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軽度自閉スペクトラム症のこどもと心の理論(theory of mind)

ハートの形をした白い雲の前に,弧を描く虹 特別支援教育(療育)
この記事は約22分で読めます。

0 プロローグ

生きる自分への自信を持たせる
「鍛地頭-tanjito-」の塾長 小桝雅典です。

今回のテーマは,「軽度自閉スペクトラム症のこどもと「心の理論(theory of mind)」」との連関性及び当該児への日常的な指導について」です。

少し生徒指導の観点を加味して述べています。

勿論,「鍛地頭-tanjito-」の私見を多分に含みますから,その点をご斟酌いただき,お読みくだされば幸いです。(笑)

1 「母ちゃん,ぼく,悪いことしていません!!」

先日のことでした。
仕事の合間に,副塾長の住本が私に語り掛けてきたのです。
それは,彼女の長男(軽度自閉スペクトラム症/小学校1年生,以下「S」と表記)が校内で巻き込まれた生徒指導上のトラブルの話でした。

(1) 本事案の概要と塾長の述懐

本事案の概要は,次のとおりです。
なお,副塾長の話は二回(2日)に跨っていますから,まず一回目(第1日目)に耳にした話からです。

ア 第1日目

Sの通う学校で生徒指導上の事案が生起した。
Sは(学校側ではなく,)児童間で嫌疑を掛けられたとか,掛けられなかったとか。

そして,この日,帰宅したSは副塾長に向かって絶叫したのです。

「母ちゃん,ぼく,悪いことしてません!!」

そこには,普段にはない凛々しい姿がありました。悔しさに満ちた。

以上は,副塾長が担任の先生との情報連携の中で得た話(概要)です。※1

※1 副塾長から聴いた話を当方で非常に簡単にまとめています。実際は,もう少し具体的な内容を耳にしました。

それにしても,又聞きを重ねた話だったので,具象性に乏しく,非常に不明確で不安定な情報でした。※2

※2 副塾長を責めているのではありません。

通常,学校で,特に生徒指導を担当する職員は,こうした不明確で不安定な情報(=映画やドラマのように,脳裏のスクリーンに事案の経緯(一部始終)が淀みなくストリーミングされる情報※3でない情報)に基づいて,事案の内実を確定し,問題行動を起こした児童・生徒への指導案を立ててはなりません。

※3 経験上,このような情報はより確からしい(=事実に近い)情報です。

それは,不明確で不安定な情報では事実が判然としないからです。
事実が判然としないところでの指導は危険です。
単純に考えても,加害児童・生徒と思われていた児童・生徒が,実は被害児童・生徒であったなどということがあれば,それは学校の責任問題であるだけではなく,当該児童・生徒の心をいたく傷つける悪業となります。
(時折,いじめの問題で見受けられる一幕です。)

何はともあれ,問題事案に関係する児童・生徒等から丁寧に粘り強く,事案についての聴き取りを行うこと。その上で,事実を炙り出してから,関与する児童・生徒等一人ひとりに対する指導を考えていかないと,一人ひとりの児童・生徒等の問題点,改善点(もっと伸ばせる点)を見誤ったままの指導を行ってしまうことになるのです。

【関連資料】 「事実確認のポイントについて」は,「児童生徒の規範意識を醸成するための生徒指導体制の在り方について」(広島県教育委員会,生徒指導資料№32(改訂版),平成21年10月)が参考になります。

したがって,正直なところ,副塾長から上述の話を聴いたときには,
「これだけの情報では何も言えないなあ。」が私の本音でした。

さらに,次のようにも思いました。

「学校は,いつ,誰が,(周囲の目撃者を含める)どの児童に,どこで,どのように聴き取りを行ったのか? その作業がスピーディーに行えているのか? それ次第で,事案に関与した児童の発言は,(嘘を含めて)変わってしまう。適切な聴き取りはできているのか?」

