場合,問いかけと答えのやりとりを再現するように対談風にまとめる場合,語り手の独り語り風にまとめる場合などが考えられる。

第2章 国語科の各科目 第5節 国語表現 3 内容 p.242 …ⅱ

 インタビュー内容を書き言葉に改める場合には,聞いたことを整理し直して小見出しを付けるなど,文章の構成や展開について工夫することが必要である。また,語り手の口調を残したり,語っている時のしぐさなどをト書き風に補足説明したりするなど,記述や表現について工夫することも必要となる。

同上 …ⅲ


『中学校学習指導要領(平成29年告示)解説 国語編』(文部科学省,平成29年7月)では,言表「語り手」の記述は1か所に留まっています。

 また,文学的な文章において,登場人物の設定の仕方を捉えることを求めている。登場人物の設定の仕方とは,登場人物の人物像や相互関係などがどのように設定されているかということである。場面の時間的,空間的な設定,語り手の有無など,これらを正確に捉えることが,文章の内容をより深く理解することにつながる。

第3章 各学年の内容 第2節 第2学年の内容 2 〔思考力,判断力,表現力等〕 p.98


このように引用文を辿ってみると,以前の学習指導要領には見受けられなかった「語りの構造読み」(「語り手」概念)の言表である「語り手」が著しく目立つことに気づくわけです。これは新学習指導要領(国語)の一つの特色と述べて過言ではありません。それとともに,言表「語り手」は,前掲論文Aの内容が新学習指導要領(国語)に通底している何よりの左證でもあると言えるのです。

では,なぜ今次改訂の新学習指導要領で「語りの構造読み」が導入されてきたのか? 将又(はたまた),「語り手」とは何のことか? 抑々,「語りの構造読み」とは何なのか?

「語り手」概念,敷衍して「語りの構造読み」の考え方,そして,その〈読み〉を新学習指導要領に導入する意図などについては,今後,本シリーズの中で,『平家物語』を教材として,具体的にご説明申し上げたいと思うのです。


※1 「コトバンク」の大辞林 第三版の解説が要領を得ているので,引用して説明とします。

ナラトロジー【narratologie】
物語の構造や語りの機能を分析する文学理論。ロシアの民俗学者プロップによって創始された。狭義の文学のみならず、神話・絵画・映画・歴史叙述などへの幅広い適用が試みられる。

大辞林 第三版の解説(「コトバンク」)

3 新学習指導要領及び解説国語編に散見できる言表「他者との関わり」

前掲論文Aのキーワードの一つに,〈他者とのつながり(関わり)〉があります。〈対話〉は他者(人間,自然,現象(人間界及び自然界の出来事)及び神仏など)との 〈つながり(関わり)〉を形成するための一つの重要な行為です。

〈他者とのつながり(関わり)〉は,大学院で学んで以来,私の人生における最も大切なキーワードとなっています。教育に奉職していた折にも,(児童)生徒実態に窺える総体的,かつ,最大の課題は〈他者とのつながり(関わり)〉意識の欠如であり,そこから生起する〈他者との つながり(関わり〉の形成における破綻と捉えていました。いじめの問題も,様々な態様について様々な原因が考えられるものの,この〈他者とのつながり(関わり)〉の意識の欠如が一つの要因だと言えるのではないでしょうか。ですから,学校での授業や主任,管理職及び教育行政職員としての講話等では,常にこの〈他者とのつながり(関わり)〉を意識して(児童)生徒,あるいは校長先生方を初めとする先生方にお話をさせていただいたものです。

その「〈他者とのつながり(関わり)〉意識及び形成が重要である」と読める言表が,今次改訂の新学習指導要領(国語)に色濃く表現されているのです。高等学校学習指導要領(国語)及び解説国語編の言表「他者との関わり」は,その代表的・直截的な言表と言えます。

そこで,20年前に指摘した〈他者とのつながり(関わり)〉の重要性が,今後も大切であることを確認する意味合いを込めて,長くなりますが,主な関係箇所を引用しておこうと思います。

また,〈他者とのつながり(関わり)〉に関しては,次章でも〈視点〉や固定観念との連関の観点から触れてみたいと思います。

まずは,『高等学校学習指導要領(平成30年3月公示)』からです。

 言葉による見方・考え方を働かせ,言語活動を通して,国語で的確に理解し効果的に表現する資質・能力を次のとおり育成することを目指す。
(1) 生涯にわたる社会生活に必要な国語について,その特質を理解し適切に使うことができるようにする。
(2) 生涯にわたる社会生活における他者との関わりの中で伝え合う力を高め,思考力や想像力を伸ばす。
(3) 言葉のもつ価値への認識を深めるとともに,言語感覚を磨き,我が国の言語文化の担い手としての自覚をもち,生涯にわたり国語を尊重してその能力の向上を図る態度を養う。

