TANJITO/ 12月 21, 2018/ 「鍛地頭-tanjito-」の教育論, 「鍛地頭-tanjito-」の教育論/ 0 comments

【例話1】独身女性教諭を恫喝する保護者

ある高等学校の話。
校内で複数の生徒による集団の喫煙が発覚した。
迅速な事実確認の後,生徒指導部会・職員会議を経て,学校の指導方針及び指導方法を全教職員で共通理解した。
その後,教員は手分けをして家庭訪問を行い,保護者との連携を図った。
A君は自ら喫煙をしたわけではなかった。喫煙する生徒の傍に居たのである。
しかし,A君が喫煙する生徒を制止することはなかった。
この学校の「生徒指導規程」※1には喫煙する生徒を制止することなく,その場にいた場合,「同席」と見て,「特別な指導」※2を受けることが規定されていた。
A君の副担任であった20代前半の独身の女性教諭が,当該生徒の家庭訪問から帰校した。

その女性教諭の管理職への報告は,次のようなものであった。

女性教諭:なかなか(当該生徒の)お母さんが学校の指導方針を理解してくださいませんでした。喫煙をしていないうちの子どもが,なぜ特別な指導となるのか理解できないと言われるのです。※3友達が喫煙するのを止めなかったのは確かに悪いが,特別な指導にする必要はないだろうと物凄い剣幕で主張されるのです。挙げ句の果てには,私を次のように罵倒されました。

「この子(A君)は,私がお腹を痛めて生んだ子よ!! 独身で,こどももいないあなたにどうしてこどもを持つ親の気持ちなんかがわかるの!!!」※4

※1 学校が育成を目指す児童生徒像とともに,児童生徒の問題行動に対する指導方針・項目・方法等を記した規程。
※2 問題行動を起こした児童生徒を別室に入れ,当該の児童生徒に自ら起こした問題行動を反省させるとともに,
より良い学校生活を送るための方法を考えさせ,実行させる指導。
※3 A君が特別な指導を受けるのは,これが初めてでした。
※4 この暴言が発せられた時,A君はその場には居ませんでした。
大きな女性が怒号を上げ,小さくなってお辞儀をしながら謝罪する女性
塾長注:この「例話」は私の教員時代の経験に基づきながら,私が作成したものです。
しかし,こうした話は単なる絵空事ではありません。学校現場では起こり得る話です。
実は,当塾「教員採用試験合格道場―オンライン教員養成私塾「鍛地頭-tanjito-」」では,
私が作成したこのようなオリジナル教材を活用し,
教員になるための,また教員としての資質・能力を磨いているのです。
この「例話」も教材の一つ(一部)です。

0 プロローグ

「生きる自分への自信を持たせる「鍛地頭-tanjito-」」の塾長 小桝雅典です。

いきなり強烈な「例話」からスタートした今回のブログに驚かれた方もおいでかと思います。

今回は,教師の視点から考える「保護者等―教師(学校)」間の関係性について,「鍛地頭-tanjito-」の持論を披瀝させていただきます。

巷間には,保護者や地域の方々(以下,「保護者等」)から学校(教師)に対する意見・要望・苦情をものした書き物の類が溢れています。しかし,一方で,学校(教師)からの保護者等に対する意見・要望・苦情をものした書き物の類をあまり目にすることはないように思います。(笑) まあ,立場上,書きにくいですよね。(笑)

そこで,本ブログでは,教師の視点から保護者等を捉え,「保護者等―学校(教師)」間の関係性について考察を試みようと思うのです。特に,今回は「地域の方々」ではなく,「保護者」に特化したいと思います。「保護者」にせよ,「地域の方々」にせよ,学校(教師)との良好な関係性を構築する根幹は,ただ一つなのですが。

俗に,業界で言う「保護者対応」のことですが,私は現役の教員時代から,この「対応」なる言表に妙に違和感がありました。辞書的な意味合いも微妙なニュアンスを含有する言表です。例えば,(孫引きになり恐縮ですが,)「コトバンク」で「対応」を検索すると,次のように記されています。