私は徐(おもむろ)にパソコンのキーボードから両手を離し,隣の席に座る副塾長を一瞥しました。

副塾長は私の方を向いて正対していました。
そこには,普段,仕事中には見受けられない母親としてのオーラが歴然とあったのです。

ぴちっと付けられた両膝の上には,二つの握り拳が見えました。

「私はこの子(S)を信じています。」

二つの握り拳はそのように語っていたと思います。

椅子に座って足を閉じ,足の上に握りしめたこぶしを置く女性。

私は長い間,学校や教育行政の生徒指導に携わってきました。
そのせいでしょうか(生徒指導を担当する職員が全てそうであると言うつもりはありません),母親である副塾長の我が子を信じる思いと,だからこそ,抱いてしまう無念の思い※4は伝わっていましたが,その時,「事実は何なのか!?」と無意識裡にそれだけを繰り返し自問自答しようとする自らの心の動きに気づいていました。ただ只管,主観を排し,客観的な存在であろうとする長年の性癖(職業病)とも言うべき自己制御不能の心的有様に,罪悪感さえ覚えたほどです。

※4 Sは学校で良くない行動をしてしまい,よく先生方から指導を頂いていました。
それは周囲の児童にとっても周知の事実であったのです。
担任の先生は家庭と頻繁に情報連携をしてくださいましたから,副塾長はそのことを熟知していたのです。
したがって,副塾長は「Sが(問題行動を起こしたと)疑われても致し方がない。」と誰を具体的な対象とするでもないやり切れない思いでいたのです。
無論のこと,副塾長はSを信じていましたから,余計にもやり切れなさは募ったのです。

Sは我が子同然の存在です。私が一般的であるのならば,Sに肩入れしたくなるのは無理からぬところだろうと思います。

「Sは(普段,注意はよく受けるが,)問題事案を起こすような悪い子ではない!!」

そのように思うのが世の常ではないのかと。
(こうした認識は,もしかすると,世間に対して甚だ失礼かとは思いますが。)

しかし,生徒指導を担当する職員,否,教職員は,特にそうであってはならないわけです。事実が見えないところで,「Sは悪くない。○○が悪い!!」など考えてはならない。それでは「先生」ではない。もし,そのように考えてしまうのならば,それは,教育の土俵の上では,単なるド素人です。(一般に普遍化できる考え方とも思います。)

生徒指導上の諸問題と向き合う私の心の働きは,常に主観を排し,常に事実(真実)を求めます。

なぜならば,結局のところ,どの児童・生徒も大切にしたいからなのです。

主観で肩入れ(依怙贔屓)できない。教職員ならば,当たり前のことです。
「問題行動を起こした児童・生徒の(その時の)心理はどうだったのか?
「いけないところはいけない」と毅然として丁寧に粘り強く指導しよう。次に同様の行動を起こさせないように。」
「被害に遭った児童・生徒の心理(感情)はどうであったのか?
 今後,どのようなケアが必要になるのか?」など。

問題行動という現象は,多面的総合体である一人の,あるいは複数の児童・生徒が有するその多面性とバックグラウンド(生活環境,家族関係,友人関係,学力,成育歴など)とが複雑に絡み合い,負の方向に構造化した表象であると考えられます。

そこには,例えば,阿漕に絡めとられる社会システムに反駁する心理状況があったのかもしれません。その認識の是非はさて措き。あるいは,虚栄の奥底に掩蔽した孤独感が存在したのかもしれません。(それでも,「いけないことはいけない。」と毅然として丁寧に粘り強く指導すべきなのです。)

問題行動に限ったことではありませんが,教職員は常に児童・生徒の言動の背景に存する心理状況に気を配っておかなければならないのです。

そうした意味でも,よく「(教職員は)感性のアンテナを張れ!」と言われるのでしょう。

 心の理論(theory of mind)とは,そもそも心のしくみや働きを理解するための知識の枠組みを意味する言葉です。(中略)他者が何かの行動を起こす時には,その背景に気持ちや考えなどの心の状態があるのだという理解・知識を心の理論と呼んだのです。(中略)

 心の理論はその後,人間の子どもの認知発達研究において,重要なトピックになっていきました。心の理論は視点取得とも関係がありますが,心の理論が形成されることで,他者の立場に立ってものごとを考えることができるようになります。