第2章 各学科に共通する各教科 第1節 国語 第1款 目標 p.24


国語科の目標に言表「他者との関わり」が明記されています。注目に値します。同じく「現代の国語」「言語文化」「論理国語」「文学国語」にも同様の記述が見受けられます。該当箇所をそれぞれ引用します。

 言葉による見方・考え方を働かせ,言語活動を通して,国語で的確に理解し効果的に表現する資質・能力を次のとおり育成することを目指す。
(1) 実社会に必要な国語の知識や技能を身に付けるようにする。
(2) 論理的に考える力や深く共感したり豊かに想像したりする力を伸ばし,他者との関わりの中で伝え合う力を高め,自分の思いや考えを広げたり深めたりすることができるようにする。
(3) 言葉がもつ価値への認識を深めるとともに,生涯にわたって読書に親しみ自己を向上させ,我が国の言語文化の担い手としての自覚をもち,言葉を通して他者や社会に関わろうとする態度を養う

第2章 各学科に共通する各教科 第1節 国語 第2款 各科目 第1 現代の国語 1 目標 p.24

 言葉による見方・考え方を働かせ,言語活動を通して,国語で的確に理解し効果的に表現する資質・能力を次のとおり育成することを目指す。
(1) 生涯にわたる社会生活に必要な国語の知識や技能を身に付けるとともに,我が国の言語文化に対する理解を深めることができるようにする。
(2) 論理的に考える力や深く共感したり豊かに想像したりする力を伸ばし,他者との関わりの中で伝え合う力を高め,自分の思いや考えを広げたり深めたりすることができるようにする。
(3) 言葉がもつ価値への認識を深めるとともに,生涯にわたって読書に親しみ自己を向上させ,我が国の言語文化の担い手としての自覚をもち,言葉を通して他者や社会に関わろうとする態度を養う

第2章 各学科に共通する各教科 第1節 国語 第2款 各科目  第2 言語文化 1 目標 p.28

 言葉による見方・考え方を働かせ,言語活動を通して,国語で的確に理解し効果的に表現する資質・能力を次のとおり育成することを目指す。
(1) 実社会に必要な国語の知識や技能を身に付けるようにする。
(2) 論理的,批判的に考える力を伸ばすとともに,創造的に考える力を養い,他者との関わりの中で伝え合う力を高め,自分の思いや考えを広げたり深めたりすることができるようにする。
(3) 言葉がもつ価値への認識を深めるとともに,生涯にわたって読書に親しみ自己を向上させ,我が国の言語文化の担い手としての自覚を深め,言葉を通して他者や社会に関わろうとする態度を養う

第2章 各学科に共通する各教科 第1節 国語 第2款 各科目  第3 論理国語 1 目標 pp.32-33

 言葉による見方・考え方を働かせ,言語活動を通して,国語で的確に理解し効果的に表現する資質・能力を次のとおり育成することを目指す。
(1) 生涯にわたる社会生活に必要な国語の知識や技能を身に付けるとともに,我が国の言語文化に対する理解を深めることができるようにする。
(2) 深く共感したり豊かに想像したりする力を伸ばすとともに,創造的に考える力を養い,他者との関わりの中で伝え合う力を高め,自分の思いや考えを広げたり深めたりすることができるようにする。
(3) 言葉がもつ価値への認識を深めるとともに,生涯にわたって読書に親しみ自己を向上させ,我が国の言語文化の担い手としての自覚を深め,言葉を通して他者や社会に関わろうとする態度を養う

第2章 各学科に共通する各教科 第1節 国語 第2款 各科目  第4 文学国語 1 目標 p.36


続いて,『高等学校学習指導要領解説 国語編』(文部科学省,平成30年7月)から引用します。

(前略)伝え合う力については,「現代の国語」,「言語文化」,「論理国語」,「文学国語」では,他者との関わりの中で,「国語表現」では,実社会における他者との多様な関わりの中で,「古典探究」では,古典などを通した先人のものの見方,感じ方,考え方との関わりの中で伝え合う力を育成することを求めている。自分の思いや考えについては,全ての科目で,広げたり深めたりすることができるようにすることを求めている。

第1章 総説 第3節 国語科の目標 2 科目の目標 p.28


殊に,「古典探究」では「古典などを通した先人のものの見方,感じ方,考え方」を「他者」の一つとして措定していることが分かります。

 また,伝え合う力の育成については,共通必履修科目と同じとしている。中学校第3学年で「社会生活における人との関わりの中で」としていたものを受け,他者との関わりの中でと発展させている。他者とは,広く社会生活で関わりをもつ,世代や立場,文化的背景などを異にする多様な相手のことである。実社会で活躍していくためには,こうした相手と言語を通して円滑に相互伝達,相互理解を進めていく必要があり,他者との状況や場面に応じた関わりの中で,必要な事柄を正確に伝え,相手の意向を的確に捉えて解釈したり,効果的に表現したりすることができるようにすることに重点を置いている。このような力を育成して,生徒が自分の思いや考えを広げたり深めたりすることを目指している。