〘名〙
① 互いに向かい合うこと。相対すること。〔和漢大辞典(1919)〕
② ある一つの物事が、他の種類、範疇の物事に対して、対立、上位・下位、並列などの関係にあること。

精選版 日本国語大辞典の解説


私の「対応」の字義に対する偏見かもしれません。しかし,「保護者等」と「学校(教師)」との関係性は,本当に「相対」「対立」「上位・下位・並列」なのでしょうか? 教育活動に保護者が絡む教育事象に対しては「対応」なのでしょうが。

したがって,本ブログのタイトルを「教師の視点から考える保護者対応について」としなかったわけです。

このように説明してくると,論理のすり替えとの誹りを免れないかもしれませんね。「このプロローグの前半で醸成した言説は,私が教師の視点から保護者等に意見・要望・苦情を述べることになっているのではないか。しかし,後半では(現時点で),私が考える「保護者等―学校(教師)」間の関係性なる言説を騙(かた)ろうとしているのではないのか。」と。

私は教師でした。

だから,私は,教師の一部の方々が保護者等に対して持つ個人的な感情を暴露する目的を有しません。

なぜならば,私は〈教師〉だったからです。

飽くまでも,本ブログでは,幾つかの例話に基づきながら,教師視点から考える「保護者等―教師(学校)」の関係性について,勝手な考えを述べさせていただこうと思います。

ただ,今回のテーマは,何かと話題性に富みます。
したがって,幾本かのシリーズにするつもりです。

楽しそうに遊ぶ2人の赤ちゃんと安全に気遣いながらほほ笑む母親

1 溺愛型の母親?

(1) 母親と学校との関係性を考察する前に

「例話1」の母親と学校(教師)との関係性について考察する前に,付言しておかなければならないことがあります。それは,母親が喫煙指導に係る学校の指導方針を理解していないということです。

母親が「友達が喫煙するのを(A君が)止めなかったのは確かに悪い」と述べているところから鑑みると,母親はA君の非を認めてはいるのです。しかし,そのことが特別な指導に値する問題行動であると言われれば,認めたくない。(X)

このような母親の態様を見る限りでは,(飽くまでも,揣摩臆測の域を抜け出すものではありませんが,)学校が保護者等に「生徒指導規程」等を周知徹底できていないと言えそうです。「生徒指導規程」等の周知徹底は,児童生徒だけではなく,保護者等にも行わなければならないものです。さらに,入学時だけではなく,事あるごとに行うものなのです。「例話1」では,恐らく,それが欠けているのでしょう。

「生徒指導規程」等の周知不徹底が母親の不満を誘発する一つの原因となったとも考えられます。

(2) 暴言の原因は,溺愛? プライド? それとも教師の在り方?

さて,「保護者―学校(教師)」間の関係性についてです。
「例話1」に類する私の経験から考察(推察)してみます。

先程,私は「そのことが特別な指導に値する問題行動であると言われれば,認めたくない。」(X)と,母親の心理状況を推察しました。しかし,「特別な指導に値する問題行動であると言われれば,理解できない。」とは推察していないのです。恐らく,理解できているのです。

では,なぜあのような暴言になるのか?

「この子(A君)は,私がお腹を痛めて生んだ子よ!! 独身で,こどももいないあなたにどうしてこどもを持つ親の気持ちなんかがわかるの!!!」

様々な原因が想像されますが,ここでは2点のみを採り上げます。

まずは,こどもを溺愛しているということ。ただし,学校をターゲットとして攻撃することにより,親の威厳をこどもに見せつけ,その行為により親子の絆が保てると考える所謂「溺愛型」とは異なっているようです。

ウ 溺愛型

溺愛・過保護の保護者に多く,学校を子供と共通の「 攻撃対象 」にすることで ,子供との 「 絆 」を保とうとするタイプです 。

【対応 】子供が一緒にいると ,必要以上に「 威勢 」を見せることがあるため ,子供と別の場所で対応するなど ,落ち着いた雰囲気の中で ,子供のよさにも触れながら ,正しい情報を伝えることが大切です 。