三宮真智子(2018.9):『メタ認知で〈学ぶ力〉を高める 認知心理学が解き明かす効果的学習法』,北大路書房,pp.32-34


繰り返しになりますが,一人ひとりの児童・生徒を大切にしたいから,事実を希求し,「心の理論」を用いるのです。
というか,どの児童・生徒も大切にしたいと思っていたら,自然とそうなるものです。

「事実が何か分からない。兎に角,今日はSからしっかりと状況を聴こう。」

そういう次第で,副塾長と相談の上,その日は,本事案に係る保護者※5として行う学校との連携を見送ることにしたのです。
担任の先生を初めとする学校が,今後,本事案にかかわって綿密に対応してくださることも分かっていたので。

※5 副塾長のこと。

イ 第2日目

結論から述べれば,Sに問題行動はなく,抑々児童間での嫌疑もなかったのです。
学校が本事案に関与した児童たちに対して迅速な聴き取り,事実の確定,児童たちへの支援,保護者対応及びSへの謝罪をしてくださったお蔭です。※6

※6 ほぼ定式の(生徒指導の)在り方です。

この話を聴くに及び,私は副塾長がさぞ喜び,輝かしい笑顔を湛えているものと想像していました。

しかし,現実は,そうではありませんでした。

副塾長はまずSが通う学校のことを考えていました。
「こうした事案を契機に,学校のみんなが思いやりを持った人となれるよう成長して欲しい。」

やがて,そうした思いは自らのこども(S)に帰結するように見えました。
「普段,(Sが)良くない言動を繰り返しているから,今後,(問題事案等の折に,)疑わるようなことがあるかもしれない…」

花模様の敷物に置かれた半紙に認められた「心」の文字

(2) こどもの心的内実に視点を据えた指導の必要性

ア 指導のための思考の方向性

皆様ならば,本事案のSに対してどのような指導をなさいますか?

この質問にお答えになられる前に,お忘れいただいてはならないことを1点確認いたします。

Sは「軽度自閉スペクトラム症」の診断を有する小学1年生の男児である。

一般に,日々の素行の良くないこどもが,ある種の事案(事件)に巻き込まれると,「日頃の行動が悪いから,人に疑われることになるんだ(あなたも犯人※7だと思われるんだ)!」という決め台詞で事は終結してしまうのでしょうね。

※7 不適切な言葉遣いですよね。

しかし,副塾長と私はそれだけの思考で本事案を完結させることはありませんでした。

まず,思考は問題行動に対する生徒指導の原点に立ち返るところからスタートしました。つまり,事実はどうなのか?

私たちは,「学校でSの良くない言動が日常的に,本当に繰り返されているのだろうか?」と考えたのです。仮に,「繰り返されていない」,もしくは「ない」のであれば,Sへの指導の在り方は「ある」「繰り返されている」場合に比し,かなり異なった方向性を有することになるからです。

ところが,残念なことに,派手な(?)言動はないものの,地味な(?)良くない言動がちらほらあることが現状のようでした。それは,日常の「担任の先生―副塾長」間の情報連携から分かったことです。※8

※8 保護者の立場から,直接,Sに対して日々の言動を確認する必要があります。
その行為は,言うまでもなく担任の先生を信用していないからではありません。より忠実に事実に近づくためのアプローチの一つです。多角的・多面的・総合的に情報を収集し,事実に近づく必要があるのです。

そのことを確認して,私たちの思考は次のステージに向かいました。

  • Sは良くない言動の全てを意識して行っている。…A
  • Sには良くない言動を意識して行う場合と無意識で行う場合とがある。…B
  • Sは良くない言動を全く無意識のうちに行ってしまっている。…C

これらのいずれだろうかという思考の方向性で検討を始めたのです。
このように考えたのは,A~Cの心的状況を鑑みると,そのいずれに該当するかでSに対する指導の在り方が異なってくるからなのです。