第2章 国語科の各科目 第4節 文学国語 2 目標 p.180


この引用の内容は「論理国語」にも見られ,前掲論文Aで既述していることでもあります。ただし,「語りの構造読み」を行う場合,「他者」を実体を伴う「人」としての「相手」のみで捉えるのでは,作品の〈読み〉が空中分解してしまう作品もあります。繰り返し記述するようですが,「他者」の示す概念範疇として,「人間,自然,現象(人間界及び自然界の出来事)及び神仏など」を想定しておくべきなのです。そのように述べる理由についても,本シリーズの中で,追々,ご説明申し上げます。

同じく,『高等学校学習指導要領解説 国語編』で〈つながり(関わり)〉に関するその他の記述を見てみましょう。

特に文学的な文章の多くは,様々な言葉によって豊かな情景や心情が表現されている。文学的な文章を読むことで,生徒は物語や詩歌の世界に身を置き,物語の登場人物に我が身を重ねて喜びや悲しみを共有したり,書き手の心情に寄り添い,書き手の人生を追体験したりすることができる。人と人とのつながりの大切さや人生を謳歌する素晴らしさを感じたり,また時には,世の中の理不尽さや生きていくことの大変さについて文章を通して悟ったりすることもある。

第2章 国語科の各科目 第4節 文学国語 3 内容 〔知識及び技能〕(2) イ p.188

読書は,多様な考え方や生き方を追体験したり対象化したりすることによって,自己の認識を広げ深めるとともに,多様な表現方法に触れることで,自身の言語表現を豊かにするものである。こうした読書を通して拡充した言語表現を用いて自分の思いや考えを伝えることで,他者との関わりがさらに深まっていくことを実感させることが重要である。

第2章 国語科の各科目 第5節 国語表現  4 内容 〔知識及び技能〕(2) ア p.219


次に,小学校及び中学校の新学習指導要領を俯瞰しておきたいと思います。まずは,『小学校 学習指導要領(平成29年3月)』からです。

⑴ 言葉の特徴や使い方に関する次の事項を身に付けることができるよう指導する。
ア 言葉には,相手とのつながりをつくる働きがあることに気付くこと。

第2章 各教科 第1節 国語 2 内容 〔知識及び技能〕 p.35


この引用の解説を『小学校学習指導要領(平成 29 年告示)解説 国語編』(文部科学省 平成 29 年7月)から引用します。

 第3学年及び第4学年のアを受けて,日常的に用いている言葉には,人間関係を構築する働きがあるということに気付くことを示している。
 この指導事項は,言葉が果たす他者との良好な関係をつくる働きや特徴に気付くために,今回の改訂で新設したものである。挨拶などの日常会話において見られるように,言葉には,話し手と聞き手(送り手と受け手)の間に好ましい関係を築き,継続させる働きがある。このような言葉の働きに気付かせることが,中学校第2学年の「相手の行動を促す働きがあることに気付くこと」へと発展していく。

第3章 各学年の内容 第3節 第5学年及び第6学年の内容 2 〔思考力,判断力,表現力等〕 p.116


次の記述は,「他者(相手)」のものの感じ方を対象化・相対化することにより,「他者(相手)」との〈つながり(関わり)〉を意識化する重要性を述べていると考えられます。

これを共有し,一人一人の感じ方などに違いがあることに気付くとは,同じ文章を読んでも,一人一人の感じ方などに違いがあることに気付くとともに,互いの感じたことや考えたことを理解し,他者の感じ方などのよさに気付くことが大切である。

第3章 各学年の内容 第2節 第3学年及び第4学年の内容 2 〔思考力,判断力,表現力等〕 p.112


最後に,『中学校学習指導要領(平成29年3月)』『中学校学習指導要領(平成29年告示)解説 国語編』(平成29年7月)からの引用です。

 言葉による見方・考え方を働かせ,言語活動を通して,国語で正確に理解し適切に表現する資質・能力を次のとおり育成することを目指す。
⑴ 社会生活に必要な国語について,その特質を理解し適切に使うことができるようにする。
⑵ 社会生活における人との関わりの中で伝え合う力を高め,思考力や想像力を養う。
⑶ 言葉がもつ価値を認識するとともに,言語感覚を豊かにし,我が国の言語文化に関わり,国語を尊重してその能力の向上を図る態度を養う。

中学校学習指導要領(平成29年3月 告示)  第2章 各教科 第1節 国語 第1 目標 p.29

 ⑴ 社会生活に必要な国語の知識や技能を身に付けるとともに,我が国の言語文化に親しんだり理解したりすることができるようにする。
 ⑵ 筋道立てて考える力や豊かに感じたり想像したりする力を養い,日常生活における人との関わりの中で伝え合う力を高め,自分の思いや考えを確かなものにすることができるようにする。
 ⑶ 言葉がもつ価値に気付くとともに,進んで読書をし,我が国の言語文化を大切にして,思いや考えを伝え合おうとする態度を養う。