「保護者,地域と学校の協力のために【保護者等対応事例集】」(広島県教育委員会,平成25年12月,p.3)…ⅰ

塾長注:学問として,人をタイプに類別することは往々にしてあることです。
しかし,眼前に実存する他者をそのような思考のフレームだけに回収してしまう紋切り型の思考形態では,
〈その人そのもの(その人の真実)〉を見失ってしまいます。
巷間の育児書(育児の教え)によく見受けられる光景です。
そうではなくて,複合的・多面的な総合体である「人」を多面的・多角的・総合的に理解することが,
〈その人そのもの(その人の真実)〉を尊重することになります。

次に,当該の母親は世間の目を怖がっているということ。確かに,A君は,本件により初めて特別な指導を受けることになります。母親から見ても,対外的に見ても,A君は「良い子」だったのでしょう。一方で,A君が特別な指導を受けることは,周囲の生徒たちによって,世間に知らされるに相違ありません。したがって,厳しい言い方をすれば,母親はA君のプライドを守りたかった。そして,自分のプライドを守りたかったのです。「友達が喫煙するのを(A君が)止めなかったのは確かに悪い」と思う気持ちよりも,プライドを守ることの方が優先されたのです。

その他にも,母親の暴言の原因となるものを推測することは可能です。

(前略)ところが2000年代に入って,またさらに急速にこの数年間,公=悪,民=善,教員=非常識で世間知らず,民間=世相に通じている,というステレオタイプの紋切り型の「決めつけ」が闊歩している。「おまえのような分際で反論することが気にくわない」と切り捨ててしまう「快感」,それをすることが正義だと思うところに「鬱屈した心情」が見え隠れする。

『普通の教師が“普通に”生きる学校―モンスター・ペアレント論を超えて』(小野田正利,株式会社時事通信社,2013.3,p.50)…a


なるほど。世間でよく言われる「教員の常識は非常識」。〈公/民,教員/民間〉言説に回収された相(すがた)が当該の母親にはあったのかもしれませんね。

また,母親と20代の女性教諭との日常における人間関係もそうでしょうし,保護者の中には,抑々,教員が嫌いだという方もいらっしゃいます。教員だけではなく,自分よりも年下の者には横柄な態度を取られる方もいらっしゃいます。そういう方の中には,ベテランの教師には従順な方もおいでです。

 20代の教師にとって,保護者はたいてい年上で,言葉遣い一つとっても気を遣うものです。人生経験も少ない中で,初めて出会うような個性的な保護者もいることでしょう。

 年下の教師に対して,「子育てをしたこともないのに……」と高圧的な態度を取る保護者,友だち感覚で砕けた口調の保護者など,数え上げればきりがありません。

『教師のための失敗しない保護者対応の鉄則』(河村茂雄,学陽書房,2007.3,p.113)…b

 最近では,年下でなくても教師を軽く見る風潮というのは珍しくありません。ぞんざいな口調で話をしてくる親もいます。

前掲書b,p.115


昔からどこの学校現場も同じなのですね。(笑)

しかし,そうした保護者の態様に見受けられる原因は,保護者にだけ存するのでしょうか? そうではなく,教師の側にもあるのだと思います。

具象を記述する紙幅が今回のこのブログにはありませんから,詳細は追々本BLOG「鍛地頭-tanjito-」の中で記していこうと思います。ただ,非常に抽象的に極論してしまえば,「日頃,教師の仕事をちゃんと責任を持って遂行していますか?」というフレーズに帰結するのだと考えます。

「一時間,一時間の授業に心血を注いでいますか?」
「(児童生徒の)いけないことを見逃さず,「いけないことはいけない。」と毅然として丁寧に粘り強く指導していますか?」
「保護者及び地域社会と連携を図っていますか?」
「組織としての教職員の和を大切にしていますか?」
そして,終局的には,
「児童生徒のために全力を尽くしていますか?」など

本例話の女性教諭の場合はどうか分かりませんが,私の長い職歴の中では,「そのようなぞんざいな口の利き方では,保護者だけではなく,誰でも腹を立てるよ。」と思わせる口振りで保護者と話す(威圧する?/忌避する?)若い教員を見かけたことだって,1回とは言いません。中には,「校長先生,私は絶対に保護者対応を致しません。」と断言した若い女性教諭の話を耳にしたこともありました。