日頃の様子から総合的に判断して,私たちの仮説は「B」でした。
そして,Sへの聴き取りを経て,仮説どおり「B」であることを確かめたのです。

ここで,想定されることは,良くない言動を意識して行う場合と無意識裡に行う場合とでは,心的内実に相違があるということです。

そこで,副塾長が入念に,再度,Sに対して聴き取りを行った結果,Sは自らの心的状況を興味深く語ったのでした。(私はSの親ではないけれど,)親バカでしょう,月齢(6歳11か月)の割りには立派だと思いました。※9

※9 本ブログでは聴き取りの詳細は割愛させていただきます。余りにも長くなるので。
かわいい赤ちゃんの天使とほほ笑む少女の悪魔

イ 「ぼくには〈内の自分〉と〈外の自分〉がいる。」

人間は,その発達段階において,いつ頃から「自分自身」をメタ認知(≒〈自己の相対化〉)することができるようになるのでしょうか?

ここに一つの知見がありますから,ご紹介いたします。

 大人なら、鏡の中に映っているのは自分だと認識できる。では、赤ちゃんはどうか?
 「私は私だ」という自己意識度を調べるマークテストがある。この実験では、赤ちゃんに気づかれないように、鼻や頬などに口紅をつけて鏡を見せる。赤ちゃんが口紅のついた場所を触ったり、拭ったりすれば、鏡の中の姿が自分だと認識していると判断できる。
 1歳前半の子どもは、口紅のついた場所を自発的に触る子どもはほとんどいないが、1歳後半の子どもは、自分で口紅を拭う仕草をする割合が約6~7割に増える。つまり、1歳後半になれば、多くの子どもが「私は私だ」と自己認識していると考えられる。恥ずかしい、照れくさい、気持ち悪いなどの複雑な感情が芽生えるのもこの頃だ。

佐藤誠(2015.9):「シリーズ「子どもの心と体の不思議のサイエンス!」第2回 赤ちゃんはいつの時期から何を手掛かりに自分自身を認識するようになる?」,HEALTH PRESS,下線は小桝が施した。
注 佐藤誠:筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構教授

月齢からしてSが自己をメタ認知しても不思議ではないわけです。
しかも,Sへの聴き取りの中で,副塾長はSから次の言葉を耳にします。

「ぼくには〈内の自分〉と〈外の自分〉がいる。」

私は,このことばを副塾長から聴いたとき,思わず飲みかけていたコーヒーを吐き出してしまいました。決して誇張表現ではありません。私は認知心理学の分野ではド素人ですから,それこそ認識に誤りがあるのかもしれませんが,それにしても,月齢6歳11か月のこどもから「内/外」なる哲学的な言表(概念)が飛び出してくるとは,全く予想できていなかったのです。

では,〈内/外の自分〉とは何か?

副塾長がSから聴き取った話は,次のようなものでした。
主なポイントを簡潔にまとめます。

「ある物事を行うのに,良くない行いだと〈内の自分〉が〈〈ぼく〉〉に語り掛けるんだけど,〈外の自分〉が勝ってしまうんよね~。」…a
「気が付いたら(良くない行いを)やってしまっている。その時,〈内の自分〉も〈外の自分〉もぼくにはいない。」…b

Sの問題行動時の心的内実を,私たちは「Sには良くない言動を意識して行う場合(X)と無意識で行う場合(Y)とがある。」と仮定し,そうであることを確認していました。今,そのことを想起するとき,上述の「a」は「X」に,「b」は「Y」に該当するのではないのかと考えられるのです。

「a」の場合,良くない言動に対して,まるで「Tom and Jerry」※10のように,〈〈ぼく〉〉の中の〈天使〉と〈悪魔〉が〈〈ぼく〉〉に囁き掛けているのです。

「(良くない行いを)やってはいけないよ。」/「(良くない行いを)やってしまえ。」

※10 「トムとジェリー(英語原題: Tom and Jerry)は,アメリカ合衆国の映画会社メトロ・ゴールドウィン・メイヤー (MGM) に所属していた,ウィリアム・ハンナ (William Hanna) とジョセフ・バーベラ (Joseph Barbera) が1940年に創作した短編アニメーション映画シリーズ,カートゥーン,ギャグアニメである。略称は「トムジェリ」(ワーナー・ブラザースwebサイトより)「TJ」など。」(ウィキペディア フリー百科事典,「トムとジェリー」
Sは確かにDVDでよく「Tom and Jerry」を見ています。そして,大好きです。