中学校学習指導要領(平成29年3月 告示)  第2章 各教科 第1節 国語 第2 各学年の目標及び内容 〔第1学年〕1 目標 p.29

 ⑴ 社会生活に必要な国語の知識や技能を身に付けるとともに,我が国の言語文化に親しんだり理解したりすることができるようにする。
 ⑵ 論理的に考える力や共感したり想像したりする力を養い,社会生活における人との関わりの中で伝え合う力を高め,自分の思いや考えを広げたり深めたりすることができるようにする。
 ⑶ 言葉がもつ価値を認識するとともに,読書を生活に役立て,我が国の言語文化を大切にして,思いや考えを伝え合おうとする態度を養う。

中学校学習指導要領(平成29年3月 告示)  第2章 各教科 第1節 国語 第2 各学年の目標及び内容 〔第2学年〕1 目標 p.32

 ⑴ 社会生活に必要な国語の知識や技能を身に付けるとともに,我が国の言語文化に親しんだり理解したりすることができるようにする。
 ⑵ 論理的に考える力や深く共感したり豊かに想像したりする力を養い,社会生活における人との関わりの中で伝え合う力を高め,自分の思いや考えを広げたり深めたりすることができるようにする。
 ⑶ 言葉がもつ価値を認識するとともに,読書を通して自己を向上させ,我が国の言語文化に関わり,思いや考えを伝え合おうとする態度を養う。

中学校学習指導要領(平成29年3月 告示)  第2章 各教科 第1節 国語 第2 各学年の目標及び内容 〔第3学年〕1 目標 p.35

オ 自分の生き方や社会との関わり方を支える読書の意義と効用について理解すること。

中学校学習指導要領(平成29年3月 告示)  第2章 各教科  第1節 国語 第2 各学年の目標及び内容 〔第3学年〕 2内容 〔知識及び技能〕(3) p.36


やはり,中学校の新学習指導要領でも国語科の目標及び各学年の目標に大々的に「人との関わり」という言表で明記されていることに注目しておかなければなりません。それらについて,『中学校学習指導要領解説 国語編』は,次のように述べています。

 (2)は,「思考力,判断力,表現力等」に関する目標を示したものである。社会生活における人と人との関わりの中で,思いや考えを伝え合う力を高め,思考力や想像力を養うことを示している。具体的には,内容の〔思考力,判断力,表現力等〕に示されている「A 話すこと・聞くこと」,「B 書くこと」,「C 読むこと」に関する「思考力,判断力,表現力等」のことである。
 伝え合う力を高めるとは,人間と人間との関係の中で,互いの立場や考えを尊重し,言語を通して正確に理解したり適切に表現したりする力を高めることである。

第2章 国語科の目標及び内容 第1節 国語科の目標 1 教科の目標 p.12

 (2)の「思考力,判断力,表現力等」に関する目標には,考える力や感じたり想像したりする力を養うこと,社会生活における人との関わりの中で伝え合う力を高め,自分の思いや考えを広げたり深めたりすることなどができるようにすることを系統的に示している。

第2章 国語科の目標及び内容 第1節 国語科の目標 2 学年の目標 p.15


特に,次の引用は,前掲論文Aの[研究テーマ]を(授業)実践のレベルで具現化する際の理論と方法を述べています。就中,下線部は私の数多くの授業実践において,基盤となった手法です。そうした授業実践についても,また別の機会にお話できたらと思います。

ただ,ここでその手法について,一言付言しておくと,発達段階や学習者実態からどの教材で,どのようにその手法を用いるのかをしっかりと検討する必要はありますね。また,教授者の中には,そのような手法は児童生徒にとって難し過ぎるとお考えの方もいらっしゃることでしょう。しかし,私の経験上,(高等学校での実践でしたが,)最初は慣れない手法に戸惑い気味の学習者が,授業(実践)を重ねるにつれ,他の学習者(=「他者」)のものの見方や感じ方を同化・異化し,その結果について考察することに面白みを感じ始め,それによって自らのものの見方や感じ方に変化を感じたり,自らの考えに自信を持ったりしたことは事実なのです。このことは,きっと一人ひとりの学習者にそれまで持ち得ていなかった〈新たな視点〉を形成したものと考えています。

実は,「語りの構造読み」は作品(教材)との〈対話〉を通して,この〈新たな視点〉の形成を図ることができますし,授業の中で,「語りの構造」で〈読む〉作品(教材)を媒介とし,学習者間の〈対話〉によって〈新たな視点〉の形成を図るものですから,「語りの構造読み」を採り入れた授業は〈新たな多視点〉を形成する授業とも言えるのです。