あまり大雑把に述べる話題ではありませんが,「教師の仕事をちゃんと責任を持って行ってい」れば,児童生徒だって,保護者等だって,「あの先生,若いのに頼りになるね。」ということになりませんか? このことは,何も若い教師に限った話ではなく,ベテランも含め,全ての教師に言えることなのです。

しかし,前言を翻すように聞こえるかもしれませんが,教師という仕事は,無論,「頼りになるね。」と言われるためにやっているわけではありません。残念ですが,一生懸命に「教師の仕事」を行っているのだけれど,この言葉のためにのみ,仕事をしているような教師を見かけたことがありました。要は,自分のための仕事なのですね。児童生徒(及び保護者等)のためではなく。

もう一度,「日頃,教師の仕事をちゃんと責任を持って遂行していますか?」というフレーズに立ち返ってみましょう。
このフレーズ(質問),何だか奇妙ではありませんか?

日夜,児童生徒のために全力を尽くしている教師にとっては,「???」と何を問われているのか解せない質問ですよね。そういう教師は「当たり前だ。」と答えることすらないでしょう。児童生徒のために全力を尽くすことが日常であるならば,その職責を確かめるような画一化したフレーズ(質問=思考のフレーム)をわざわざ日常性の文脈から切り取る行為そのものが非日常的なのですから。「当たり前だ。」と答えたとしたならば,それはまだ児童生徒のために全力になっていない証拠かもしれません。

仲直りの握手を求め,右手を差し出すスーツ姿の女性

2 原因は意外なところにあった!!

女性教諭による管理職への報告後のことです。

(女性教諭以外の)教師(以下,教師B):(半ば笑いながら,)「お母さん,○○先生(=当該の女性教諭)に酷いことをおっしゃったらしいではないですか?」

母親:「すみません。実は,子育てに悩んでいましてね。私が行ってきた子育てはこれで良かったのかと。いや,と言いますのもね,以前から主人と教育方針が合わず,小言を言われ続けていましてね。そのような折に,姑さんが私の子育てを真っ向から否定されたのです。正直,自信を失いかけていました。その時に,あの問題行動が起きて。つい○○先生(=当該の女性教諭)に八つ当たりしてしまったのです。本当に申し訳のないことをしたと反省しています。」

このようなことだって,現実にあるのです。

「喫煙する友だちを制止しなかったら特別な指導を受けることになった。」ということについては,言わずもがな,理解されているのです。虫の居所が悪かった。(笑) 当該の女性教諭が母親と良好な関係を築いていた上での暴言であったのならば,女性教諭にとってはとんだ災難だったかもしれませんね。(笑) ですが,逆に,日常的に良好な関係があったからこそ,母親は八つ当たりができたのかもしれません。(笑)

それにしても,上述の「教師B」と「母親」との関係性は,教師をした者として本音を述べるならば,「羨ましい関係」ですよね。教師が児童生徒の家庭のどこまで入り込むのかという難しい問題はありますが,少なくともこの母親は教師Bに心を許している。教師Bも母親に対してこのような発言ができたということは心を許している。

では,どのようにしたら,このように望ましい「保護者―教師(学校)」関係を構築できるのか?

青空をバックに両手をつなぎつながり合う7体の人型模型

3 「保護者等―学校(教師)」間の良好な関係を模索する

「例話1」とやや類似する背景を持つ話を前掲書aから引用します。
担任の教師に不満を述べる母親がある教育委員会の教職員課に出向いた話です。担当の指導主事※5が母親の話を聴いています。

※5 各教育委員会で職名は異なります。ここでは前掲書aに従いました。

(前略)

 母親はやって来て,自分の子が通っている学校がいかにひどいかを,とうとうと説明する。(中略)だが,どうやらわが子が担任とうまくいっていないことではなく,時として学校で暴れたりして,家でも子どもが親の言うことを聞かないことに困り果てていることが背景にあることが分かり始めた。学校での子どもの様子や家での暮らし方に水を向けると,親としても手に負えないと思っているという印象がより強くなってきた。すかさず,「それは大変なことですね。お子さんのことで困っておられることはありませんか?」と穏やかに聞き直すと,母親の語調が変わり始めた。「いつでもお聞きしますから,またどうぞ」。涙をぬぐいながら,その母親はお礼を言って立ち去っていった。