この場合,Sは「人目が気になる」といった発言もしています。
つまり,Sには視点取得(perspective-taking)※11が形成されており,「心の理論」も形成され,他者の立場に立ってものごとを考えることができる状態にあると言えます。また,自己をメタ認知することもできているのです。それでいて,「誘惑の〈悪魔〉」に打ち勝てない。

※11 他者の視点に立つこと。自己のものの見方や考え方を〈相対化〉することができなければ,他者の視点に立つことはできません。

まあ,こうした心的状態は,私を含め,どの人にもあるのではないかと…。(笑)
ただし,Sの場合,健常児※12と比して,特定のものごとへの執着が強い※13傾向にあるのです。

※12 「鍛地頭-tanjito-」は,所謂「健常児」の有する現代社会での言説を鑑みた際,そうしたこどもを区分けする(言説の)権威性には否定的な立場にあります。
ここでは,叙述の内容を理解しやすくするために,便宜上用いています。
※13 Sには,この他に次のような特性があります。「聴覚が過敏に反応する。」「対人関係をうまく構築できない(=誰にでも,瞬時に心的・物理的な距離を縮めてしまう)。」「相手の言表だけを真面に受け止め解釈してしまう(=冗談が通じない)。」

要するに,「a」の場合,視点取得による「心の理論」と自己を対象とするメタ認知は,その程度の度合いはさて措き,機能していると考えて良いのではないでしょうか?

一方で,問題性を強く認識するのは,「b」の場合です。

この場合,「a」と比較すると,〈自己の相対化〉と「心の理論」は全く機能していないと言えそうです。
したがって,このように考えてみると,(近年の研究で指摘されているように,)所謂脳機能障害を考えざるを得ないのです。
現段階では,推定すらできませんが,「何だかの対象に対して,これらの機能が突如停止してしまうのではないか」と思えるのです。

以上の思考はド素人の考える全くの揣摩臆測です。
しかし,Sのためになることならば何でもしたい。
私たちは,どのような対象に対して,揣摩臆測する「〈自己の相対化〉」と「心の理論」の機能が働かなくなるのかを突き止めることにしたのです。
日常の観察を通して。

その結果については,後日のブログで報告いたします。

青空に点在する綿雲と輝く太陽

2 出現する未来に向けての日常的改善方法

(1) 自閉スペクトラム症に託けて

副塾長は,慎重にタイミングを伺いながら,一月程前,Sに「(Sが)軽度自閉スペクトラム症」であることを,言葉を砕いて,丁寧に話して聴かせました。当時,既にSにはそのぼんやりとした認識があったようです。

その日を起点に,Sの「軽度自閉スペクトラム症」を半ば自覚した人生の旅が始まったのです。

【関連BLOG】
「自閉スペクトラム症である息子本人が障害を受容したとき」(「鍛地頭-tanjito-」,2018.10.19)

しかし,それからの1か月間で,Sには好ましくない状態が見受けられるようになりました。
良くない言動の度,次のような言葉が口を衝いて出るようになったのです。

「ぼくは軽度自閉スペクトラム症だから,悪いことをしたんだ。」

いつしか,Sの内で,その言葉は良くない言動を行う口実(前提)と化していたのです。

副塾長も私も,勿論,予想していたことです。
「やはり,そう言ったか。」

副塾長は,Sがその言葉を口にする度,繰り返し,繰り返し,何度も,何度も,丁寧な説明を只管続けました。

「自閉スペクトラム症だからといって,みんなで決めたルールを守らず,何をしても良いわけではありません。」
「「自閉スペクトラム症だから」に逃げてはいけない。逃げていては,良くない行動は直らない。いつも〈外の自分〉が勝ってしまうよ。」
「自閉スペクトラム症は訓練次第で良くなります。でも,逃げて何もしなければ,良くなりません。」
「S以外の人には,Sの中の〈内の自分〉と〈外の自分〉は見えないんよ。〈内の自分〉と〈外の自分〉とが闘っていることは,他の人には分からないんよ。だから,Sが良くないことをした時,「〈内の自分〉と〈外の自分〉とが闘っていた(=悩んでいた)のだから,まあいいか!(許してやろう。)」という人はいない。」
「悩んでいたにしても,良くないことは良くないことなのだから,誰から見ても許してはもらえないの。※14