(前略)中学校においては,小学校において身に付けた力を生かし,自分の考えを他者の考えと比較して共通点や相違点を明らかにしたり,一人一人の捉え方の違いやその理由などについて考えたりすることが重要である。そうした中で,他者の考えのよさを感じたり,自分の考えのよさを認識したりすることが,第 3 学年の人間,社会,自然などについて,自分の意見をもつことにつながる。

第2章 国語科の目標及び内容 第2節 国語科の内容 3 〔思考力,判断力,表現力等〕の内容 pp.37-38

オ 文章を読んで理解したことや考えたことを知識や経験と結び付け,自分の考えを広げたり深めたりすること。
 文章を読んで理解したことや考えたことを知識や経験と結び付け
る際には,関連する知識や経験を想起して列挙するのみでなく,それらと結び付けることによって,理解したことや考えたことを一層具体的で明確なものにしていくことが重要である。読み手がもつ知識や経験は一人一人異なることから,どのような知識や経験と結び付けるかによって,同じ文章を読んでも考えは多様なものとなることが考えられる。その上で,他者の考えやその根拠,考えの道筋などを知り,共感したり疑問をもったり自分の考えと対比したりすることが,物事に対する新たな視点をもつことにつながり,自分の考えを広げたり深めたりすることになる。

第3章 各学年の内容 第2節 第2学年の内容  2 〔思考力,判断力,表現力等〕 オ p.100


次章では,さらに「語りの構造読み」の現代における意義に迫ってみたいと思います。

正面の壁に大書された「物語」の文字とその前に置かれた分厚い本を除く木組みの人

4 今,なぜ「語りの構造読み」なのか?

(1) 現代の児童生徒観

 生徒全般の一様相として,生徒の表現力並びに表現方法に過去の生徒との位相が顕在化してきた。これは本校に限ったことではなく,全国的に同様の指摘が可能であろう。すなわち,語彙数の減少に一層拍車が掛かったことは然ることながら,殊に発せられることば(音声言語)はその発話行為が成された状況に相応しい場のコンテクスト(場性)を喪失する傾向にあり,単語化現象(1)はより顕著なものとなっている(=語彙運用能力の低下)。つまり,これまである程度可能であった音声言語による「生徒―教師」間,または「生徒―生徒」間の対話は誠に成立し難い状況を呈しているのが実状なのである。しかも,遡及し鑑みれば,こうした実態は生徒自身と他者との対話(交流)経験が些少であったことを物語る証左であり,ことばを媒介とした社会的連関(人間関係)が生存の基底であるとの自覚は,生徒自身に意識され難い現状と言えるのである。したがって,このような経験の過小さは論理的思考能力の低下のみならず,他者の感情の機微を洞察する感性をも希薄にする結果を招くこととなった。

註(1) 「めし。」「金。」「たいぎい。」等,一回の発話を一単語で終熄させてしまう若者世代の会話に窺える現象・傾向のこと。

上掲論文A,p.1,下線は本ブログを作成する上で施したものです。以下,上掲論文Aに関しては同様。


20年前に私が勤務していた学校(参考:「教師教育「先生,あの先生,授業に自信がないん?」―学習指導と生徒指導とは車の両輪の関係—」:「鍛地頭-tanjito-」公式ホームページ)の生徒像及び私の生徒観です。今,改めてこの引用を読み直し,20年を経過した現在も変わらぬ,あるいは悪化した若者世代の言語世界があるのではないのかと思うのは,私だけなのでしょうか? また,こうした若者世代の実状は,若者世代に特有のものなのでしょうか? 例えば,SNSの普及に伴うブログの書き方(言説)一つを取ってみても,大人世代に同様の現象が多分に見受けられると感じているのは,これまた,私だけなのでしょうか?(この辺りの考察は,ブログ「「The パクるな!!―オリジナリティーを求めて―(第3回)」で詳述しています。)「ことばを媒介とした社会的連関(人間関係)が生存の基底であるとの自覚」を検証軸に掲げ,大人世代(社会)を省察するとき,その答えは明確になると思うのです。

(2) 社会的連関に拘る自覚を欠いたツァイトガイスト

ア 他者とのつながりと視点

 「(僕には・私には)関係ないよ。」

 現場でよく耳にする生徒のことばである。筆者は現代(「現在」と呼ぶ方が正しいのかもしれない)の生徒気質をこのことばに読む。これは他者との交流を断絶した生徒実態を如実に物語ることばである。仮にここで,〈「関係」=「交流」=「繋り」〉が成り立つと仮定するならば,このことばは筆者には,

 「(僕には・私には)繋り(「交流」)はないよ。」

に聞こえてならないのである。「人(他者)」との繋りがないのである。しかも,このことばは往々にして他者あるいは集団に積極的な関与・参入を求められる場面で発せられることが多い。ということは,このことばには生徒の意志が直截的に投影されているのである。すなわち,このことばは「繋りがない」のではなく,