前掲書a,p.100


こうした所謂「保護者対応」を挙例しながら,小野田氏は「対応」の勘所を,次のように説かれています。さらに,引用を続けます。

 一方の保護者も,かたくなに身構える姿勢をとっている学校側や教師に,余計に腹が立ち,不信感が増幅してくる。「悪いと思っているんですか!」自分自身も怒りの源がどこにあるのか分からなくなってくるので,話し合いは平行線のまま。本当は,簡単に済ませられるような「ひとこと言っておきたかった」ぐらいの問題が,どんどんと膨らんでくる。

 そのような保護者に「落ち着いて」とは言えたとしても,「ホンネは何ですか?」とは,おいそれとは聞き返せない。すぐに反応するのではなく,ひと呼吸置いてから,自分たちの落ち度の部分がどこにあるのかを見定め,相手の怒りはそこにあるのか,別のモノが重なって激しくなってくるのかを,腹を据えて向き合いながら推測することが大事である。私は,この当たり前のことでもある「表面に見える訴えではなく,相手の主訴が何かを見定めること」や,「主張の背景に何があるかなと思って話を聞き始めること」の大切さを,各地の講演で伝えている。

前掲書a,p.102,下線は小桝が施しました。(以下同様)


さらに,前掲書bでは,これまた「例話1」の母親とは若干タイプを異にしますが,類似した「教師を見下すように接してくる保護者」の心理分析と対応のポイントが述べられています。

 このタイプの人は,優越感の強い人が多いようです。ただ,誤解してほしくないのは,社会的な地位の高い人,学識の高い人が,すべて優越感が強いわけではない,ということです。

 「優越感」は劣等感の裏返しのことが多いので,こうした保護者は意識する・しないにかかわらず,何らかの劣等感を秘めている可能性が考えられます。その劣等感の反動として,優越感を前面に出した態度をとってしまっているのだと思います。

(中略)

 このような保護者との話し合いは,教師も子どもの教育を担っているという役割意識を心に秘めて,たとえ高飛車な態度をされたとしても感情的に巻き込まれることがないように,丁寧語で一つ一つ,公的な役割に基づいて対応していくことが求められます。

前掲書b,pp.28-29


「私情で仕事をしてはならない。」―私も先輩から教わったことですし,後輩にも伝えたことです。これはどの仕事においても,そうではないのでしょうか? 特に,「保護者等―教師(学校)」間における私情の交戦に,児童生徒の姿はありません。児童生徒を中心に据えない口喧嘩に何の意味もありません。

前掲の資料ⅰには,所謂「保護者対応」の根幹にかかわる記述があります。

 児童生徒に豊かな人間性や社会性など「生きる力」を育むためには,保護者,地域と学校がそれぞれの教育力を生かすとともに,連携して取り組むことが必要です。学校は,保護者や地域住民(以下「保護者等」という。)からの意見や要望,苦情に対して,積極的に傾聴することで,不安感や焦燥感といった思いを共感的に受け止め,「児童生徒をそれぞれの立場でどのように支援することができるのか。」という姿勢で対応することが重要です。

前掲資料ⅰ,p.2


形而下において,下線部はとても重要な指摘だと思います。ただ,資料の性格上,下線部のようにしか表現し得なかった実状があるのだとも思います。と言うのも,このように述べるのは,こうした「姿勢」には形而上の範疇に存在するある「根幹」とでも呼ぶべきものが存するからなのです。飽くまでも,私の考えなのですが。

その考えについては,本シリーズの終焉部でお話させていただきたいと思います。

今回はここまでです。
駄文にお付き合いいただき,誠にありがとうございました。

→次回につづく


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About TANJITO

教職歴29年のベテラン塾長と育児・教育支援コンサルタントの副塾長が育児・療育・学校教育についてのお悩みを解決する相談ルームです。教員採用試験合格に向けてのお手伝いも致します。

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