※14 前述の言葉と併せ,視点取得の機能をさらに高めたいとの思いが込められた副塾長の言葉。

(2) 出現する未来に向けての日常的改善方法

フジテレビ系列で放送されている情報トークバラエティ番組,明石家さんまの「ホンマでっか!?TV」でお馴染みの脳科学者,澤口俊之氏はその著書『発達障害 の改善と予防 家庭ですべきこと,してはいけないこと』(小学館eBooks,電子書籍版,2016年3月)の中で,「発達障害は明確な脳機能障害だから,改善も予防もできる」という主張を繰り返しています。中でも,「「保護者が日常的にできること」を私はとても重視しています。」(http://a.co/7enwzAY)は誠に示唆に富む指摘であると考えます。

特に「日常的にできる」は,生徒指導の根本理念に通底する考え方だと思うのです。分かりやすいところで申し上げれば,例えば,「自ら積極的にあいさつをする」「服装を整える」「時間を守る」など,基本的な生活習慣の確立を挙げることができます。読んで字のごとく,「基本的」なのですから,生徒指導の幹に当たるところと考えても良いわけです。これらは,学校でも家庭でも(何処でも)指導できるものです。

ただ,私がここで述べたい「日常的にできる」の「日常性」はもう少し異なった角度から捉えている〈日常性〉なのです。その〈日常性〉は先述した澤口氏の前掲書に記されるある興味深い例から,それを顕著に読み取ることができるのです。

言葉はまさに人間的なもので、とても高度です。その本質は「抽象化・カテゴリー 化」にあります。「リンゴ」という言葉で、すべてのリンゴ( 実物のみならず絵や模造品なども含みます)を表すことができるのは、「リンゴ」という言葉の抽象性とカテゴリー 性のせいです。(中略)例えば「リンゴ」なら、見る角度が違っても、置いてある場所が違っても、テレビ画面に映っていても、色が多少違っても、数が変わっても、「リンゴ」です。一度「リンゴ」という言葉を覚えれば、どんな「リンゴ」でも「リンゴ」と言える、ということが肝要なのです。(中略)たとえば、絵カード(たとえば リンゴの絵)を見せて、「 ○○」と言わせるような 訓練がありますが、 これは言葉の本質から見て不適切な方法です。 リンゴの絵には「リンゴ」と言えても、実物や他の場所でのリンゴには「リンゴ」と言えない、ということが起こり得るからです。これは言語の本質から外れています。

澤口前掲書:http://a.co/gjVJNNg 

あくまでも「日常的にできること」が、現実の生活では重要です。それらは「高価な教材」より効果が劣っているなどということはありません。むしろ逆です。発達障害の改善には「日常性」が重要ですし、改善の原理は単純ですから、変な教材など無意味か、悪影響になります。

澤口前掲書:http://a.co/9Rot1od,下線は小桝が施した。


つまり,私は,上記の引用を「言語を習得させるには,フラッシュカードのような特定の場面(例えば,カードに書かれた「リンゴ」)に特化した所謂取り立て指導を重視するのではなく,日常的・社会的な文脈等(=〈日常性〉)の中で指導す(習得させる)べきだ。」と解するのです。当然,このことは言語学習のセオリーだと思います。

そして,これらの引用に措定される考え方は,言語習得だけではなく,日々行われる種々の人としての営みにおいて,Sにも当てはまることだと考えるのです。否,所謂発達障害という特性を有する人たちだけではなく,人全てに当てはまることだと。