 「(僕・私は他者との)繋りを持ちたくないよ。」

と言っているのである。

 「人」は決して一人では多様なものの見方や考え方を構築できない。自己とは異なる価値観を有する複数の他者が周囲に存在するからこそ,その連関の中で他者のものの見方や考え方を対象化・相対化し,自己の発達段階を基軸に他者のそれらを取捨選択した上で,自己に適合する形に咀嚼・変容・摂取してゆくものなのである。このように考えるならば,不幸にも現在の生徒たちは,多様なものの見方や考え方を摂取する機会を自ら放棄した集団ということになってしまう。

上掲論文A,pp.2-3


引用文中の下線部は,「自己―他者」間の〈対話〉のみを語っています。しかし,人間の営みにおける対話は,それのみの連関性で行われているのではありません。「自己―自己」間の〈対話〉(=〈モノローグ〉)でも行われているのです。よく「〈自己内対話〉」と言います。その人の生きてきた環境(成育歴,家庭環境,友人関係及び広い意味での学力など)に気質も相俟ってつくりあげられた「自己内の他者」(=通念上の「自分自身」)との〈対話〉のことです。読者の皆様も日常的に(心の中の)自分(自身)に語り掛けておられるのではないかと思います。つまり,上記の引用では,「他者」との「繋り」を自ら断絶することにより,「現在の生徒たちは,多様なものの見方や考え方を摂取する機会を自ら放棄し」ていると指摘しているのですが,実は,それだけではなく,「自己(内の他者)」(=「自分自身」)との「繋り」をも自ら断絶していることを補足しておかなければならないと考えるのです。

また,「自己」及び「他者」との「繋り」を自ら絶縁しているのは,大人世代も同様であることを敢えて指摘しておかなければならないのだとも考えるのです。時代はモダンからポストモダン,そしてトランスモダンへとその相貌を変えつつあります。現在をポストモダンからトランスモダンへとより傾斜した過渡期であると捉えるならば,リオタールの述べた「小さな物語」は微細に細分化した「小さな小さなモノローグ」となった現状があるのではないのかと,私には思えてならないのです。すなわち,価値観の多様化が叫ばれて幾久しいわけですが,価値観そのものが空洞化・形骸化してしまったと思えてならないわけなのです。矛盾を孕んだ言い方で述べれば,個に迎合した,(当該の)個のためだけのご都合主義的な(敢えて呼ぶとして)「価値観」に溢れる人世になっているのではないのかと。換言すれば,「自己」とも,「他者」とも〈対話〉を取り止めた(=〈他者とのつながり〉を断った)単一視点(=独り善がり)の主張に満ち溢れる人の世が,現在の世相ではないのかということなのです。それでも,現在が「価値観の多様化の時代」であると主張する向きがあるとすれば,それは各個人の〈単一視点による主張〉を〈単一視点〉によって単に「価値観」と見誤った可能性があると思うのです。そして,私にはそうした様相が〈他者とのつながり〉を欠き,〈孤立〉した〈お寒い〉現況に見えるのです。

イ いじめの問題と視点とつながり

仮にこうした見方が是であるならば,大人社会においても,こども社会においても,当然のこと,「いじめの問題」は生起し続けるのです。とても遺憾でなりません。

ここで,〈視点〉と〈つながり〉に関連付けて「いじめの問題」について言及する前に,どうしても確認しておかなければならないことがありますので,それを先に述べます。それは,「いじめの構造」についてです。

いじめられるこども,いじめるこども,観衆及び傍観者を示すいじめの4層構造図
図 いじめの4層構造図


いじめは「いじめられるこども,いじめるこども,観衆及び傍観者」の4層構造で捉えられています。この捉え方は,今や日本の教育界では常識となっています。「観衆」は所謂いじめの現場の取り巻きを意味しており,いじめの現場にあって囃し立てるなど,いじめに間接的に加担している層を指します。また,「傍観者」は自らがいじめの対象となることを恐れ,見て見ぬ振りをするなどの層を指します。以下の引用は,いじめの構造を「いじめられるこども,いじめるこども及び傍観者」の3層構造で捉えていますが,それは,現在の定義とは異なっておりますので,予め補足しておきます。

なお,「観衆」も「傍観者」も,そのいずれもがいじめを助長する存在であるとの認識を私たちは有しておかなければなりません。

 遺憾ながら起きてしまった「いじめ」(3) に関わる生徒たち(「いじめられた生徒」を除く,「いじめた生徒」及び「周囲で傍観する生徒」を含む)が,

 「(僕は・私は)いじめてないもん。」

と口々に述べるのも,現在の生徒の在り方として「関係ないよ。」を連発する生徒実態と同様の位相を示していると言えるのであろう。ましてやいじめの現場を傍観していた生徒にとって「いじめてないもん」は,いじめの行為を直接行わなかった自己を,当然のことのように正当化できる至極便利な言表なのである。しかし,果たしていじめの現場を傍観することはいじめの行為に該当しないと言い切れるのであろうか。答えは否である。にもかかわらず,一方向性の思考しか持ち得ない数多くの生徒たちは,間接的ないじめの行為である傍観によりいじめとして顕在化しなかった自らの明らかないじめの行為を,いじめの行為ではないものと認識してしまっているのである。つまり,彼らには一事象を多視点から捉え得る能力が育っていないのである。

前掲論文A,p.3,註(3) は,本ブログの主旨とは直接関係がないため,省略しました。


少々,断定的な記述を基調とする引用です。特に下線部については,傍観がいじめに加担することであるとの認識を有しながら,其の場凌ぎに,咄嗟に用いた言表である場合も想定されますので,全ての「傍観者」が「一方向性の思考しか持ち得ない」わけではないのです。ただし,「一方向性の思考」が固定化した生徒が数多いこともまた事実なのです。

因みに,引用文中には「間接的ないじめの行為」とあります。しかし,現在の私は,いじめられるこどもの視点から「いじめに直接も間接もなく,いじめは〈いじめ〉である」との認識を有しています。

さらに,「一方向性の思考の固定化(=固定観念の形成)」(≒単一視点)を鑑みるとき,それは何も生徒(=若者世代)だけの話ではないことが分かります。大人世代にあってもそうであるし,却って,大人世代の方がその傾向が顕著であるとすら言えるのです。そういう私も,ちょっと気を許し,身の回りの現象との〈対話〉を疎かにしたとき,固定観念の呪縛に陥っている〈自分〉にはたと気づくことがあるのです。

いじめの問題は,典型的な〈つながり(関わり)〉の破綻の表象です。したがって,上述してきたように考えるのならば,「一方向性の思考の固定化(=固定観念の形成)」(≒単一視点)は「〈つながり(関わり)〉の破綻」であるとも考えられるのです。

固定観念の文字が書かれた額縁から延びる赤い縄に首を絡め捕られる3体の木組みの人

ウ 柔軟性に富む多視点形成の重要性

こうした思考の方向で,上述の引用にある生徒実態を授業の場に敷衍して考察を進めたものが,次の引用文となります。

 これは,何も授業の場を離れた生徒だけを分析して述べているのではない。これらの生徒は,授業時間には教室という空間において学習者にその相を変貌させるのである。ということは,授業内にある学習者は,自らの限定された視点だけを持って授業,または教材に臨むことになる。一面,これは当たり前のことであろう。授業に臨む当初から,全ての学習者が個人的な価値観に裏打ちされた多種多様な視点を持ち得ているわけがない。それらの視点は授業の中で,また学習者が所属する様々な共同体の中で体験的に獲得されてゆくものである。

 このように考えるのならば,だからこそ,指導者は学習者に多様であり,且つ柔軟性に富む視点を育ててゆかねばならないことになる。しかも,このことは授業の場だけではなく,学習者が生活を営む”実の場”にも生かされなければならない。また同時に,“実の場”に生かせる力を育むことは指導者にとっての急務であることを,指導者自らが確と認識しなければならないのである。

 この課題は国語科だけが抱え切れるものではないかもしれない。だが,これまでの授業(殊に筆者の授業)がそういった視点の養成を自覚し行われてきたか否かを振り返るとき,今後の筆者の授業改善(構築)の一つの目標(=課題)が定位されたように思われてならないのである。

前掲論文A,pp.3-4


最初の下線部に「指導者は学習者に多様であり,且つ柔軟性に富む視点を育ててゆかねばならない」とあります。ですが,この点に関して看過してはならないことがあります。それは,指導者自身が「多様であり,且つ柔軟性に富む視点」を有していなければならず,そうした「視点」を自らに形成し,他者にも形成できる理念と方法(能力)を有していることが大前提であるということです。

ところが,実態として,その大前提が大きく揺らいでいるのが事実です。柔軟性に富む多視点を形成している教員もいれば,そうでない教員もいます。いや,多い。多視点を形成していても,自己都合から,敢えて単一視点の持ち主のごとく振る舞い,教育活動ならぬ教育活動を自負する教員も多数いるわけです。だからこそ,それだけが理由ではありませんが,多視点獲得の必要性が法的拘束力を有する新学習指導要領に盛り込まれたと言っても過言ではないでしょう。児童生徒(学習者)に〈多視点の形成〉を施す以前に,まずは教員からというわけです。