Sに焦点化して申し上げれば,日常的・社会的文脈等の中で,良くない言動があれば,その都度,その場で,即座に,何度も,何度も,どこが,なぜ,どのように良くないのか,他者はその行動をどのように捉えるのかなどを丁寧に粘り強く説明し,考えさせていく。一方で,良い言動があれば,これまた,その都度,その場で,即座に,どこが良かったのか,他者はその行動をどのように捉えているのかなどを丁寧に説明して褒める。

何も説明する(褒める)のは,保護者の特権ではないのです。無論,中心となるのは保護者であるけれども,Sにとっての日常には,学校も,放課後等デイサービスも,地域社会もあるわけです。Sの周囲の大人たちが,指導方針や方法を共有して,丁寧に粘り強く,何度も,何度も,日常的・社会的な文脈の中で指導していくことこそが大切なのです。

その考え方は,一人ひとりの児童・生徒への生徒指導においても同様です。

そういう意味において,次の引用は「「社会脳」と「共生脳」の発達」に視点を据えることによって,有益な考え方を示唆したものと言えるのです。

では社会脳や共生脳の発達にはどのような経験が必要なのでしょうか? 私は乳児期から集団教育の時期がこの能力を発達させるために重要な時期であると考えています。具体的には、(1)乳児期の養育者との間に起こる表情コミュニケーションを通じて情動的な共感を体験する、(2)人見知り時期に他者の心理を理解するための心理シミュレーションの脳神経機能を発達させる、(3)言語を獲得後に言語と言語に込められた感情(情動)を理解・共感体験する、(4)言葉の理解が高まるとともに、言葉の外に隠された意図を察知する人間的な心理と言語の認知・理解体験、(5)集団の中で社会的な序列や相互利益・分配等を体験する、等が重要であると考えられます。

林隆博(2011年2月10日掲載):「66. 心の理論とソーシャルブレイン;共生崩壊の時代?」,CHILD RESEARCH NET(ベネッセ)

青空に浮かぶ太陽を摑もうとする手

3 エピローグ

平成30年12月3日(月),仕事を終え,帰宅した副塾長から嬉しいSkypeメッセージが入りました。そのメッセージを引用し,本ブログの締め括りとしたいと思います。※15

※15 副塾長の諒解があります。

先日の、テレビを見て宿題をやっていなかった件※16について、「うそをつかず正直に言っても、ルールを守れてなかったら許されない」ということを、学校ときずな※17に同じように指導してほしいとお願いしておいたのです。

今日、学校でもきずなでも同じことを指導され、○○※18の中で何か思うこと(気づいたこと)があったのでしょう。テキパキと動き、家のルール※19を守っています。そうすると母ちゃんが嬉しそうにしているということも実感しているようです。(心の論理)

ずっとこの状態が続くとは思わないけれど、少しずつ改善出来たらいいと思います。

住本小夜子から小桝に宛てたSkypeメッセージより引用(平成30年12月3日)

※16 Sは帰宅後,先に宿題を終わらせてから,テレビを見る約束をしていた。
しかし,ある日,Sは計画的に宿題に着手せず,テレビを視聴したのである。
その計画とは,
「母ちゃん,ごめんなさい。素直に言います。先に宿題をせず,テレビを見ていました。」
と,副塾長に咎められる前に述べ,謝罪しようというものだった。
Sは「素直に」自らの良くない行為を(先に)謝れば,事は無事に終わると考えたのである。
こうした状況は,ひょっとすれば,多くの家庭で見かけられるものなのかもしれない。
だが,Sの場合,自分が実行したいと思ったことには必ず異常な執着心を燃やすのである。
上述した謀は,そうしたSの特性の為せる業なのである。
※17 Sの通う放課後等デイサービスの名称。
※18 Sのこと。
※19 Sと副塾長とが話し合い,決めた,Sをより良くするための3つの「だいじなやくそく」のこと。
下掲の写真(「部屋に貼ってある「だいじなやくそく」と「こえのおおきさ」)を参照のこと。
某家の部屋の壁に貼られた3つの大事な約束を記した紙と声の大きさの強弱を示した紙
部屋に貼ってある「だいじなやくそく」と「こえのおおきさ」

【参考文献・資料等】


References[+]

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