エ 実の場に生かされる〈学び〉

その新学習指導要領において「資質・能力」「カリキュラム・マネジメント」の基盤となる考え方に「社会に開かれた教育課程」があります。

社会に開かれた教育課程

・そのためには、子供たちの学校生活の核となる教育課程について、その役割を捉え直していくことが必要である。学校が社会や地域とのつながりを意識する中で、社会の中の学校であるためには、教育課程もまた社会とのつながりを大切にする必要がある。学校がその教育基盤を整えるにあたり、教育課程を介して社会や世界との接点を持つことが、これからの時代においてより一層重要となる。
・これからの教育課程には、社会の変化に目を向け、教育が普遍的に目指す根幹を堅持しつつ、社会の変化を柔軟に受け止めていく「社会に開かれた教育課程」としての役割が期待されている。
 このような「社会に開かれた教育課程」としては、次の点が重要になる。
1.社会や世界の状況を幅広く視野に入れ、よりよい学校教育を通じてよりよい社会を創るという目標を持ち、教育課程を介してその目標を社会と共有していくこと。
2.これからの社会を創り出していく子供たちが、社会や世界に向き合い関わり合い、自らの人生を切り拓(ひら)いていくために求められる資質・能力とは何かを、教育課程において明確化し育んでいくこと。
3.教育課程の実施に当たって、地域の人的・物的資源を活用したり、放課後や土曜日等を活用した社会教育との連携を図ったりし、学校教育を学校内に閉じずに、その目指すところを社会と共有・連携しながら実現させること。
・このためには、教育課程の基準となる学習指導要領及び幼稚園教育要領(以下「学習指導要領等」という。)も、各学校が「社会に開かれた教育課程」を実現していくことに資するものでなければならない。
・さらに、こうした教育課程の理念を具体化するためには、学習・指導方法や評価の在り方と一貫性を持って議論し改善していくことが必要である。本「論点整理」はこうした問題意識の下、学習指導要領等の在り方に留(とど)まらず、これからの教育の在り方全体を視野に入れて、教員の在り方や教育インフラ等についても取りまとめている。

中央教育審議会 初等中等教育分科会(第100回) 配付資料 資料1 教育課程企画特別部会 論点整理1.2030年の社会と子供たちの未来 (1)新しい時代と社会に開かれた教育課程 登録:平成27年11月


教員時代,私が懸念していたことの一つに,学校(教育)での学びが〈閉じた学び(=社会に開かれていない学び≒受験のためだけの学び)になっていることがありました。学校は社会に位置付いていながら,ある種の特殊な非日常的空間(部分社会)なのです。その左證に,国語教育以外の私の専門である生徒指導において,次の言葉があります。

「社会で許されないことは,学校でも許されない。」

この言葉は正に学校という空間(非日常性)が社会という空間(日常性)と多少なりとも乖離していることを意味しています。勿論,社会人と比して,発達段階の及ばない児童生徒が集う空間(共同体)が社会という空間(共同体)と同一になるとは考えられません。しかしながら,社会人に向けての発達途上にあり,特殊な部分社会である学校の学びが, 〈社会へと連続した学び〉にならないのでは,何のための学びなのかと訝しく思うわけなのです。

そうした意味において,上記の引用は〈開かれた学び(=社会へと連続した学び〉)の実現を明確化するものであり,前掲論文Aで述べた「実の場」に生かされる〈学び〉と通底していると考えるのです。

オ アナクロニズムの教育界

つまり,このように考えてくると,これからの〈教育〉に求められているものは,例えば,児童生徒及び教員を初めとする(大人を含めた)生活主体に要求される〈相対化能力〉の育成を前提とした〈多視点の形成能力〉の育成であり,〈つながり(力)〉の形成であるとともに,それらを必要条件とした実の場に生かせる〈学び〉であると考えられます。

とすると,そのことを指摘した前掲論文Aの存在は,繰り返すように,今から20年前に記述されたものであって,少なくともその時点から今日に至るまで,国家としての(公)教育において,前掲論文Aに指摘する課題が解決されていなかったことを物語ります。

時代はポストモダンが終焉を迎え,〈多視点の形成〉による多様な価値観の鬩ぎ合いの時代は幕を下ろそうとしています。そのような中,教育界は依然としてポストモダニズムを体現しようとしているのか,将又,ポスト・ポストモダンの前段階なのか? それとも広い教育界の様々な領域で,そうした様相は異なっているのか?

ただいずれにせよ,教育界が陥っているアナクロニズムから,全面的には解放されていないと思われてならないのです。そして,その解放の方途の一つは,一元論的トランスモダン論を踏まえた「語りの構造読み」にあると考えるのです。

5 次回の予告

次回は,愈々,「語りの構造読み」のキーポイントとなる「語り手」概念についてお話いたします。アメブロの例話には,広島東洋カープと読売ジャイアンツが登場します。アメブロとBLOG「鍛地頭-tanjito-」(「鍛地頭-tanjito-」の国語教育論)では,例話を変えていますので悪しからず。

ああっと,予めお断り申し上げておきますが,私は当然広島東洋カープのファンです。ということは…,カープの引き合いに出されるジャイアンツファンの皆様,誠に申し訳ございません。

因みに,BLOG「鍛地頭-tanjito-」で扱う作品(例話)は『平家物語』です。

【関連】
《塾長の主な学術論文等》 広島大学 学術情報リポジトリ Hiroshima University Institutional Repository 小桝雅典 (http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/ja/list/creator/小桝,雅典)

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